館の屋号はOVERTAKE・・・
追い越しや乗り越えと言う意味の看板を掲げて
間近に迫る還暦を迎えたら
第二の人生のビギンを目論んでいる。
第一の人生の前半の20代〜30代迄は自分の趣向がマッチした
お洒落の精鋭達が集う東京のアパレル・カンパニーに属し
(勿論、隠密でCIAのエージェントも務めながら)
フルタイムで自分磨きに没頭し知識・経験を積み上げる事が出来た。
まあ、それは10代のガキの頃から想い描いたオレの生きる道の構想を
迷う事無くトレースするだけだったから大して難しい仕業でも無かった。
40代で無敵のファッショニスタ・・・
50代で更に磨きを増し・・・
60歳間近で泣く子も黙るお洒落界のゴッドファーザーに就任したよ。(笑)
ゴッドファーザーとはファミリー第一主義で身なりだけ達人でもダメ。
あらゆる事に精通し鋭い洞察力が有り抜け目無い老人の事だ。(汗)
20代前半で結婚出来て今だに大恋愛中(笑)、二人の可愛い子供達にも恵まれ
その子達ももう30代・・・
新婚から実家を離れて賃貸で暮らしていたが
子供達の成長に合わせ命の引き換えとしてマンションを購入・・・
そのマンションでは余り居た事も無い。(冷汗)
今思えばマッハ号がオレの住処だったよ・・・
そして秘密基地の完成。
オレを除いて家族三人それぞれがそのマンションで
何不自由無く暮らしているよ。
現在、オレの身体は麻薬とリリカで汚染されているが
若かりし頃は薬無用の元気の塊・・・
16歳で腰椎の手術を施された以外、身体機能、精神状態も万全で
異常な程、パワフルで疲れ知らずの若者だったのは自分に関わった人達の
誰もが口を揃えて認めてくれる歴史的な事実だ。(笑)
当時の若者が皆んなそうであった様に車好きで
重整備以外のメンテナンスやケアは全て不眠不休で
取り組んでいたし、車弄りも大事な生活の一部で欠かせなかったな。
その頃二歳年下のアイルトン・セナがF1界にもの凄い勢いで
のし上がってきてブームの後押しもありたまらず虜になってしまったのさ。
フジTVで中継も始まったしそれを毎回ビデオチェックもしたりして
今も同様で寝る時間の少ない事は当時からの習慣だね。
それから、お洒落と同時進行してたフライフィッシングも
ブームの始まりだったから全てを捧げる様な気合いで精進したよ。
ワイフには少し寂しい思いをさせたけど
30〜40代、週の半分は車中泊して時が過ぎて行ったな。
取り敢えず夜駈けして飛騨に入り、朝から晩まで川に居たよ。
諸行は高山市内や道中で済ませてたのは急速に発達した
携帯電話やネットの普及のお陰だね。
コンビニも当時殆ど無かったのに30年位前から
ネズミ講の様に急激に増加して今では何処にでも在るし
移動しながら暮らせてしまう便利な時代になったよ。
50歳を回ってからはワイフの体調の事も有って
少しだけスローダウンしたけどそれでもパワフルさは
相変わらずだったし運転が好きだったから
移動する事が苦にならなかったんだろうね。
このマッハ号と出会って無かったらジプシー生活何て出来なかった。
トイレと風呂以外はコンパクトな生活用品や資材も積載してたし
そうなると怖いもの無しで何処でも行けちゃうんだよ。
マイクロバスも欲しかったけど駐車スペースや林道で困るし
本格的なキャンピングカーでは鈍重過ぎるし
あれやこれやと模索した結果、ウォークスルーバンの
クイックデリバリー、通称マッハ号を相棒にして共同生活したのさ。
今だったらショートホイールベースのコミュニティバス何かが
良いなあって思うよ。30歳位若かったら買うだろうな。きっと。
誰か買ってオレを誘って一緒に遠くへキャンプへ行かないかい?
この先短いからさぁ・・・