昨年9月の奈良旅行の続き。
(まだ完結していないのであった)
二日目・法隆寺界隈の散策のあと、帰り道に大和郡山城に寄りました。
大和郡山は、法隆寺から奈良市街に抜ける道沿いにあり、
行くのにとても都合が良いのでした
通りかがるのなら、行ってしまわないとね。
大和郡山は、近鉄沿線なので、京都からの便も良いし、とても住みやすそうな場所です。
ただ、お城専用の観光駐車場は見当たりませんでしたので、
三の丸敷地・近鉄郡山駅向かいの・・・
西友(スーパー)の駐車場に停めて、散策を始めました。
(買い物すると、駐車場サービスが付くので便利です)
車でぐるっと一周しましたが、とても大きなお城でした。(まあ迷ったから一周したんですけど)
で、
駐車場を出て、最初の信号が、上の図の一番下の交差点だったと思います。
ここ ↓
柳御門の跡
この門が城の表玄関だったそうで、大手掘の名残の水路があり、現在は大和郡山市役所が隣接しています。
いかにもいかにも、三の丸という雰囲気の場所です。
他にも、図書館やホールなどがありますが・・・
この三の丸と隔てて、
二の丸~本丸、お城らしい部分は、近鉄電車の線路の向こうにありました。
←左(大手道から)右 →
↑近鉄電車 ↑ 蓮池跡 石垣の向こうが二の丸 ↑ 鉄御門跡・陣甫郭跡 ↑五軒屋敷池
大手道の近鉄踏切を渡ると、右手には大きな石垣がありました。
鉄(くろがね)御門跡
なかなか存在感があります
反対側、左には、道に沿って、白壁が・・・
現在は、郡山高校の敷地。
もとは藩庁があったそうです。
払い下げの土地=学校になったのでしょうか。
こんな良い環境で勉強できるなんて羨ましいですね
憧れます
そこから、坂を少し上がると、すぐに、お城の構えが見えてきました
上の案内図で分かるように、お堀を張り巡らせた、複雑な構造になっています
↑ ①天守のある郭 ↑ 土橋(奥にも内堀) ↑ ②柳沢文庫のある毘沙門郭跡 ↑ ←↑ 内堀 → ③陣甫郭跡
図がないと、なかなか説明できないくらい複雑なのですが、
上の写真の①天守のある郭(石垣でできた島のような感じ)を中心にして、
両側に、いくつかの郭が取り巻く構造になってます。
西から
麒麟(きりん)郭 ― 新宅郭・厩(うまや)郭 ― 天守部分 - 毘沙門郭 - 陣甫郭 という具合です。
ちなみに、すべてが堀で囲まれているわけじゃなく、両端は他と地続きになっていたり、片側だけ地続きだったり。
まあ、もう一度上の地図をご覧ください
ちなみに、天守台の部分からは、ちょうど5の字状に中枢部分が広がっているようです。
複雑な構造・・・きっと防衛上意味があってのことなのでしょうね
で、一番大事な天守部分は、全方向お堀で囲まれた島状になってまして・・・
竹林橋(地続きになってると思います)を渡って行きました。
↑ 新宅郭跡 ↑ 本丸
竹林橋を渡った先、本丸入口には、竹林橋櫓がありました
(東側)
この石垣の奥から、柳沢文庫・追手門に向かう橋?があります。(それについては、投稿その2で詳しく)
そして、
竹林橋渡った正面、本丸敷地は現在柳澤神社となっていました。
御祭神は、柳沢藩の開祖・柳澤吉保公。
明治13年旧藩士によって創建されました。
天守台は、この拝殿の裏にあります。
お参りをしてから、横道に抜けていく格好になります。
本丸の東側の内堀
となりの毘沙門郭
明治に建てられた城址会館が見えます。
お堀からのびる石垣は、大迫力です
そして、天守台・・・
天守台 南東角
大きな台形と小さな台形がくっついたような形になってます。
(→ 北)
↑ 小さい台形 ↑ (↓ 東) ↑ 大きい台形
そして・・・
竹林橋から行くと、一番奥の部分。
(← 東) (↓ 北) 有名な転用石のさかさ地蔵があります。
天守台の上に上がると、良い景色
北側をのぞむ
(旅行疲れしているふたり)
東側 城址会館
天守台には、柵がしてないので、気持ちが良いですが、少し怖いです。
天守台の上から下を覗く
くれぐれもふざけないよう。
天守台の降り口 東向き
大和郡山城・・・1585年に豊臣秀吉の弟、秀長が入城したおりに、
城の大拡張工事を行い、
近隣の寺院の礎石、庭石、五輪塔、石地蔵等を多く用いました。
転用石の宝庫です
単なる石不足?
それとも、意識改革?
時代の大きな流れ・大変動を思わずにはいられません。
(その2に続く)
それと、上記の内容も、時間があれば、追加修正していきます。