京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

松山城 その1。(山麓から本丸)

2012-01-25 09:40:08 | 中国・四国地方の石垣。

「先日、松山城に行ってきました」

 

と言いたいところですが、実のところ・・・

これが、おっそろしく古い投稿でございまして、

上記の程、ごまかしたくなるくらい、ええ、ずっとため込んでまして…

 

昨年3月の春休みに、しまなみ海道経由・松山城に行ってきました。

だいぶん前に、耕三寺の投稿しましたよね・・・

その続きです。

 

愛媛県は良かった

お宿の鯛・カンパチなど、鮮魚が本当に美味しかった

帰って来てから、スーパーなどで気付いたのですが、養殖物の鯛は、愛媛県が多いみたいですね。

また行きたいです。

 

で、宿は、休暇村東予に泊まったのですが、

旅行二日目に松山城に行きました。

四国に多く残っている、現存天守閣のひとつです。見逃すわけにはいかない。

 

しかしまあ、行ってみますと、

松山は、NHKドラマ「坂の上の雲」一色になってました。

松山城ロープウエイの登り口に、放送記念のミニ資料館みたいなとこがあって・・・

広島・呉のやまとミュージアムと似た感じの雰囲気の所でした。

海軍つながりだからでしょうか。

 

んで、本題の松山城。

行き方は、ロープウエイとリフト(たぶん歩いても登れる)が選べて、

お兄ちゃんたちは、迷わずリフトに乗ってました。(心配なんですけどね

お兄ちゃんたちを見守りながら、ロープウエーで、勝山山頂に上がり・・・

いきなり、本丸わきに到着します。

こういうので撮影は必須。(好きです)

 

で、こっからが本題の松山城なんですが、

なんで今まで投稿できなかったかというと・・・

 

ま~とにかく立派で広いお城で、写真もいっぱいとりまして

それは良いのですが、ブログ上で、それをどう表現すればよいかに困ってしまい・・・・

 

困った挙句、結局、その1・その2に分けて投稿することにしました

 *(←ここらへんがロープウエー駅)

こんな感じで、広く、かつ複雑な構造をしています。(本丸に上がるまでが迷路状です)

 

賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明のお城

海抜132メートルの勝山山頂に本丸、中腹に二の丸、山麓に三の丸を置く連郭式平山城

(資料は松山城パンフレット、一部、文も抜粋)

築城は1602年着工・1627年完成

(完成直前に、会津に転封されてますが

縄張りは、いまだ政情定まらない時期の着工のためか、相当に複雑

まだまだ戦を意識していたのでしょう。

「難攻不落」の文字が浮かんできました。

 

本丸に上がるまでの構造は、「すごい!」の一言に尽きます。

(逆に言うと、本丸・天守閣の建物自体は優しい印象で、守られている、て感じでした)

ま~さすがは現存天守閣

これだけの史跡が(ほぼ手つかずで?)残っているのですから、うれしい限りです。

*21棟の重要文化財をもつそうです。

 

というわけで、ロープウエー駅を出た所からお話しします。

(かなり分かりにくいので、場所をで示してみましたが、

 それでも分かりにくいです、すみません

 

 

ロープウエー駅を出たところ(二の丸なのだと思います)から、

見た所、「山」に向かって坂道がのびていまして・・・

どんくらい歩かなあかんの?て感じでしたが、

ほんの数歩歩くと、いきなり大きな壁が見えてきました

 で~ん

京から見ると、離れた地のお城だから、そんな大したことないだろうと思っていたのですが、(失礼

いきなり裏切られました!

これはすごい

壮観です

  頑丈な石造りです

( ↑ 揚木戸門跡) 上の黒い壁の建物は、筒井門東続櫓かな?

       揚木戸門跡

 すごい高石垣 これ、乗り越えられますか?

 

そして

この石垣の奥が大手門跡になっていて、本丸へと道が続くのですが、

右折すると・・・これまた壮観

 

      (↓ 太鼓櫓)

 道の突き当たりの緑のところが中ノ門跡

(↑ 左手前が大手門)

ここから本丸に向かって登城道が続きます。

緩やかな坂ですが、U次屈折になっていて、中ノ門跡のところで向きを変えます。

 

 同じ位置(大手門付近)から右方向を撮影

手前・右端にあるのが戸無門の屋根

中央の大きな屋根は筒井門西続櫓のもの

 

 

門扉がないので戸無門と呼ばれているそう。こちらも重要文化財です

中ノ門方向から、戸無門へ)

ジグザグ道です。

攻めてくる敵の勢いを抑えたり、

上から攻撃しやすい構造になっているのでしょう。

 

大手道の戸無門から見た太鼓櫓

 

先ほどの戸無門をくぐった先で、また左折、折り返して・・・

松山城最大の筒井門をくぐります。

(左端に戸無門→) 

いろんなお城めぐりをしてきましたが、

門や櫓など詳細部分は、破却されていることが多く、

なかなか現物にお目にかかることができません。

その意味でも、こういう形が見れるのは貴重です。

 

基本、石垣好きなので、石垣さえ残っていれば文句なし、なのですが、

遺構のイメージがしづらいので、やっぱり、建物が残ってる方が良いです。(ただし筒井門は復興建築)

石垣から、なるべく想像力を働かすようにしてますが、塀の色まではさすがに分かりませんしねえ。

あって良かった!

(西続櫓 ↑)(↑ 東続櫓)

筒井門は、両側に櫓を配していて、L字状になっています。

二の丸から本丸へ向かう、大手の固めを構成する重要な櫓門

城中で最も重要かつ堅固なところなのだそう。

 

その筒井門をくぐると、正面には、太鼓門西塀(向かって、左端に太鼓櫓)が見えます。

 石垣+石垣+石段の良い眺め

門をくぐって、向きを変えて、また門・・・

というのが、一筋縄では本丸に進めない仕組み。

しつこいです、本当に

天下の名城 姫路城を思い出しました。

それ以来です。

大阪城は、(破却部分も多いのかもしれませんが)もうちょっと素直な印象を受けますし・・・

平山城独特のしつこさかもしれません。

こちらの太鼓門(復興建築:横に西塀が長細く続き、延長上の端っこに太鼓櫓があります)をくぐると、

やっと右手に本丸天守建造物群が見えてきます。

 

ようやく到着しました。

ここまで、何回向きを変えてきたでしょうか?

 

 

     

 

(答え:6回)

本当に複雑な大手道でした。

本丸に上がってしまえば、だだっ広い広場と言う感じ。

ひたすら歩いて行くと・・・

その先に、天守閣群の建物があります。

 

次回、「松山城 その2。」の投稿でご紹介しますね。

あきれずに、お付き合いくださいませ

 

*すみませんね。漬物屋のブログですが、石垣愛好家のための?投稿でもあります。