風のBLOG

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「明日は天気」演出にあたって◎桐山知也

2007-04-15 13:36:20 | 稽古場速報
「明日は天気」の稽古が続いています。
少し長くなりますが、下は今回の演出 桐山さんのコメントです!↓↓
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「明日は天気」は、ある夫婦の旅先での会話から、男女の間の微妙な、そして決して埋めることのできないであろう(と個人的には思う)ズレを感じさせてくれる。その旅行先の宿から見える風景は海で、そして、夫婦の期待に反して、雨が降っている(二人は海にはいりたいようだ)。この海という、夫婦の前に歴然として横たわる外界の存在が、今回の作品の大きなポイントになるのではないかと思える。その外界と、劇中の夫婦のズレが対峙することで、そのズレが、男女のズレに留まらず、この捉えどころのない世の中に生きる人と人との根元的なズレについてのサンプルのように思えてくる。終幕、夫婦は帰途を前にして、部屋の中から海を見つめ佇むのだが、それは自然、もしくは世の中を目の前にして佇む孤独な人間というイメージを喚起させる。そして、それは、ぼくにエドワード・ホッパーの作品を思いださせる。そんな感慨を持ちながらこの作品と向かいあっているのだが、果たして、ぼくたちは、この捉えどころのない現代(いま)という世界と向き合ったとき、「明日は天気」などど言えるのだろうか?

以前、岸田國士の作品「紙風船」「命を弄ぶ男ふたり」を演出したことがある。岸田國士といえば、日本近代演劇の祖といった位置づけがされ、リアリズム演劇を成しているようだが、実際に演ってみると、近代演劇という学術的な括りだけでは説明のつかない印象がある。当時の感覚からすれば相当に先進的と思われるユーモアのセンスに溢れているし、不条理(これもある括りで語ってしまうのも問題かもしれない)といった味わいもあり、なんとも捉えどころがない。基本はリアリズムなのだが、そこに捕われずに岸田國士のそういった様々な側面も表現したい、とここ数日の稽古をしている。その捉えどころのなさこそが、ぼくたちの生きるこの世界であり、先程書いた「世界と孤独な人間」というイメージと繋がり、岸田国士の作品が普遍的なモノであることを証明できるのではないか、と思う。

そして、今回、集団に属さないフリーの演出家であるぼくが、東京演劇集団風と作品を創ることになり、様々な摩擦もあるだろうが、それが創造的な摩擦になることを望んでいる。そして、風の観客層にとって慣れ親しまれているレパートリーシアターKAZEという空間を、ある仕掛けをもって変容させようとも思っている。そうすることで、観客と劇場、観客と劇団、観客と演劇、そして、願わくば、観客と世界といった固定された関係に揺さぶりをかけたい。

★写真はレパートリーシアターKAZEで行われている「明日は天気」の稽古場から。



公演の詳細は、KAZEのホームページへ↓
http://www.kaze-net.org