■お絵かき大好きドットコム■ メールマガジン 第2号
2012/2/17 http://oekaki-daisuki.com
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
NPOこどもお絵かきギャラリー 臼井です。
私の2人の娘は小学校6年生と2年生になります。子どもの成長はとても
早いものです。言葉も充分に話せない頃から2人は、紙と筆記具があれば
何かを描こうとしていました。そして、そのお絵かき手紙をそっと渡して
くれることが度々ありました。親の目にはぐちゃぐちゃに見える絵でも、
感動した何かを一所懸命に描こうとしていたようです。お絵かきを通して
通して子供が何を伝えようとしているのか、想像する時間が至福のひと時
でした。しかし、日々の仕事で忙しく整理する時間もなく、大切な思い出
の作品は積みあがるばかりでした。
「かわいい子供の絵をうまく整理して皆に見せたい」そんな親バカ心が起
点となったお絵かきサイトですがが、その後、さらに考えが進みました。
子供たちの「思い」のこもった作品が沢山集まったら、どういうことが起
きるのだろうか。国内だけでなく広く世界の人々の目に触れられたら、ど
んなことが起こるのだろうかと。それが現実に向かってサイトが一歩一歩、
歩み始めました。
今日も素敵な作品が届きました。タイトルは「家族!」と「なわとび!」
じょーちゃん、ようちゃん、ありがとう。
http://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/joy96812_joy96812/1421
http://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/joy96812_joy96812yoka/1422 ・・・
さて、これまで投稿されたお絵かきを、メールマガジン担当の「エリィせ
んせい」が紹介してくれるコーナーです。どうぞご覧ください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆エリィせんせいの今週のお絵かき紹介
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
こんにちは。 エリィせんせいです。
立春が過ぎ、陽も少し長くなり、朝晩の冷え込みも少しづつ和らいできた
かな...と思っていたら昨日はなんと!はらはらと雪が舞っていました。
寒いはずです。暖かい春にはもう少しかかりそうですね。
がんばりましょう。今回もこどもたちの溌剌とした作品を5つ選びました。
寒さ忘れて元気が出ますよ。
※ギャラリー名は敬称つけずそのまま記載しています。
---------- ◆アルミ箔で作ったくまさん。
くまさんが先か、出来た形がくまさんだったのか。
かわいらしいおめめもグッドアイディア!
小学校あやなのギャラリーhttp://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/kurosu_ayanaayana2/1412
----------
◆水族館のショーの迫力がよく表現されています。
やっぱりシャチは一番大きいんだ!
coco_1のギャラリーhttp://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/miedasan_cocochan1/1403 ----------
◆りなちゃんは女の子をいつもたくさん描いていますね。
この絵の中にもお友達がいっぱい。
たくさんお友達がいるんだね。
劇を演じている人、劇を見ている人、それぞれ上手に描けました。
りなのギャラリー ----------
◆夏休みに鉄棒の練習。
何度も逆上がりの練習をして汗びっしょりになっているのが伝わってきます。
お友達の様子、逆上がり練習用の板などもよく観察してますね。
ゆなのギャラリーhttp://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/kamiyama_yunayuna/1282 ----------
◆足が8本じゃなくったって、お顔がかわいくったって、
いいじゃない、たこなんだから。まさに溌剌として元気がでます。
れんたろうのギャラリーhttp://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/gira-sol_rentaro/1196 ----------
※エリィせんせいのプロフィール
三枝恵理(みえだ・えり)。1966年7月生まれ。東京造形大学デザイン科卒。
6歳から水彩・油絵を学ぶ。ブランド・オリジナル婦人雑貨の営業、企画、
デザイン業務にかかわる一方で、自宅にて絵画教室を主宰。地域ではミニ
バスケットボールのコーチとして子供達と共に地域ボランティア活動にも
積極的に取り組んでいる。横浜市在住。一児の母。
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◆事務局から
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
お絵かき作品のご登録おまちしています(http://oekaki-daisuki.com)
思い出深い初めてのお絵かきも是非ご紹介ください。
↓けいちゃんや、けんたろうくんの初お絵かきはここ。
http://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/nakakoh.tdl_keichan/669
http://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/yanoshin_kentaro/671
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発行元
NPOこどもお絵かきギャラリー「お絵かき大好きドットコム」
http://oekaki-daisuki.com 東京都目黒区上目黒3-12-24-306
Tel.03-5721-4597 info@oekaki-daisuki.com 購読解除
http://docs.oekaki-daisuki.com/mailmagazine メールマガジンログ
http://docs.oekaki-daisuki.com/mailmagazinelog
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私の2人の娘は小学校6年生と2年生になります。子どもの成長はとても
早いものです。言葉も充分に話せない頃から2人は、紙と筆記具があれば
何かを描こうとしていました。そして、そのお絵かき手紙をそっと渡して
くれることが度々ありました。親の目にはぐちゃぐちゃに見える絵でも、
感動した何かを一所懸命に描こうとしていたようです。お絵かきを通して
通して子供が何を伝えようとしているのか、想像する時間が至福のひと時
でした。しかし、日々の仕事で忙しく整理する時間もなく、大切な思い出
の作品は積みあがるばかりでした。
「かわいい子供の絵をうまく整理して皆に見せたい」そんな親バカ心が起
点となったお絵かきサイトですがが、その後、さらに考えが進みました。
子供たちの「思い」のこもった作品が沢山集まったら、どういうことが起
きるのだろうか。国内だけでなく広く世界の人々の目に触れられたら、ど
んなことが起こるのだろうかと。それが現実に向かってサイトが一歩一歩、
歩み始めました。
今日も素敵な作品が届きました。タイトルは「家族!」と「なわとび!」
じょーちゃん、ようちゃん、ありがとう。
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立春が過ぎ、陽も少し長くなり、朝晩の冷え込みも少しづつ和らいできた
かな...と思っていたら昨日はなんと!はらはらと雪が舞っていました。
寒いはずです。暖かい春にはもう少しかかりそうですね。
がんばりましょう。今回もこどもたちの溌剌とした作品を5つ選びました。
寒さ忘れて元気が出ますよ。
※ギャラリー名は敬称つけずそのまま記載しています。
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くまさんが先か、出来た形がくまさんだったのか。
かわいらしいおめめもグッドアイディア!
小学校あやなのギャラリーhttp://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/kurosu_ayanaayana2/1412
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やっぱりシャチは一番大きいんだ!
coco_1のギャラリーhttp://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/miedasan_cocochan1/1403 ----------
◆りなちゃんは女の子をいつもたくさん描いていますね。
この絵の中にもお友達がいっぱい。
たくさんお友達がいるんだね。
劇を演じている人、劇を見ている人、それぞれ上手に描けました。
りなのギャラリー ----------
◆夏休みに鉄棒の練習。
何度も逆上がりの練習をして汗びっしょりになっているのが伝わってきます。
お友達の様子、逆上がり練習用の板などもよく観察してますね。
ゆなのギャラリーhttp://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/kamiyama_yunayuna/1282 ----------
◆足が8本じゃなくったって、お顔がかわいくったって、
いいじゃない、たこなんだから。まさに溌剌として元気がでます。
れんたろうのギャラリーhttp://oekaki-daisuki.com/gallerys/show/gira-sol_rentaro/1196 ----------
※エリィせんせいのプロフィール
三枝恵理(みえだ・えり)。1966年7月生まれ。東京造形大学デザイン科卒。
6歳から水彩・油絵を学ぶ。ブランド・オリジナル婦人雑貨の営業、企画、
デザイン業務にかかわる一方で、自宅にて絵画教室を主宰。地域ではミニ
バスケットボールのコーチとして子供達と共に地域ボランティア活動にも
積極的に取り組んでいる。横浜市在住。一児の母。
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◆事務局から
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お絵かき作品のご登録おまちしています(http://oekaki-daisuki.com)
思い出深い初めてのお絵かきも是非ご紹介ください。
↓けいちゃんや、けんたろうくんの初お絵かきはここ。
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発行元
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Tel.03-5721-4597 info@oekaki-daisuki.com 購読解除
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3.11以来、逃げずに生きようと、自分の生き方を少し変えた人は多いのではないでしょうか。
団塊の世代の我々も腹を決めて行動しましょう。
しかし雇ってくれるところがない?
ならば起業しましょう。
私流起業法については別途書いてみます。
団塊の世代の我々も腹を決めて行動しましょう。
しかし雇ってくれるところがない?
ならば起業しましょう。
私流起業法については別途書いてみます。
グレゴール・ピアンティゴルスキーがカザルスに会った話は秀逸だ。
カザルスに招待されて、カザルスの前でベートーベンのチェロソナタを弾いた。
最低の出来だった。
しかしカザルスはビラボー!と言って抱擁してくれた。
ビアンティゴルスキーは、困惑した。
それから数年して、再びカザルスに会った。
そのときは、デュエットをしたり、ソロで弾いたり、夜遅くまで楽しんだ。
カザルスもすっかり楽しんでいた。
そこで、数年前の疑問を言ってみた。
カザルスは突然不機嫌になった。
そして、なぜブラボーと言ったかを説明した。
君のあの小節の指使いは初めて見た。あれはいい。初めてだった。
それから、別の小節のボーイングも初めてだった。
だからブラボーと言ったんだと、具体的にいくつもあげて説明した。
そして、
演奏の欠点をあげつらって批判するようなことは、批評家に任せておけ、そんな人間になってはいけない。たとえ1小節でも、1音でも感動できるところがあったらブラボーと言える人間に、君はならないといけない。
ピアンティゴルスキーの疑問は氷解した。
そして偉大なチェリスト、カザルスを尊敬した。
参考
ピアンティゴルスキーの演奏
カザルスの国連でのスピーチと演奏
カザルスは、カタロニアの鳥は、ピースピースと平和を求めて鳴きますと訴えています。
カザルスに招待されて、カザルスの前でベートーベンのチェロソナタを弾いた。
最低の出来だった。
しかしカザルスはビラボー!と言って抱擁してくれた。
ビアンティゴルスキーは、困惑した。
それから数年して、再びカザルスに会った。
そのときは、デュエットをしたり、ソロで弾いたり、夜遅くまで楽しんだ。
カザルスもすっかり楽しんでいた。
そこで、数年前の疑問を言ってみた。
カザルスは突然不機嫌になった。
そして、なぜブラボーと言ったかを説明した。
君のあの小節の指使いは初めて見た。あれはいい。初めてだった。
それから、別の小節のボーイングも初めてだった。
だからブラボーと言ったんだと、具体的にいくつもあげて説明した。
そして、
演奏の欠点をあげつらって批判するようなことは、批評家に任せておけ、そんな人間になってはいけない。たとえ1小節でも、1音でも感動できるところがあったらブラボーと言える人間に、君はならないといけない。
ピアンティゴルスキーの疑問は氷解した。
そして偉大なチェリスト、カザルスを尊敬した。
参考
ピアンティゴルスキーの演奏
カザルスの国連でのスピーチと演奏
カザルスは、カタロニアの鳥は、ピースピースと平和を求めて鳴きますと訴えています。
昨日「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を見た。
1964年、昭和39年は東京オリンピックの年で私は高校2年生だった。
1960年に池田内閣によって発表された、10年間で所得を倍にするという「所得倍増計画」は計画以上に進み、経済成長の絶頂の時代を迎えていた。
映画は、絶頂を謳歌するだけの映画ではなかった。
今の時代から見て、あの時代が何だったかを感じさせる映画になっている。
観客を見渡して驚いた。
若者が多いのだ。
最初の三丁目の夕日のときは、懐古趣味の年寄りばかりだったが、今回は若者がたくさんいた。
先日、私がいいだしっぺの勉強会「目からウロコの新ビジネスモデル研究会」に、早稲田の学生が出席してもいいかとメールが来た。IT業界の将来を知りたいので、私のブログを見ていたら、勉強会のことが載っていたので問い合わせたという。
私は思った。
三丁目の夕日の時代と大人と、今の若者を結び付けたい、と。
まっすぐに未来を見つめて、疑うことなく前進した世代と、有限の地球の中で、日本は、人類はどう生きればいいのかを模索しながら人生を歩む若者を出会わせたい。
ただ向き合うだけではない、融合させたい。
一緒に何かをするということができないものだろうかと思う。
今気がついた、そういえば岩佐さんはやっている。
ワイズミーティングだ。
これに協力すればいいのだ。
また夢が増えた。
忙しい。
1964年、昭和39年は東京オリンピックの年で私は高校2年生だった。
1960年に池田内閣によって発表された、10年間で所得を倍にするという「所得倍増計画」は計画以上に進み、経済成長の絶頂の時代を迎えていた。
映画は、絶頂を謳歌するだけの映画ではなかった。
今の時代から見て、あの時代が何だったかを感じさせる映画になっている。
観客を見渡して驚いた。
若者が多いのだ。
最初の三丁目の夕日のときは、懐古趣味の年寄りばかりだったが、今回は若者がたくさんいた。
先日、私がいいだしっぺの勉強会「目からウロコの新ビジネスモデル研究会」に、早稲田の学生が出席してもいいかとメールが来た。IT業界の将来を知りたいので、私のブログを見ていたら、勉強会のことが載っていたので問い合わせたという。
私は思った。
三丁目の夕日の時代と大人と、今の若者を結び付けたい、と。
まっすぐに未来を見つめて、疑うことなく前進した世代と、有限の地球の中で、日本は、人類はどう生きればいいのかを模索しながら人生を歩む若者を出会わせたい。
ただ向き合うだけではない、融合させたい。
一緒に何かをするということができないものだろうかと思う。
今気がついた、そういえば岩佐さんはやっている。
ワイズミーティングだ。
これに協力すればいいのだ。
また夢が増えた。
忙しい。
感染症とりわけ新型インフルエンザ(H5N1)対策は、喫緊の課題です。
今年のA香港型の株が、ワクチン株との類似性が低い(横浜市衛生研究所で分離した50株中1株のみ)ために大きな流行を起している現状をみると、強毒型で、世界中の人に全く免疫のないH5N1への対応策は、急ぎかつ徹底せねばなりません。
ひとりでも多くの方にお聴き頂き準備を進めて頂きたく、お忙しい中、申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。
3月3日(土)に市民講座が開かれます。
今年のA香港型の株が、ワクチン株との類似性が低い(横浜市衛生研究所で分離した50株中1株のみ)ために大きな流行を起している現状をみると、強毒型で、世界中の人に全く免疫のないH5N1への対応策は、急ぎかつ徹底せねばなりません。
ひとりでも多くの方にお聴き頂き準備を進めて頂きたく、お忙しい中、申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。
3月3日(土)に市民講座が開かれます。
世界中にブルトーザーやパワーショベルを売っているグローバル企業のキャタピラー社にとって、機械の操作や整備のマニュアルは、どの国の人でも分かるものである必要があった。
当時キャタピラー社の社員だった勝畑さんは、そんな自社のマニュアルの素晴らしさに尊敬の念をいだいていた。キャタピラー社にはキャタピラー英語というのがあって、入社時教育で仕込まれるのだという。
1986年、当時キャタピラー三菱だったが、会社の倫理規定によって、泥臭い営業ができない同社は、小松に追い上げられ1200人のリストラを余儀なくされた。
会社は、三菱グループを中心に転職を斡旋したが、残ったのは部長次長といった50歳前後の管理職だった。そのほとんどが国立大学出身のエリートで、頭は良いがプライドも高い。勝畑さんは、そんな36人を任されて新規事業を始めることになった。条件は、投資はダメ、採用はダメ、3年以内に利益を出せ、だった。
高給取りでプライドの高い36名に何をさせればいいのか最初は見当もつかなかったが、当時トヨタが海外進出を計画していて、そのマニュアルを作る必要があった。日本人は個々人が優秀だから現場作業の細かいマニュアルはなかった。しかしそれでは外国では物つくりはできない。トヨタは勝畑さんの提案に乗り、勝畑さんのビジネスは高給取りの36名でも採算が取れるまでになった。
マニュアルというのは動作を促すものでなければならない。ところが日本のマニュアルは「こうすべきだ」的な表現が多く、読んでもよく分からないものが多い。動詞を中心にして、次に主語と目的語を決めるというふうに書かないとダメだという。
マニュアルの起源はローマ時代にさかのぼるという。ローマとカルタゴの戦いがあったとき、カルタゴは職業軍人だったがローマは兵役を課せられた素人で、普通の兵士は3年で交代した。入れ替わりが頻繁なので、いろんな作業について、引継ぎを効率よくきちんとしないと戦いに支障が出る。そこで戦車の整備の仕方などのマニュアルができた。先輩から後輩に作業手順を伝えるためのものだ。素人集団だから兵士の補充は簡単で、伝承もできた。そしてカルタゴに勝つことができた。
勝畑さんのお話を伺っていて、情報システムのマニュアルのことを考えた。操作マニュアルを作るのは、仕事現場を知らないシステムベンダーだったりする。納期と予算に縛られてやっつけ仕事で作ったマニュアル。そんなものが使いやすいはずはない。
私には、日本のマニュアルを良くしたいという想いがある。
勝畑さんはご高齢だが、1時間半に及んで速射砲のようにマニュアルに対する想いを語ってくださった。最後にはありがとう!とまで言ってくださった。
一緒に行ったのは、JUASなどで操作マニュアルや業務マニュアルのセミナー講師をされている文書コンサルタントの丸山さん(左)と、東京海上日動で、情報システム部門と内部監査室を歴任され、情報システム開発における予防的内部監査という論文を出された田中さん(右)。
勝畑語録はたくさんあった。書ききれない。ひとつだけ。「ユーザマニュアルは、顧客が利益を生むためのものだ」。
4月のBPIAの目からウロコの新・ビジネスモデル研究会に講師として来ていただけることになったのであとはそちらに譲る。
当時キャタピラー社の社員だった勝畑さんは、そんな自社のマニュアルの素晴らしさに尊敬の念をいだいていた。キャタピラー社にはキャタピラー英語というのがあって、入社時教育で仕込まれるのだという。
1986年、当時キャタピラー三菱だったが、会社の倫理規定によって、泥臭い営業ができない同社は、小松に追い上げられ1200人のリストラを余儀なくされた。
会社は、三菱グループを中心に転職を斡旋したが、残ったのは部長次長といった50歳前後の管理職だった。そのほとんどが国立大学出身のエリートで、頭は良いがプライドも高い。勝畑さんは、そんな36人を任されて新規事業を始めることになった。条件は、投資はダメ、採用はダメ、3年以内に利益を出せ、だった。
高給取りでプライドの高い36名に何をさせればいいのか最初は見当もつかなかったが、当時トヨタが海外進出を計画していて、そのマニュアルを作る必要があった。日本人は個々人が優秀だから現場作業の細かいマニュアルはなかった。しかしそれでは外国では物つくりはできない。トヨタは勝畑さんの提案に乗り、勝畑さんのビジネスは高給取りの36名でも採算が取れるまでになった。
マニュアルというのは動作を促すものでなければならない。ところが日本のマニュアルは「こうすべきだ」的な表現が多く、読んでもよく分からないものが多い。動詞を中心にして、次に主語と目的語を決めるというふうに書かないとダメだという。
マニュアルの起源はローマ時代にさかのぼるという。ローマとカルタゴの戦いがあったとき、カルタゴは職業軍人だったがローマは兵役を課せられた素人で、普通の兵士は3年で交代した。入れ替わりが頻繁なので、いろんな作業について、引継ぎを効率よくきちんとしないと戦いに支障が出る。そこで戦車の整備の仕方などのマニュアルができた。先輩から後輩に作業手順を伝えるためのものだ。素人集団だから兵士の補充は簡単で、伝承もできた。そしてカルタゴに勝つことができた。
勝畑さんのお話を伺っていて、情報システムのマニュアルのことを考えた。操作マニュアルを作るのは、仕事現場を知らないシステムベンダーだったりする。納期と予算に縛られてやっつけ仕事で作ったマニュアル。そんなものが使いやすいはずはない。
私には、日本のマニュアルを良くしたいという想いがある。
勝畑さんはご高齢だが、1時間半に及んで速射砲のようにマニュアルに対する想いを語ってくださった。最後にはありがとう!とまで言ってくださった。
一緒に行ったのは、JUASなどで操作マニュアルや業務マニュアルのセミナー講師をされている文書コンサルタントの丸山さん(左)と、東京海上日動で、情報システム部門と内部監査室を歴任され、情報システム開発における予防的内部監査という論文を出された田中さん(右)。
勝畑語録はたくさんあった。書ききれない。ひとつだけ。「ユーザマニュアルは、顧客が利益を生むためのものだ」。
4月のBPIAの目からウロコの新・ビジネスモデル研究会に講師として来ていただけることになったのであとはそちらに譲る。
どのような形にせよ生きているうちは人のために働くのは人間としての義務で七位でしょうか。
日経ビジネスオンラインに我が意を得たりの記事がありました。
私は、60歳以上のITエンジニア集団を組織しビジネス展開していくつもりです。
日経ビジネスオンラインに我が意を得たりの記事がありました。
私は、60歳以上のITエンジニア集団を組織しビジネス展開していくつもりです。
グレゴール・ピアンティゴルスキーというチェリストがいた。
ロシア生まれのチェリストだ。
今「チェロとわたし」という彼の自伝を読んでいる。
1903年生まれで、7歳の時父からチェロを習い9歳でプロデビュー。
プロと言っても、お金が稼げるなら飲み屋だろうがなんだろうがどこでも弾く。9歳からチェロが身体の一部みたいになっている。
そんな彼が、あるオーケストラに入っていた時のことだ。
嫌いな客演指揮者が来た。
傲慢な指揮者が彼は気に入らない。そこで一計を案じた。
本番のとき、非常細い目に見えないくらいの糸を買ってきて、友人の実直なチェリストのエンドピンに結び、天井の梁を通して舞台袖の友人に持たせた。
演奏がクライマックスになったとき、ピアンティゴルスキーは友人に目くばせした。
友人はそろそろと糸を手繰る。
すると実直なチェリストのチェロがだんだん宙に浮かびだす。
実直なチェリストは、必死に演奏を続けようとするが、とうとうチェロは空間に浮かんでしまい演奏会は台無しになった。
この本を読んでいると、ピアンティゴルスキーは、日本で言えば、流しのギター弾きか三味線弾きのような気軽さを感じる。同時に、ロシアやヨーロッパの、音楽文化の生活への密着度を感じる。
ピアンティゴルスキーは、帝政ロシアが崩壊し共産主義国家に生まれ変わるときドイツに決死の覚悟で亡命した。そして、当時ベルリン・フィルの常任指揮者だったフルトベングラーに見初められ、ベルリン・フィルの第一チェロ奏者になった。
ベルリン・フィルでのフルトベングラーの指揮ぶりについての記述が面白い。
彼は弦楽器が弾けなかったので、私にしきりに弦楽器のコツを質問した。せめてコントラバスでも弾けたならもっといい指揮ができるのにと嘆いた。
彼がフォルテを振り下ろすまえには、エネルギッシュな足の一踏みと、頭の一振りが先行するのが常であった。それから一連の小さなギザギザの動きがあって(それは第一チェロ以下には決して見えないかったが)、それが彼の震える指揮棒をおろさせたのである。棒が目標に達したまさにその瞬間、オーケストラが入るのであったが、それは常に完璧な正確さであった。ピアノ(p)で出るときもほとんど同じであったが、ただ足踏みが省略され、ギザギザの動きもごく少なかった。
ロシア生まれのチェリストだ。
今「チェロとわたし」という彼の自伝を読んでいる。
1903年生まれで、7歳の時父からチェロを習い9歳でプロデビュー。
プロと言っても、お金が稼げるなら飲み屋だろうがなんだろうがどこでも弾く。9歳からチェロが身体の一部みたいになっている。
そんな彼が、あるオーケストラに入っていた時のことだ。
嫌いな客演指揮者が来た。
傲慢な指揮者が彼は気に入らない。そこで一計を案じた。
本番のとき、非常細い目に見えないくらいの糸を買ってきて、友人の実直なチェリストのエンドピンに結び、天井の梁を通して舞台袖の友人に持たせた。
演奏がクライマックスになったとき、ピアンティゴルスキーは友人に目くばせした。
友人はそろそろと糸を手繰る。
すると実直なチェリストのチェロがだんだん宙に浮かびだす。
実直なチェリストは、必死に演奏を続けようとするが、とうとうチェロは空間に浮かんでしまい演奏会は台無しになった。
この本を読んでいると、ピアンティゴルスキーは、日本で言えば、流しのギター弾きか三味線弾きのような気軽さを感じる。同時に、ロシアやヨーロッパの、音楽文化の生活への密着度を感じる。
ピアンティゴルスキーは、帝政ロシアが崩壊し共産主義国家に生まれ変わるときドイツに決死の覚悟で亡命した。そして、当時ベルリン・フィルの常任指揮者だったフルトベングラーに見初められ、ベルリン・フィルの第一チェロ奏者になった。
ベルリン・フィルでのフルトベングラーの指揮ぶりについての記述が面白い。
彼は弦楽器が弾けなかったので、私にしきりに弦楽器のコツを質問した。せめてコントラバスでも弾けたならもっといい指揮ができるのにと嘆いた。
彼がフォルテを振り下ろすまえには、エネルギッシュな足の一踏みと、頭の一振りが先行するのが常であった。それから一連の小さなギザギザの動きがあって(それは第一チェロ以下には決して見えないかったが)、それが彼の震える指揮棒をおろさせたのである。棒が目標に達したまさにその瞬間、オーケストラが入るのであったが、それは常に完璧な正確さであった。ピアノ(p)で出るときもほとんど同じであったが、ただ足踏みが省略され、ギザギザの動きもごく少なかった。