片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

マニュアルには企業理念が現われるとおっしゃる勝畑さんにお会いしてきました。

2012年02月17日 | 感動したこと
世界中にブルトーザーやパワーショベルを売っているグローバル企業のキャタピラー社にとって、機械の操作や整備のマニュアルは、どの国の人でも分かるものである必要があった。
当時キャタピラー社の社員だった勝畑さんは、そんな自社のマニュアルの素晴らしさに尊敬の念をいだいていた。キャタピラー社にはキャタピラー英語というのがあって、入社時教育で仕込まれるのだという。
1986年、当時キャタピラー三菱だったが、会社の倫理規定によって、泥臭い営業ができない同社は、小松に追い上げられ1200人のリストラを余儀なくされた。
会社は、三菱グループを中心に転職を斡旋したが、残ったのは部長次長といった50歳前後の管理職だった。そのほとんどが国立大学出身のエリートで、頭は良いがプライドも高い。勝畑さんは、そんな36人を任されて新規事業を始めることになった。条件は、投資はダメ、採用はダメ、3年以内に利益を出せ、だった。
高給取りでプライドの高い36名に何をさせればいいのか最初は見当もつかなかったが、当時トヨタが海外進出を計画していて、そのマニュアルを作る必要があった。日本人は個々人が優秀だから現場作業の細かいマニュアルはなかった。しかしそれでは外国では物つくりはできない。トヨタは勝畑さんの提案に乗り、勝畑さんのビジネスは高給取りの36名でも採算が取れるまでになった。

マニュアルというのは動作を促すものでなければならない。ところが日本のマニュアルは「こうすべきだ」的な表現が多く、読んでもよく分からないものが多い。動詞を中心にして、次に主語と目的語を決めるというふうに書かないとダメだという。

マニュアルの起源はローマ時代にさかのぼるという。ローマとカルタゴの戦いがあったとき、カルタゴは職業軍人だったがローマは兵役を課せられた素人で、普通の兵士は3年で交代した。入れ替わりが頻繁なので、いろんな作業について、引継ぎを効率よくきちんとしないと戦いに支障が出る。そこで戦車の整備の仕方などのマニュアルができた。先輩から後輩に作業手順を伝えるためのものだ。素人集団だから兵士の補充は簡単で、伝承もできた。そしてカルタゴに勝つことができた。

勝畑さんのお話を伺っていて、情報システムのマニュアルのことを考えた。操作マニュアルを作るのは、仕事現場を知らないシステムベンダーだったりする。納期と予算に縛られてやっつけ仕事で作ったマニュアル。そんなものが使いやすいはずはない。

私には、日本のマニュアルを良くしたいという想いがある。
勝畑さんはご高齢だが、1時間半に及んで速射砲のようにマニュアルに対する想いを語ってくださった。最後にはありがとう!とまで言ってくださった。
一緒に行ったのは、JUASなどで操作マニュアルや業務マニュアルのセミナー講師をされている文書コンサルタントの丸山さん(左)と、東京海上日動で、情報システム部門と内部監査室を歴任され、情報システム開発における予防的内部監査という論文を出された田中さん(右)。

勝畑語録はたくさんあった。書ききれない。ひとつだけ。「ユーザマニュアルは、顧客が利益を生むためのものだ」。

4月のBPIAの目からウロコの新・ビジネスモデル研究会に講師として来ていただけることになったのであとはそちらに譲る。