91歳の親父は腰が曲がってしまって、もう耕運機は扱えない。
代わりにやることにした。実は初めての体験。
エンジンをかけてそろそろ畑に乗り込む。
最初おたおたしたが、10分くらいすると慣れてきた。
朝9時から午後1時まで、4時間かかったが、家の裏の畑を耕した。
5月の連休明け、霜が降りなくなったら野菜の種を蒔いたり苗を植えたりする。
父は、同級生のみならず、何歳か年下の人たちまで、周囲はみんな死んでしまって、自分一人だと、何度も嘆く。
私は長男だったが、将来が見えない農業を嫌って東京へ出てしまった。
毎年目に見えて老いてゆく父に月一回は付き合って行こう。
自分のためにのみ生きてきたが、これからは社会のために生きることの比重を高めようと思う。
写真は、私が耕した畑と耕運機・まめトラ「牛若」
代わりにやることにした。実は初めての体験。
エンジンをかけてそろそろ畑に乗り込む。
最初おたおたしたが、10分くらいすると慣れてきた。
朝9時から午後1時まで、4時間かかったが、家の裏の畑を耕した。
5月の連休明け、霜が降りなくなったら野菜の種を蒔いたり苗を植えたりする。
父は、同級生のみならず、何歳か年下の人たちまで、周囲はみんな死んでしまって、自分一人だと、何度も嘆く。
私は長男だったが、将来が見えない農業を嫌って東京へ出てしまった。
毎年目に見えて老いてゆく父に月一回は付き合って行こう。
自分のためにのみ生きてきたが、これからは社会のために生きることの比重を高めようと思う。
写真は、私が耕した畑と耕運機・まめトラ「牛若」