小林一茶の人となりを綴るお芝居なのかと思ったら、ちょっと様子が違う。
どうやら一茶は大金を盗んだ犯人らしい・・・。
これは一茶が大金を盗んだ嫌疑をかけられ、禁足された7日間に焦点を絞った舞台だ。
何故そんなことに、と疑問を持った見廻同心見習の五十嵐俊介が
お吟味芝居を仕立てることを思いつく。
自らが小林一茶に扮し、一茶の気持ちになってなぜそんなことをしたのかを考えよう、というものだ。
かくして、ご近所の面々が一茶を取り巻く人たちを、
そしてなぜかこのタイミングでつかまっている、飯泥棒が一茶のライバル竹里を演じることとなり、
事件の真相が暴かれていく・・・。
教科書などに出てくる、一茶の句の素朴でとぼけた感じから、
なんとなくいい人のイメージを持っていたけれど、ちょっと違っていた。
自身の野望のために、自分を愛してくれる人を利用し、友人を出しぬき、と
そこそこしたたかないやな奴だ。
いつ裏切られるかわからないので、友達にはしたくないタイプ。
なるほどこれならお金が無くなった時に疑われてもしょうがないというか・・・。
そして、なんとも胡散臭い一茶なら泥棒ってことにしてもいいんじゃないか、というみんなの利害が一致して、
犯人に仕立て上げられてしまう。
江戸での成功を目指した一茶は、この事件を機に江戸を離れ、芭蕉や蕪村の型を離れて
自由な表現ができるようになり、今日に知られる人物となったらしい。
うそつきでしたたかで、でもなんだか憎めないお茶目な一茶を和田正人さんが好演。
何度も騙され、出しぬかれながら、一茶の実力を認め、憎み切れないライバルの竹里に石井一孝さん。
一茶を愛して、裏切られるおよねをはじめ、4人の女性を演じ分けるのは荘田由紀さん。
なんとも艶っぽい。
舞台上では7日間しか過ぎていないけれど、そこに至るまでの一茶のさまざまな行いが、
回想シーンとして現れ、一茶の半生とまではいかないにしても、そこそこ長い期間の一茶の生き方が
丁寧に描かれていて、私の中の勝手な一茶のイメージが、ずいぶんと変わってしまった。
「こういう人なんだから、罪をあと1個くらい付け加えてもべつにいいんじゃない?」的な冤罪は
今の世にもまだあるのかもしれない。
ちょっと素行の悪い子が、なんとなく疑われてしまうことがあるように・・・。
人を色眼鏡で見ないようにすることはむずかしい。
情報があふれている今、マスコミの情報を鵜呑みにして、それだけを判断材料にするのはとても危険だ、
と言うことを改めて考えさせられた。
パンフレットに、故井上ひさしさんが選んだ一茶の句がいくつか書いてあった。
芭蕉の句には説明が必要だけれど、一茶の句はわかりやすい、
わかりやすい句を詠んだのは一茶が日本最初の人かも・・・、と井上さんは書いている。
井上さんが選んだ句の中に
芭蕉の
荒海や佐渡によこたふ天の川
と比べて
うつくしや障子の穴の天の川
というちょっとスケールの小さい句と、それとは対照的に
木曽川に流れ入りけり天の川
というスケールの大きな句がある。
天の川の見え方一つで、こんな風に表現が変わる。
たしかにストレートでわかりやすい。
なるほど俳句は奥が深い・・・、なんてことにも改めて気づかされた舞台でした。
どうやら一茶は大金を盗んだ犯人らしい・・・。
これは一茶が大金を盗んだ嫌疑をかけられ、禁足された7日間に焦点を絞った舞台だ。
何故そんなことに、と疑問を持った見廻同心見習の五十嵐俊介が
お吟味芝居を仕立てることを思いつく。
自らが小林一茶に扮し、一茶の気持ちになってなぜそんなことをしたのかを考えよう、というものだ。
かくして、ご近所の面々が一茶を取り巻く人たちを、
そしてなぜかこのタイミングでつかまっている、飯泥棒が一茶のライバル竹里を演じることとなり、
事件の真相が暴かれていく・・・。
教科書などに出てくる、一茶の句の素朴でとぼけた感じから、
なんとなくいい人のイメージを持っていたけれど、ちょっと違っていた。
自身の野望のために、自分を愛してくれる人を利用し、友人を出しぬき、と
そこそこしたたかないやな奴だ。
いつ裏切られるかわからないので、友達にはしたくないタイプ。
なるほどこれならお金が無くなった時に疑われてもしょうがないというか・・・。
そして、なんとも胡散臭い一茶なら泥棒ってことにしてもいいんじゃないか、というみんなの利害が一致して、
犯人に仕立て上げられてしまう。
江戸での成功を目指した一茶は、この事件を機に江戸を離れ、芭蕉や蕪村の型を離れて
自由な表現ができるようになり、今日に知られる人物となったらしい。
うそつきでしたたかで、でもなんだか憎めないお茶目な一茶を和田正人さんが好演。
何度も騙され、出しぬかれながら、一茶の実力を認め、憎み切れないライバルの竹里に石井一孝さん。
一茶を愛して、裏切られるおよねをはじめ、4人の女性を演じ分けるのは荘田由紀さん。
なんとも艶っぽい。
舞台上では7日間しか過ぎていないけれど、そこに至るまでの一茶のさまざまな行いが、
回想シーンとして現れ、一茶の半生とまではいかないにしても、そこそこ長い期間の一茶の生き方が
丁寧に描かれていて、私の中の勝手な一茶のイメージが、ずいぶんと変わってしまった。
「こういう人なんだから、罪をあと1個くらい付け加えてもべつにいいんじゃない?」的な冤罪は
今の世にもまだあるのかもしれない。
ちょっと素行の悪い子が、なんとなく疑われてしまうことがあるように・・・。
人を色眼鏡で見ないようにすることはむずかしい。
情報があふれている今、マスコミの情報を鵜呑みにして、それだけを判断材料にするのはとても危険だ、
と言うことを改めて考えさせられた。
パンフレットに、故井上ひさしさんが選んだ一茶の句がいくつか書いてあった。
芭蕉の句には説明が必要だけれど、一茶の句はわかりやすい、
わかりやすい句を詠んだのは一茶が日本最初の人かも・・・、と井上さんは書いている。
井上さんが選んだ句の中に
芭蕉の
荒海や佐渡によこたふ天の川
と比べて
うつくしや障子の穴の天の川
というちょっとスケールの小さい句と、それとは対照的に
木曽川に流れ入りけり天の川
というスケールの大きな句がある。
天の川の見え方一つで、こんな風に表現が変わる。
たしかにストレートでわかりやすい。
なるほど俳句は奥が深い・・・、なんてことにも改めて気づかされた舞台でした。