オリンピックの開催地決定のニュースは、残念ながらkおばちゃんの予想通り・・
だって理屈から入ってもまだ一度も開催されていない大陸じゃ太刀打ちできませんからね。
インフラの問題等不安材料があるけれども、原点に立ち返れば良いだけのはなしでしょうね。
このオリンピックよりもワールドカップが南アフリカで本当に開催されのか・・お客さんは行くのか・・ということのほうが気になりますね。
今日はある演奏を聞いてちょっぴりおセンチになってしまったkおばちゃん。
いえ、演奏そのものじゃないんです。演奏者の人生を考えてです。
何不自由なかった生活から・・・現在の病魔と向き合わなきゃいけない人生。
でもそれがかえって彼女に力を与えたような、今までにない歯切れのよさ。
一回こっきりの人生ですからね。精一杯やりましょうね。
○7月1日(水)
フクヴァルディHukvaldyまでやってきて、お目あての建物にはいれないことを考えたら芝刈りをまっているくたらいどうってことないわ・・とおじさんの芝刈り終了を待つことにしました。
待っていうる間には空模様が・・ゴロゴロと雷の音が遠くから聞こえてきます。そういえば昨日も走っている間にそんなお天気に遭遇しましたね。
後日見た『男自転車2人旅』という番組で同じようなお天気だなあ・・とみていたらどうもこのころ収録していたようですから同じはずですね。
お玄関に非難です。ドアーの前に佇んで待ちます。
このドアーはちょっとおしゃれです。こんな鈴蘭のような彫り物があります。
上の欄間は楽譜が・・
お玄関先からの眺めはこんな感じで・・これを眺めながら待ちました。
おじさんの『5分』はkおばちゃんの思ったとおり『5分』では済みませんでしたが、雨も降ってきたので超特急で刈っている感じは芝刈り機の『ウィーーーーン』というモーター音からも感じられました。
そうそう、この建物はこのHPによると、弟のおうちだったものを未亡人から晩年買い取って『故郷の別荘』として使用していた建物だそうです。
この故郷の自然を愛した彼は、森で雨にあたり発熱し、ここから近くの都市のサナトリウムに搬送され・・それきりこの場所に戻ることはなかった・・ということらしいです。
。
彼の没後、何時からかは知りませんがこの場所は『ヤナーチェク記念館Památník Leoše Janáčka』として一般に開放されています。
芝刈り機のモーター音が消えたなあと思ったら、お玄関先で雨宿りしていたkおばちゃんのところにおじさんが汗を拭き吹きやってきて・・鍵を開けてくれ中に入れてくれました。で、またどこかに入ってしまいました。
まあいいです、自由に見せて頂きましょうね。
ここは居間兼書斎ですかね。
後でおじさんが説明してくれましたが、奥のハルモニウム(オルガンの一種)で作曲をしていたそうです。
ここは寝室ですね。
いつも思うのですが、このころの時代のベットてあまりおおきくないんですよね。
ここは確か・・キッチンだったと思います。
まあ、ヤナーチェク氏自身が料理をしたとも思えませんけどね。
きっと滞在中は近隣の女性をメイドとして雇っていたのかしら・・なんてね妄想してしまいました。
そのほかには、壁にいろいろと写真?というか肖像がかかっていたりして、おじさんが『これは、ほらヤナーチェクの彼女』なんて説明してくれました。
ヤナーチェク氏の最後の滞在時も同行していたのは奥様ではない・・とあのHPに書いてありましたもんね。
そういえば、あのおじさん英語はもとよりドイツ語もしゃべれませんでしたからいかにここが国際的というよりはチェコの国民にとっては有名なところか分かりました。
ですからおじさんに『ところでどこから来たの?』ときかれてなんだか『日本から』と答えられなくって(きっと分かってもらえないだろうな・・と思ってね)、ヤナーチェクの活躍した町の名前『ブルノBrnoからです』と大嘘をついてしまいました。でも、おじさんはなんの不思議も思わなかったようです。
嘘ついてごめんなさい。
最後に売店で、ヤナーチェクのCDを見ていたら、しきりに『ほらイェヌーファJejí pastorkyňaもあるよ。』とお勧めくださるのですが・・あのお話あんまり好きじゃないというか・・それにkおばちゃんはヤナーチェクといえば『シンフォニエッタ』だと思っているので、もちろんそれをお願いしました。
いままでリオ君に乗っているときにはかけるCDがなかったんですよね。残念だったんですがこれで少しにぎやかになります。
一通り見学を終えると、おじさんは『ヤナーチェクの生まれた家には行ったのか?』と聞いてくるので『行っていないです』と答えると『ぜひ行きなさい』とお勧めくださいましが・・・果たして開いてるでしょうかね?
丁度雨も上がっていたので、とりあえずおじさんのお勧めもありますし、もう一つ行きたい場所があるのですがその場所の情報を確認したいので・・さっきしまっていたインフォメーションに再び向かうことにしたkおばちゃんです。
さっきの雨で庭の緑も一段とあでやかになったようです。
フクヴァルディにはヤナーチェク氏は11歳までしかおらず、その後は『訪問』という形で訪れただけ・・だったのだとろうけれど、彼の心はいつでもこのフクヴァルディの自然の中にあったのではないか・・なんて思っているkおばちゃんです。
だって理屈から入ってもまだ一度も開催されていない大陸じゃ太刀打ちできませんからね。
インフラの問題等不安材料があるけれども、原点に立ち返れば良いだけのはなしでしょうね。
このオリンピックよりもワールドカップが南アフリカで本当に開催されのか・・お客さんは行くのか・・ということのほうが気になりますね。
今日はある演奏を聞いてちょっぴりおセンチになってしまったkおばちゃん。
いえ、演奏そのものじゃないんです。演奏者の人生を考えてです。
何不自由なかった生活から・・・現在の病魔と向き合わなきゃいけない人生。
でもそれがかえって彼女に力を与えたような、今までにない歯切れのよさ。
一回こっきりの人生ですからね。精一杯やりましょうね。
○7月1日(水)
フクヴァルディHukvaldyまでやってきて、お目あての建物にはいれないことを考えたら芝刈りをまっているくたらいどうってことないわ・・とおじさんの芝刈り終了を待つことにしました。
待っていうる間には空模様が・・ゴロゴロと雷の音が遠くから聞こえてきます。そういえば昨日も走っている間にそんなお天気に遭遇しましたね。
後日見た『男自転車2人旅』という番組で同じようなお天気だなあ・・とみていたらどうもこのころ収録していたようですから同じはずですね。
お玄関に非難です。ドアーの前に佇んで待ちます。
このドアーはちょっとおしゃれです。こんな鈴蘭のような彫り物があります。
上の欄間は楽譜が・・
お玄関先からの眺めはこんな感じで・・これを眺めながら待ちました。
おじさんの『5分』はkおばちゃんの思ったとおり『5分』では済みませんでしたが、雨も降ってきたので超特急で刈っている感じは芝刈り機の『ウィーーーーン』というモーター音からも感じられました。
そうそう、この建物はこのHPによると、弟のおうちだったものを未亡人から晩年買い取って『故郷の別荘』として使用していた建物だそうです。
この故郷の自然を愛した彼は、森で雨にあたり発熱し、ここから近くの都市のサナトリウムに搬送され・・それきりこの場所に戻ることはなかった・・ということらしいです。
。
彼の没後、何時からかは知りませんがこの場所は『ヤナーチェク記念館Památník Leoše Janáčka』として一般に開放されています。
芝刈り機のモーター音が消えたなあと思ったら、お玄関先で雨宿りしていたkおばちゃんのところにおじさんが汗を拭き吹きやってきて・・鍵を開けてくれ中に入れてくれました。で、またどこかに入ってしまいました。
まあいいです、自由に見せて頂きましょうね。
ここは居間兼書斎ですかね。
後でおじさんが説明してくれましたが、奥のハルモニウム(オルガンの一種)で作曲をしていたそうです。
ここは寝室ですね。
いつも思うのですが、このころの時代のベットてあまりおおきくないんですよね。
ここは確か・・キッチンだったと思います。
まあ、ヤナーチェク氏自身が料理をしたとも思えませんけどね。
きっと滞在中は近隣の女性をメイドとして雇っていたのかしら・・なんてね妄想してしまいました。
そのほかには、壁にいろいろと写真?というか肖像がかかっていたりして、おじさんが『これは、ほらヤナーチェクの彼女』なんて説明してくれました。
ヤナーチェク氏の最後の滞在時も同行していたのは奥様ではない・・とあのHPに書いてありましたもんね。
そういえば、あのおじさん英語はもとよりドイツ語もしゃべれませんでしたからいかにここが国際的というよりはチェコの国民にとっては有名なところか分かりました。
ですからおじさんに『ところでどこから来たの?』ときかれてなんだか『日本から』と答えられなくって(きっと分かってもらえないだろうな・・と思ってね)、ヤナーチェクの活躍した町の名前『ブルノBrnoからです』と大嘘をついてしまいました。でも、おじさんはなんの不思議も思わなかったようです。
嘘ついてごめんなさい。
最後に売店で、ヤナーチェクのCDを見ていたら、しきりに『ほらイェヌーファJejí pastorkyňaもあるよ。』とお勧めくださるのですが・・あのお話あんまり好きじゃないというか・・それにkおばちゃんはヤナーチェクといえば『シンフォニエッタ』だと思っているので、もちろんそれをお願いしました。
いままでリオ君に乗っているときにはかけるCDがなかったんですよね。残念だったんですがこれで少しにぎやかになります。
一通り見学を終えると、おじさんは『ヤナーチェクの生まれた家には行ったのか?』と聞いてくるので『行っていないです』と答えると『ぜひ行きなさい』とお勧めくださいましが・・・果たして開いてるでしょうかね?
丁度雨も上がっていたので、とりあえずおじさんのお勧めもありますし、もう一つ行きたい場所があるのですがその場所の情報を確認したいので・・さっきしまっていたインフォメーションに再び向かうことにしたkおばちゃんです。
さっきの雨で庭の緑も一段とあでやかになったようです。
フクヴァルディにはヤナーチェク氏は11歳までしかおらず、その後は『訪問』という形で訪れただけ・・だったのだとろうけれど、彼の心はいつでもこのフクヴァルディの自然の中にあったのではないか・・なんて思っているkおばちゃんです。