FORZA世界史inBLOG

世界史の復習をサポートするブログです

宗教改革 03明治大学

2012年05月20日 | 復習用入試問題

次の文章を読み,下記の設問(1~6)に答えなさい。 03明治大学

1 宗教改革は,ドイツからおこった。教皇レオ10世は大聖堂改修の資金調達のため,贖宥状(免罪符)を発行し,それをアウグスブルクの (1) 家と結んで販売させた。マルティン=ルターはかねてカトリックの教義に疑問を抱いていたことから,1517年,大学の教会の扉に (101) を発表し,贖宥状の販売を攻撃した。
2 イギリスの宗教改革は,国王 (102) からはじまった。彼はカトリック信仰の擁護者として教皇からたたえられたほどであったが,王妃との離婚問題から教皇と対立し,破門されるにいたった。そのため彼は (2) 年首長法によって,国王を首長とするイギリス国教会をつくり,さらに修道院を解散してその財産を没収し王権の強化に努めた。
3 宗教改革の運動は,スイスやフランスにも広がった。フランス人(ア)カルヴァンは,ジュネーヴを拠点に改革運動を展開した。彼は神によって与えられた職業に専念し生活のすべてを「神の栄光のために」ささげることを強調した。勤労を重んじ浪費を戒めるカルヴァン派は,フランスではユグノー,ネーデルラントでは (103) ,イングランドではピューリタンと呼ばれた。
4 改革運動の高まりのなかでローマ教会ではカトリックの再建がはかられた。カトリック改革の中心となったのが1545年から開かれた(イ)トリエント公会議で,教会の再建方法がはかられた。スペイン人の (104) はイエズス会を組織し軍隊的な規律のもと布教活動を展開した。日本に初めてキリスト教をもたらしたフランシスコ=ザビエルもこの会の宣教師であった。
5 1555年,アウグスブルクの宗教和議ののち,新旧両教の対立は解消されず,1618年にはべーメン(ボヘミア)の新教徒が国王に反抗したのをきっかけに三十年戦争がはじまった。最初は宗教的色彩が濃かったが,しだいに列国の干渉によりて政治的色彩を強くしていった。結局1648年に(ウ) (105) 条約によって戦争は終結した。

問1 空欄(101)~(105)に,それぞれ最も適した語句を記入しなさい。

問2 空欄(1)に適する語句を次から一つ選び,マークしなさい。
A フッガー B ブルボン C ヨーク
D ヴァロワ E メディチ

問3 空欄(2)に該当する年を次から一つ選び,マークしなさい。
A 1509 B 1516 C 1524 D 1534 E 1547

問4 下線部(ア)に関して,カルヴァンが公刊した著作を次から一つ選び,マークしなさい。
A 『キリスト者の自由』 B 『キリスト教綱要』
C 『愚神礼賛』 D 『随想録』
E 『告白録』

問5 下線部(イ)の説明で誤りであるものを次から一つ選び,マークしなさい。
A 教皇の至上権が再確認された。
B 異端審問の強化と禁書目録が定められた。
C 教会組織で長老制度をとりいれた。
D この会議の目的は当初新旧両教の調停にあったが,新教側が出席を拒否した。
E 聖書とならんで秘蹟(サクラメント)が教義の基礎とされた。

問6 下線部(ウ)の条約によって独立が承認された国の組合せとして,最も適したものを次から一つ選び,マークしなさい。
A プロイセンとスイス B スイスとオーストリア
C オランダとプロイセン D プロイセンとオーストリア
E オランダとスイス


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
答え (いな)
2008-07-04 23:36:47
宗教改革、明大と03獨協の解答宜しくお願いします。
返信する