【前480】年の【サラミスの海戦】のころの戦闘は、3階建ての船に1フロア左右30人ずつ計60人、3階で180人の舟の漕ぎ手が船を動かしました。戦闘は自分の船の切っ先を敵の船の横腹に激突させて沈める。もしくは敵の船に乗り移って肉弾戦をする。したがって、戦いの勝敗は【舟の漕ぎ手】がいかに息を合わせて船をコントロールするかにかかっていたのです。
船内は熱さで耐え難い状態であったろうと思います。漕ぎ手は裸で、司令官の声に合わせてオールを漕ぎ続けたと思います。アテネの勝利は彼ら舟の漕ぎ手の活躍によったのです。
舟の漕ぎ手となって活躍した【無産市民】たちは自分たちの家族を守りたかったのでしょう。もし敗北すれば家族は奴隷として連れ去られることでしょう。しかし、この勝利でペルシア陸軍も退却し、アテネは建国以来最大の危機を乗り切ったのです。
無産市民が裸で活躍した結果、ペルシア戦争が終わると彼らにも政治的発言力が認められ、財産もないその日暮らしの彼らも役人や政治担当者になれる制度が作られました。サラミスの海戦がアテネの【民主政治を確立】させたのです。
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