【1878】年の【ベルリン】会議でバルカン半島諸国(【セルビア】・【モンテネグロ】・【ルーマニア】)の独立が国際承認されると、オスマン=トルコの解体は一段したかにみえた。
しかし、1880年代になるとフランスなどの帝国主義国がオスマン領内に植民地を建設する動きが顕著になったきた。そのため再び改革の必要性に迫られ、【ミドハト憲法】の復活を目指す【青年トルコ党の革命】(別名【サロニカ革命】)が1908年に成功した。
★チェック・ポイント
�時期
=1908年
�目的
=ミドハト憲法の復活
�青年トルコ党の目的(スローガン)
=ミドハト憲法の復活
�青年トルコ党の正式名称
=統一と進歩委員会(結成年=1889年)
�革命のきっかけ・原因
=日露戦争における日本の勝利が影響した
�中心人物
=エンヴェル・パシャ
�革命の中心地
=サロニカ(ギリシアの都市)
�影響
=ブルガリアが独立
=オーストリアが革命に乗じてボスニア・ヘルツェゴビナを併合した。
�退位したスルタン
=アブデュル・ハミト2世
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