FORZA世界史inBLOG

世界史の復習をサポートするブログです

ワークシート(29)中国史(12)隋唐宋の社会経済

2011年07月15日 | ワークシート
ワークシート(29)中国史(12)隋唐宋の社会経済

 隋と唐は長安を都とした。都の【 】は貴族が生活する政治都市であった。とくに唐代になると都の【 】は人口が100万人を越え、世界各地から人々が訪れる国際都市でもあった。たとえばネストリウス派キリスト教が伝わり、「大秦景教流行中国碑」が建てられた。この【 】派キリスト教はエフェソス公会議で異端とされた。また、長安で異邦人が住む場所を「蕃坊(バンボウ)」という。「【 】」の「坊」とは直角に交わる道が作る区画をさす。一方、海上貿易も発達した。イスラム教商人が広州に訪れたが、その【 】には市舶司が置かれた。広州におかれた【 】とは貿易を管理する役所である。
 960年に成立した宋(北宋)の都は開封である。都の【 】も100万を越える大都市だが、商業都市として発達した。唐の都長安が貴族の住む【 】都市であったのと対照的に、宋の都【 】は商人が住む【 】都市であった。開封には「酒楼(シュロウ)」や「瓦市(ゴイチ)」があったが、「【 】(シュロウ)」は現在のホテルで、「【 】(ゴイチ)」は市場である。その他の都市も商業が発展した。唐代で都市の外に開かれた草市から「鎮」という都市が成立していった。すなわち「【 】」は地方の商業都市で、「行(コウ)」・「作(サク)」という組合が商業を独占していた。「【 】(コウ)」は商人の組合で、「【 】(サク)は手工業者の組合である。また、これらの商業都市を結びつける広域に活躍する商人を「客商」という。「【 】」といった広域商人は各地の特産物を運んで利益を上げた。とくに白磁(ハクジ)・青磁(セイジ)という陶器を製造した景徳鎮が有名であり、この【 】では現在でも陶器を製造している。【 】は唐代に広州だけに置かれた貿易管理の役所だが、宋代になると、【 】に加えて泉州にも置かれた。
 南宋の都は臨安に置かれた。都の【 】は現在の杭州である。南宋では中国人が華北から大量に移住した。そのため江南地方は飛躍的に発展し、とくに長江下流域では「江浙(コウセツ)熟すれば天下足る」といわれるほど、【 】地方は中国の穀倉地帯になった。とくに南ヴェトナムのチャンパから持ち込まれたチャンパ米が栽培され、二年三毛作で高収益を上げた。南ヴェトナムの【 】を中国では「占城」といったので、【 】米を占城米ともぃう。
 唐代780年に両税法が施行された。【 】法は銅銭で納税したため貨幣経済が急速に発展した。唐代では使われ始めた「飛銭」は手形であったが、北宋では「交子」が使用された。この「【 】」は世界初の紙幣である。南宋では「会子」が、金では「交鈔(コウショウ)」という紙幣が使用された。しかし、金は「【 】」を印刷しすぎたためインフレに苦しんだ。










ワンフレーズ・チェック
(1) 唐の都長安には【 】派キリスト教が伝わり「【 】碑」が建てられた。
(2) 【 】は政治都市として、北宋の【 】や南宋の【 】は商業都市として人口100万人を越えた。
(3) 宋代の地方都市である【 】には商人組合の【 】や手工業組合の【 】が成立した。
(4) 【 】は白磁や青磁を特産物として発展した。
(5) 宋代になると長江下流地域は穀倉地帯として「【 】」といわれるほど発展した。
(6) 江南地方には南ヴェトナムから「【 】米」が持ち込まれた。
(7) 唐では【 】という手形が、北宋で【 】、南宋で【 】、金で【 】の紙幣が使用された。


最新の画像もっと見る