【18】世紀にフランスやイギリスで啓蒙思想が盛んになった頃になって、ロシア・プロイセン・オーストリアではようやく絶対王政が成立しました。それは、イギリスでは17世紀のピューリタン革命や名誉革命で絶対王政は崩れ去っていましたし、フランスのブルボン朝では重商主義政策の失敗から国家財政が苦しくなり、絶対王政に先行きに不安が大きくなっていた頃です。
【ロシア】・【プロイセン】・【オーストリア】では、そのような英仏の政治情勢を無視して絶対王政を築くことはできませんでした。新しい政治思想である【啓蒙思想】がすでにこの3国の人々にも知られていたからです。
そこで、この3国の王たちは、啓蒙思想家が説くような世の中にするには、強力な指導力が必要なのだ!といいました。とくに【プロイセン】の【フリードリヒ2世】は自らを「【国家第1の下僕】」と呼び、国王が進んで国民を指導し、イギリスやフランスに追いつく必要性を説いています。このことは矛盾した考え方です。民主主義を実現するために強力な独裁が必要だ、というわけです。
以上ような考え方に基づいて絶対王政をおこなった、ロシアの【ピョートル1世】や【エカチェリーナ2世】、プロイセンの【フリードリヒ2世】、オーストリアの【マリア=テレジア】や【ヨーゼフ2世】のことを、【啓蒙専制君主】とよびます。啓蒙専制君主は東欧で出現した絶対王政の一種といえます。
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