【ディオクレティアヌス】は【284】年に即位しましたが、やっと統一したローマを4つに分けて、自らと3人の優秀な将軍と、4人で分けて支配することにしました。これを「【4分統治】」体制といいます。4人は東の正帝・東の副帝と、西の正帝・西の副帝として君臨しました。ディオクレティアヌスは【東の正帝】です。
しかし、ディオクレティアヌスが亡くなると、残った3人の皇帝たちが争い、再び内戦に陥りました。この内戦を終わらせて、もう一度ローマに統一をもたらしたのが西の副帝だった【コンスタンティヌス】でした。
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