FORZA世界史inBLOG

世界史の復習をサポートするブログです

プラトン的に存在するか?ニーチェ的に存在するか?

2012年12月13日 | 何かの足しになれば

 「存在」について対照的な志向を示した二人の巨人の話です。倫理や世界史でプラトンの「イデア」について学習します。「イデア」とは不変の真理のこと。たとえば「机」を紙に書いてみてください。多種多様な「机」が存在するにもかかわらず、誰もが「机」をイメージできます。その誰もが共通して持っている「机」こそが、机のイデアです。したがって、そのイデアは個別に存在する机の中に含まれていることになります。つまりプラトンが言う「存在」とは、イデアすなわち「不変の真理」のこと。誰かに出会ってその人の影響を受けても、決して変わることのない自分が存在する。それがプラトンのいう「存在」です。決して変わることのない自分がいる。そうプラトンは説くのです。


 一方、19世紀に登場したニーチェは、「変化することによって存在する」といいます。古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスの言葉がニーチェを理解するヒントになるのですが、それは「人間は決して同じ川に入ることはできない」という有名な言葉です。一回目に入った時の川とは全体としてみれば変わってないように思えますが、そこに流れている川の水は、一回目に入った時の水ではない。なかなか示唆に富んだ言葉です。ニーチェは存在が立証できるのは、その存在が常に新しく変化しているからだ、というわけです。彼は、そのように不断の変化を続けている人間を「超人」といいました。つまり過去の自分を越えていくことを続けることで、自分の存在を感じる人間のことです。


 過去の自分、現在の自分、未来の自分、これらは刻々と時間とともに変化している。そうであるからこそ人間は存在しているといえるのだ、とニーチェは言うわけです。誰かと出会ったときに、その人から受けた影響を自分のものにして、新しい自分が存在することを感じる。そんな存在の仕方がニーチェ的です。
 あなたはプラトン的に存在しますか?それともニーチェ的ですか?


最新の画像もっと見る