アッシリアの王や新バビロニアの【ネブカドネザル2世】と【キュロス2世】の政治の仕方に大きな違いがあります。ネブカドネザル2世の【バビロン捕囚】(前586年)は、征服した民族を殺戮し、生き残った人々が反抗しないように民族のアイデンティティを奪う、その代表例であるということです。民族のアイデンティティとわかりづらいでしょうか。【ユダ】の人々が信じている神を否定し、その神殿を破壊する。神殿を再建してしないように故郷から遠く離れた土地に強制的に移住させる。人々はばらばらになり、家族と離れ、仲間と別れて生活するうちに、新しく住む土地に次第になじみ、いつしか自分の祖先がユダであったことを忘れていく。そんな風にしてしか多くの異民族を支配するスベがなかったわけです。
アッシリアの王【アッサルハドン】にしても、フェニキア人の都市シドンやティルスを徹底的に破壊しました。フェニキア人はやむ終えず、【カルタゴ】などに亡命していったわけです。
アケメネス朝ペルシアの【キュロス2世】はバビロンにいたユダの人々を解放しました。アッシリアや新バビロニアの時代に行われていた方法を止めたわけです。征服した人々を強制的に移住させる政策は、征服された人々の反感を招くだけだということを、アッシリアの滅亡などから、彼は学んだのでしょう。これによりアケメネス朝ペルシアは【220】年間も続く、歴史上最初の大帝国になったといえます。
ではアケメネス朝ペルシアはどのように異民族を支配したのでしょうか。全盛期の王【ダレイオス1世】は、征服した民族の中からその国を任せる人物を選び出します。その人物を【サトラップ】に任命しその地の政治を任せるわけです。しかし、スパイを送り込むことも忘れませんでした。そのスパイ(監察官)のことを「【王の目】、【王の耳】」といいました。まさに壁に耳あり障子に目ありです。軍用道路も整備したそうです。都の【スサ】から小アジアの【サルデス】までを「【王の道】」という軍用道路で結び、万が一の出来事に対応しました。
最新の画像[もっと見る]
- 王政復古~名誉革命期のオランダ・長老派議会との関係 1年前
- イタリア戦争 1年前
- 近代主権国家 1年前
- ピューリタン革命は特権階級の分裂 1年前
- ブルボン朝 絶対王政の完成 1年前
- アメリカ独立革命はなぜ、どこが革命なのか? 1年前
- イスラム史年代暗記 2年前
- 西欧哲学の系譜 2年前
- 2020年慶応義塾大学経済学部問題 4年前
- 2016年上智大学TEAP(改)中南米©植民地の特徴 4年前