ワークシート(11)古代ローマ史(3)パクス・ロマーナ
前27年オクタヴィアヌスが元首制を開始した。この元首制をプリンキパトゥスという。元首制すなわち【 】は、伝統的な元老院の権限を認めながらも、重要な事項は皇帝が決定していく仕組みをとり、実質的な帝政であった。初代皇帝となった【 】が即位した【 】年から180年までの約200年間はローマ帝国の全盛期であった。この前27年から【 】年までのローマ帝国の全盛期を「パクス・ロマーナ」すなわち「ローマの平和」と呼ぶ。
この「【 】」の時期、ローマ帝国は全盛期であったのでローマの軍事力は強大で、安価な奴隷が大量に入手することができた。その結果、安価に入手した【 】を大量に使用して経営する大農場をラティフンディウムという。この【 】経営はローマが征服した属州に広がり、全盛期のローマ帝国の経済を支えた。
初代皇帝【 】の後を継いだのはティベリウス帝であった。この【 】帝の名が歴史に残るのは、ユダヤ総督ピラトゥスがイエスを処刑した時代の皇帝だからである。また第4代皇帝ネロは、12使徒の一人であるペテロと、この【 】のように12使徒ではないが、キリスト教をローマ帝国内に広めたパウロを、ローマで処刑した。【 】帝が【 】と【 】を処刑したのは、前64年のローマの大火の責任をキリスト教徒に負わせるためであった。
96年から180年までの間、5人の優秀な皇帝が登場した。この96年から【 】年までのパクス・ロマーナ後半の時代を五賢帝時代と呼ぶ。最初の五賢帝はネルヴァ帝、2人目はトラヤヌス帝である。ローマ帝国は2人目の【 】帝はダキアを征服して、最大の領域を支配するようになった。トラヤヌス帝が征服した【 】はドナウ川の北側に位置し、現在のルーマニアにあたる。
3人目のハドリアヌス帝はブリテン島(イギリス)に長城を建設し、北のケルト人の侵入を防いだ。そのためこの長城を皇帝の名前を取って「【 】の長城」という。5人目のマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝はストア派哲学者として『自省録』を著す哲人皇帝である。また、この【 】帝の名前は中国の歴史書『後漢書西域伝』の中に「大秦王安敦」として記録されている。その記録によればマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝すなわち「【 】」は、166年に日南郡にまで使者を派遣した。この【 】郡は現在のヴェトナム中部にあった。
パクス・ロマーナの時代は文化が発展した。とくに歴史学では、初代皇帝【 】の友人リヴィウスが『ローマ建国史』を、2世紀にはタキトゥスが『ゲルマニア』、プルタルコスが『対比列伝』を著した。リヴィウスが著した『【 】』はローマ建国以来の歴史を記録している。また【 】が著した『ゲルマニア』は、カエサルが現した『ガリア戦記』とともに、ゲルマン人の資料として価値が高い。【 】が著した『対比列伝』はギリシアとローマの英雄を比較・批評した書物である。
ワンフレーズ・チェック
(1) 【 】年~【 】年の約200年間続いたローマ帝国の全盛期を「【 】」という。
(2) 奴隷制大土地農場経営を【 】という。
(3) 【 】帝の時代、イエスはユダヤ総督【 】に処刑された。
(4) 【 】帝は「【 】」を口実にキリスト教徒を迫害し、【 】と【 】をローマで処刑した。
(5) ネロ帝に処刑された【 】は12使徒の一人だが、【 】は12使徒ではない。
(6) 五賢帝時代の【 】帝のとき、【 】を征服してローマ帝国の領土は最大になった。
(7) 北方の【 】人の侵入を防ぐために【 】帝はイギリスに「【 】の長城」を建設した。
(8) 五賢帝最後の皇帝【 】は中国の【 】郡に使者を派遣し「【 】」という名前で記録された。
(9) 【 】は『ローマ建国史』を著した。
(10) ゲルマン人の資料としてカエサルの『【 】』と【 】が著した『ゲルマニア』が重要である。
(11) プルタルコスは『【 】』を著して、ギリシアとローマの英雄を批評した。
前27年オクタヴィアヌスが元首制を開始した。この元首制をプリンキパトゥスという。元首制すなわち【 】は、伝統的な元老院の権限を認めながらも、重要な事項は皇帝が決定していく仕組みをとり、実質的な帝政であった。初代皇帝となった【 】が即位した【 】年から180年までの約200年間はローマ帝国の全盛期であった。この前27年から【 】年までのローマ帝国の全盛期を「パクス・ロマーナ」すなわち「ローマの平和」と呼ぶ。
この「【 】」の時期、ローマ帝国は全盛期であったのでローマの軍事力は強大で、安価な奴隷が大量に入手することができた。その結果、安価に入手した【 】を大量に使用して経営する大農場をラティフンディウムという。この【 】経営はローマが征服した属州に広がり、全盛期のローマ帝国の経済を支えた。
初代皇帝【 】の後を継いだのはティベリウス帝であった。この【 】帝の名が歴史に残るのは、ユダヤ総督ピラトゥスがイエスを処刑した時代の皇帝だからである。また第4代皇帝ネロは、12使徒の一人であるペテロと、この【 】のように12使徒ではないが、キリスト教をローマ帝国内に広めたパウロを、ローマで処刑した。【 】帝が【 】と【 】を処刑したのは、前64年のローマの大火の責任をキリスト教徒に負わせるためであった。
96年から180年までの間、5人の優秀な皇帝が登場した。この96年から【 】年までのパクス・ロマーナ後半の時代を五賢帝時代と呼ぶ。最初の五賢帝はネルヴァ帝、2人目はトラヤヌス帝である。ローマ帝国は2人目の【 】帝はダキアを征服して、最大の領域を支配するようになった。トラヤヌス帝が征服した【 】はドナウ川の北側に位置し、現在のルーマニアにあたる。
3人目のハドリアヌス帝はブリテン島(イギリス)に長城を建設し、北のケルト人の侵入を防いだ。そのためこの長城を皇帝の名前を取って「【 】の長城」という。5人目のマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝はストア派哲学者として『自省録』を著す哲人皇帝である。また、この【 】帝の名前は中国の歴史書『後漢書西域伝』の中に「大秦王安敦」として記録されている。その記録によればマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝すなわち「【 】」は、166年に日南郡にまで使者を派遣した。この【 】郡は現在のヴェトナム中部にあった。
パクス・ロマーナの時代は文化が発展した。とくに歴史学では、初代皇帝【 】の友人リヴィウスが『ローマ建国史』を、2世紀にはタキトゥスが『ゲルマニア』、プルタルコスが『対比列伝』を著した。リヴィウスが著した『【 】』はローマ建国以来の歴史を記録している。また【 】が著した『ゲルマニア』は、カエサルが現した『ガリア戦記』とともに、ゲルマン人の資料として価値が高い。【 】が著した『対比列伝』はギリシアとローマの英雄を比較・批評した書物である。
ワンフレーズ・チェック
(1) 【 】年~【 】年の約200年間続いたローマ帝国の全盛期を「【 】」という。
(2) 奴隷制大土地農場経営を【 】という。
(3) 【 】帝の時代、イエスはユダヤ総督【 】に処刑された。
(4) 【 】帝は「【 】」を口実にキリスト教徒を迫害し、【 】と【 】をローマで処刑した。
(5) ネロ帝に処刑された【 】は12使徒の一人だが、【 】は12使徒ではない。
(6) 五賢帝時代の【 】帝のとき、【 】を征服してローマ帝国の領土は最大になった。
(7) 北方の【 】人の侵入を防ぐために【 】帝はイギリスに「【 】の長城」を建設した。
(8) 五賢帝最後の皇帝【 】は中国の【 】郡に使者を派遣し「【 】」という名前で記録された。
(9) 【 】は『ローマ建国史』を著した。
(10) ゲルマン人の資料としてカエサルの『【 】』と【 】が著した『ゲルマニア』が重要である。
(11) プルタルコスは『【 】』を著して、ギリシアとローマの英雄を批評した。