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04 関西大学 古代ギリシア史

2006年06月13日 | 復習用入試問題
04 関西大学 古代ギリシア史

 次の文の( A )~( E )に入れるのに最も適当な語句を下記の語群Ⅰから,また( 1 )~( 10 )に入れるのに最も適当な語句を語群Ⅱから選び,その記号をマークしなさい。

 地中海の東部を主たる活動の舞台としていたギリシア人は,前5世紀に東方の大国であるペルシアと対決した。小アジアの( 1 )植民市のペルシアに対する反乱をアテネなどが援助したのをきっかけに起こったペルシア戦争である。ギリシア側は,前480年にアテネの( A )がひきいた艦隊が( 2 )の海戦でペルシア軍を破り,また前479年にアテネとスパルタの連合軍が( 3 )の戦いで勝利するなどして,ペルシアの侵攻をしりぞけた。戦争後,ギリシア側の中心となったアテネは全盛期をむかえ,( B )の指導のもとで民主政治が完成した。ギリシア人は,均整と調和のとれた美術の創造にすぐれ,( 4 )式のアテネのパルテノン神殿などをつくりだした。
 地中海の東部のギリシアから西部のイベリア半島へと目を転ずると,ここもまたヨーロッパ勢力と外部勢力との衝突の場となった歴史をもっている。イベリア半島では,ゲルマン民族大移動のなかでヨーロッパを東西に横断した( 5 )族が王国を築いていたが,8世紀の前半には( 6 )朝のイスラム教勢力が進出して( 5 )王国を滅ぼした。これ以降イベリア半島はキリスト教徒とイスラム教徒の勢力角逐の場となり,キリスト教勢力による統一が実現するにはカスティリャのイサベルとアラゴンの( C )との結婚を機縁として両国が合邦しスペイン王国が成立するのを待たなければならない。( 7 )年にスペインは,イスラム教徒の最後の拠点の( 8 )を占領し,国土回復運動(レコンキスタ)を完成させたのである。この( 7 )年はまた,イサベルの後援を受けたコロンブスが大西洋を西航して「インド」に到達すべく,スペインの( 9 )港を出帆した年でもあった。
 その後,スペイン王( D )は,1580年には王統の絶えた( 10 )の領土をも継承して世界中にまたがる「太陽の沈まぬ国」の支配者となった。この王の時代を生きた作家( E )は,『ドン=キホーテ』のなかで理想に燃える騎士が現実に翻(ほん)弄(ろう)されるさまを悲喜劇として描き出した。
〔語 群Ⅰ〕 ( A )~( E )
(ア) カルロス1世 (イ) ラブレー
(ウ) セルバンテス (エ) フェルナンド
(オ) フェリペ2世 (カ) ジョアン2世
(キ) ボッカチオ (ク) テミストクレス
(ケ) クレイステネス (コ) ペイシストラトス
(サ) ソロン (シ) ドラコン
(ス) ペリクレス

〔語 群Ⅱ〕 ( 1 )~( 10 )
(ア) 1492 (イ) 1497 (ウ) 1499 (エ) ウマイヤ
(オ) アッバース (カ) 後ウマイヤ (キ) 東ゴート (ク) ヴァンダル
(ケ) 西ゴート (コ) ポルトガル (サ) ギュイエンヌ (シ) ナポリ
(ス) アイオリス (セ) コリント (ソ) イオニア (タ) ドーリア
(チ) コルドバ (ツ) セビリャ (テ) グラナダ (ト) パロス
(ナ) リスボン (ニ) マラトン (ヌ) カイロネイア (ネ) サラミス
(ノ) アクティウム (ハ) プラタイア(プラテーエ)

正解
(A) (ク) (B) (ス) (C) (エ) (D) (オ) (E) (ウ)
(1) (ソ) (2) (ネ) (3) (ハ) (4) (タ) (5) (ケ)
(6) (エ) (7) (ア) (8) (テ) (9) (ト) (10) (コ)



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