8月11日に父路門フランソワ神父様の葬儀が聖イグナチオ教会で行われました。
教会は撮影禁止だったので、写真はネットにあったものをお借りしています。
イグナチオ教会は立て直す前に結婚講座で通ったことがあるだけで、新しい
教会も素晴らしいものでした。
白い花のスタンドが少しだけ置かれ、楚々とした式場に
神様がこの世に使わされた人をまた手元にもどされたという
空気が伝わってきました。
今まで親しい人の死に接すると自然に帰してあげると
思っていたのですが、神様に返すのですね。
「キリストの体である教会のために、
キリストの苦しみの欠けたところを
身をもって満たしています。」
(コロサイの信徒への手紙1-24)
フロモン神父様のお写真の裏に神父様にささげた言葉が
書かれていました。
皮肉っぽく厳しくでもやさしさのある神父様の
エピソードがたくさん紹介されました。
その厳しさはその人をへこたれさせるものではなくよりよく
なれるようなそんな優しさがあったとのことです。
主人と同じように病気の結果足が不自由になられて、
ご自分に対してもとても厳しい方だったとのことです。
若い頃、主人が神父様に松葉杖を使わないで歩くように
したらと言われて、努力して一時杖を使わないで
歩くことができるようになっていました。
主人も頑張り屋で、何でも自分でしようとしていました。
そういう主人を見ていてくださったのだと思いました。
葬儀でも目が不自由な方も数名いらしていました。
フロモン神父様に支えられていた人が多かったことを
うかがわせる式でした。
式の案内は先生がもう外出できなくなり、ロヨラハウスに先生に
会いに行った人たちにされたとのことでした。
先生に助けていただいた人たちに囲まれた旅立ちでした。
ロヨラハウスから出られなくなっても、今の日本の状態に
危機感を抱いて、フランスにメールをしていたとのことです。
世の中のこと、政治にも強い関心を持ち続けて、
最後まで明晰であられたとのことです。
6月末に主人のことを報告にロヨラハウスを訪れましたが
5分の面会と言われ、状態が深刻であることがわかりました。
これからもっとお付き合いをしたいと思っていたところでしたのに
遅かったですね。最後の力を振り絞るように、私を祝福して下さった
ことはこれからの私を心のどこかで支えてくれるものになると
思いました。
讃美歌を歌い、焼香をしてカトリックと言っても押し付けない感じでとてもいいお通夜でした。
献花の時間は無くなってしまったみたいでした。
学生時代は毎日礼拝があり、讃美歌も聖書も慣れ親しんでいましたが、今ではすっかり離れて
しまっています。いつの間にか祈ることも忘れてしまいました。
キリスト教が一つの原点であったことを思いつつ、これからを過ごしていきたいと思いました。
会場の入り口で、ブログを通して知り合った三奈子さんがわかったのも
奇跡的。お互い顔を知らないので。フロモン神父様が繋いでくださった
ご縁と思いました。