行動派の I love muscle beauty!

強い者は美しい・・・

なぜ、I love muscle beautyなのか (9)

2021-03-05 22:33:14 | 雑談
Sorry, Japanese only.

こんばんは。
さて、2004年に観戦した2つ目の大会は、9月12日に東京都品川区の品川区立総合区民会館(きゅりあん)で行われた、ミス21健康美大会及び日本女子新人ボディビル選手権です。
この大会に出向いたのは、なんといっても日本のmuscle beautyの「原点」でもある健康美が行われていたことの、一点に尽きます。
前にも書いたとおり、健康美の歴史は女子ボディビルより長く1977年から始まっています。
全日本実業団ボディビルコンテストの中の「ミス健康美」というカテゴリーでしたが、1991年を最後に一度途絶えています。
それが、21世紀の始まりでもある2001年に「ミス21健康美」として復活したのです。
それも、(公社)日本ボディビル・フィットネス連盟(JBBF)主催の選手権大会として、行われていたのです。
そして日本女子新人選手権や日本社会人選手権とともに、一貫してきゅりあんで行われています。
そのため私は、「きゅりあん」と聞くだけで健康美のことを思い出してしまいます(爆)。
残念ながらミス21健康美は2018年をもって幕を閉じましたが、翌2019年から日本社会人ボディビル・フィットネス連盟所管の「日本女子健康美大会」として再出発しました。
さて、この2004年のミス21健康美ですが、私は午後一番くらいに会場入りしたため予選の終盤からの観戦となりました。
ですので、決勝に進めなかった選手に関してはほとんど見ていないということになります。
以降、私はよほどのことがない限り最初から観戦するように心掛けて、出場選手は全員撮影するように努めております。
さて、当時のミス21健康美にはクラス分けがありませんでしたが、14人の選手がエントリーしていて決勝には10人進めました。
決勝に進出したメンバーの中には、現在はフィットネスで活躍している成岡はるみ選手や丹羽裕子選手、ボディフィットネスに転身して東京ボディフィットネス選手権を4連覇する森(山根)弘子選手、さらにボディビルに転身して東京選手権やジャパンオープンに優勝し、日本選手権でも最高7位に入賞している佐藤美由紀選手といった、そうそうたるメンバーが活躍していました。
優勝した関口泉選手は優勝こそこの2004年の一度だけでしたが、2001年の第1回から10年連続でミス21健康美に参戦し続けた「ミス・ミス21健康美」ともいえる名選手でした。
そして、ミス21健康美も2005年からは身長158cmを境に2クラスに分かれるようになりました。
さらに2010年からは身長別3クラスに分かれ、2012年からは50歳以上級も加わり、なんと4クラスで行われるまでになりました。
このような形でミス21健康美が盛り上がっていくことは、わたしにとっても大きな喜びでもありました。
そしてもうひとつ、同時に行われた日本女子新人選手権ですが、こちらでは先日まで特集をお送りしていた湯澤寿枝選手も出場していました。
すなわち、このときが初めて湯沢選手を見た時でもありました。
こちらも、後に日本選手権でも入賞するような選手が多数参戦していたのですが、現在まで現役を続けている選手となると湯沢選手以外には見当たりません(苦笑)。
私はこの時初めて最後まで観戦したのですが、そのとき注目すべきことがありました。
大会の最後には、各カテゴリー・クラスごとにポーズダウンが行われて、下位から順位が発表され最後まで残った選手が優勝となり、そのあと表彰式と続くわけですが・・・
当時はその表彰式の後で、司会者の方が「選手の方に花束・プレゼントなどある方は、どうぞお渡しください」というようなことを言っていたのです。
そして、選手を応援していた方々がステージ前に出てきて選手を呼び、花束やプレゼントを渡していたのを見たのです。
私もさまざまなスポーツを観戦してきましたが、表彰式のときにこのように選手と観客が触れ合える場があったということに、大きな驚きを感じました。
そして、それはとてもすばらしいことだと思えてならなかったのです。
おそらくこの時の経験が、私を「行動派」たらしめているのではないかと思っているところです。
次回は、2004年最後に観戦した東京選手権について、書かせていただきましょう。
コメント
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