宮応かつゆきの日本改革ブログ

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「中国革命とスターリン」=スターリン秘史第27章  ”スターリンの目は日本と北朝鮮に”

2015年03月10日 | 綱領関連

 今回も最終第5節の紹介に焦点を当ててみたいと思います。 第5節の表題は、「スターリンの目は日本と北朝鮮に」です。

 「アジア・太平洋労組会議の呼びかけは、スターリンのアジア『第2戦線』構想では、大づかみな背景を描いただけの、ほんの第1歩でしかありませんでした。その構想では、中国が最大の役割を果たすことになりますが、スターリンの目は、すでに1949年段階で、構想のなかで、重要な役割を果たすであろう他の国々にも向けられはじめていました。 その視線が向いた国の一つは、アメリカの占領体制がト-ルマン・ドクトリンから一歩遅れてではあるが急速に反動化し、政治的対立が鋭くなるとともに、共産党が49年1月の総選挙で4議席から35議席へと大躍進を遂げた日本であり、もう一つは、戦争終結当時のアメリカとの協定で、ソ連の占領下に入った北朝鮮でしした」(「前衛」誌4月号226頁)

 「ここでは、南北それぞれに占領軍を後ろ盾にした政府つくられ、南北の境界線である38度線をめぐって、49年ごろには境界紛争がはげしくなっていたのです」

 不破さんは、「私たちがソ連崩壊後に入手した東京のソ連代表部関係の内部資料の一つに、49年ごろ、モスクワでは、『在日ソ連代表部職員からの情報』にもとづく日本共産党研究がおこなわれてていた、という記述がありました。 日本情勢などの日常的な報告ではなく、日本共産党研究に的を絞っての情報と研究ですから、特別の問題意識が働いていたことを推測させる記述でしたと」指摘し、次のように問題意識を進めています。

 「いま見てきた観点から見直せば、そこには、日本共産党を『第2戦線』構想に利用する準備作業というスターリンの意図が鮮明にうかがわれます。 そのころソ連代表部が提供した『情報』のなかで、私たちがとくに注目したものに、『日本共産党中央委員会政治局員・書記野坂参三について」という49年10月29日付の報告文書がありました」

 「この報告の筆者は、K・セシキン大佐と署名しています。 (ソ連大使館に勤務していたソ連の情報部門の将校)」

 「同誌」227~228頁にかけて、セシキン報告が紹介されています。 そして、として、不破さんは、次のように指摘しています。

 「要するに、野坂が現在は『待機の姿勢』をとり、書記長の徳田と意見が違っても議論を避けているが、いざという時には徳田を制御する力をもっている、という評価です。 セシキン武官は、このように、日本共産党指導部の内部事情にまでふみこんだ点検報告書ー野坂は、ソ連が日本共産党に路線転換をもとめた場合、それを正面から受けとめ、徳田をふくめて党をソ連のめざす方向に導ける指導者だという報告書を、スターリンに送ったのでした」

 そして、第27章は、1949年のスターリンと北朝鮮の金日成の動向を紹介しています。


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