「スターリン秘史」は第24章になりました。 不破さんの連載予告では、「前衛」誌で2年間ぐらいかかるだろうという事でしたが、丸2年となりました。 しかし、連載は終了する気配がありません。 どんな「秘史」が解明がされるのか、期待が高まるばかりです。
第24章では、「ポツダム会談」中でのアメリカの原爆の完成という大きな情勢の変化なども取り上げられています。
この章の最後に取り上げられている、「満州でなにが起こったか」について紹介したいと思います。
「8月8日、ソ連軍が攻め込んだ満州では、何がおこったでしょうか。 ここでは、三つの異常な大惨害が日本の軍隊と居住の日本人を襲いました。 第一の惨害は、ソ連軍が、各地で起こした略奪・強姦・殺戮の惨劇でした。 ソ連軍は、東ヨーロッパやドイツにおけると同様、社会主義の軍隊であるどころか、人間性を欠いた無法で野蛮な武装部隊ーー少なくともその部隊を有力な部分として含む軍隊であることを、満州でも実証しました」
「第二の惨害は、関東軍の数十万の将兵がポツダム宣言の条項を無視して、シベリアに抑留され、長期にわたって強制労働で使役されたこと」
「第三の惨害は、当時、満州にいた百数十万の一般日本人が、満州に遺棄されたこと、です」と不破さんは指摘しています。 その上で、第二、第三の惨害について解明しています。
第二の惨害の部分を紹介します。
「関東軍の将兵のシベリア抑留の経過については、事情を知るもののあいだで、以前から大きな謎とされてきた問題がありました」(「前衛」誌1月号220~221頁略)と記述したあと、「この謎を解くカギは、その間の関東軍首脳部とソ連極東軍との交渉にありました」として、全国捕虜抑留者協会の会長を務めた斎藤六郎氏が入手したソ連崩壊後の1993年、「ソ連国防省のアルヒーフから、関東軍がソ連側に提出した諸文書」、「その後、日本側で明らかになった資料」も含めて、敗戦前後に満州を舞台におこなわれた関東軍とソ連極東軍の交渉の経過が再現されています。(同誌222~225頁)
不破さんは、こうした資料による検証によって、明らかになった事実を踏まえ、次のように指摘しています。
「シベリア抑留の元凶がソ連でありスターリンであることは言うまでもありませんが、大本営と関東軍が最初からすすんでこれに協力し、シベリア抑留の推進者となったこと、その意味では、シベリア抑留はソ連と日本の戦争指導部が”合作”で引き起こした悲劇であったことも、疑問の余地がない歴史の事実です。 ここにも、日本国民にたいする日本の戦争指導部の、見逃すことのできない犯罪的役割があることを、あらためて強調しなければなりません」
「三つの異常な大惨害」の影響は、今日も日本人の私たちの記憶に生々しく引き継がれています。 そして、「社会主義・共産主義」への不信の元凶の一つともなっています。 その克服のための活動は、総選挙での躍進後さらにい重要性を増してきているように思います。