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宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

「スターリン秘史ー23章」「亡命幹部たちの”知的衰弱”」とは

2014年12月17日 | 綱領関連

 第23章は、「コミンテルン解散の虚実」には、「フランスの抵抗闘争」「ギリシアの解放を襲った悲劇」「軌道をはずれたアメリカ共産党」など新しい歴史に出会うことが出来たように思います。

 この章の中で、特に注目させられたのは、「ドイツ問題ー亡命幹部たちの”知的衰弱”」の項です。 この項は不破さん独自の分析的評価です。 以下、紹介します。

 「スターリンがトリアッチやトレーズにあたえた路線転換は、それぞれ成功をおさめて、イタリアでも、フランスでも、共産党が戦後政治で有力な地位を得ることに貢献しました。 スターリンが求めた路線転換に共通していいるのは、反ファシズム闘争の成果を強引に社会変革に結びつけることに固執せず、資本主義的政治体制のもとで共産党がしかるべき政治的地位を獲得するという限定的な目標を、わりきって追求した点にありました」

 「イタリア問題で、トリアッチに、国王の即時退位要求の撤回、バドリオ政権への参加を指示したのも、フランス問題で、トレーズに、ドゴール政権の成立という新事態に適応してレジスタンス部隊の解散要求に応じるよう指示したのも、そこから引き出された指示であって、それがそれぞれの国の政治の現実的要請にあっていたことは、その後の経過が証明したところでした」

 「問題は、この路線転換が、どちらの場合にも、すべてスターリンの直接の指示で、いわば”一夜漬け”でおこなわれたことです。 スターリンが指示するまでは、トリアッチもトレーズも、その相談にあずかっていたディミトロフも、その国の現地の党組織と緊密な連絡をとりながら、まったく反対の、現実性を欠いた政策を立案していたのです」

 「ディミトロフはもちろん、トリアッチもトレーズも、1935年のコミンテルン第7回大会の時期には、人民戦線政策の確立とその実践で、それぞれなりに指導的役割を果たした幹部たちでした。 その人々が、なぜ情勢の要求にこたえる政策的立場を生み出す力をここまで失ってしまったのか? 私は、そこに、モスクワでの長い亡命生活、とくに『大テロル』以後の、方針の最終的決定者はスターリンだけという専決体制下での生活と活動の中で、これらの幹部たちの”知的水準の衰弱”が現れていること、そして、そのことが、スターリン専決の体制の一つの基盤ともなってきたことを、強く感じるものです」

 不破さんは、「亡命幹部たちの”衰弱”ぶりを示す典型的な実例として、『ディミトロフ日記』から一つのエピソードを紹介しておきたいと思います」として、「ディミトロフの日記」の「1945年6月7日」、同「6月8日」分を紹介しています。(前衛12月号218~219頁)

 この項で、不破さんは、「これは、すべての政治的判断をスターリンに任せきってきた旧コミンテルン幹部たちが、どんな政治的、知的実態におちいっていたかを、もっともあからさまな形で示したものではないでしょうか」と指摘しています。 

 今日の日本の激動的情勢の発展のなかの党の対応についても、教訓となるような指摘ではないか、と感じています。