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眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

金持ち喧嘩せよ

2022-06-17 21:03:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 あなたは桂損についてどう考えるだろうか。まあたいしたことない。別にどうってことはないと考えるだろうか。実際、ちょっとした代償でもあれば、桂損でもバランスが取れているという局面は多い。だが、場合によっては、それが致命的な桂損になることもある。桂香というのは隅っこに配置されていて、すべての将棋において活躍することが望めるわけではない。居飛車対振り飛車の対抗形などでは、打ち込まれた大駒によって回収されてしまうことも少なくない。

 損した桂によって銀桂交換を強いられる。今度はその銀によって角銀交換。まあ、「交換だよね」と甘く考えているといつの間にやら角損になっている。そんな経験はないだろうか。(駒損は拡大する場合がある)たかが桂損のはずが、気づいた時には大損になっている場合がある。駒の損得はプロでも最も重視される要素であるが、いくら駒得でも多くの駒が遊んでいては話にならないということもある。「終盤は駒の損得より速度」という格言もあって、難しいところである。

 あなたは大きな駒得をして優勢を自覚した時、どのように考えるだろうか。例えば金1枚を得したとしよう。楽観的にみてもう半分勝ったような気分になる。さて、そこからどうやって勝ちに持って行くか。せっかくいい将棋なのだから、大事にしたいと思う。できるだけ安全に勝ちたいと願うのも自然なことだ。
 得した金を自陣に埋めて堅さを主張する。あるいは、中盤の要所に置いて盤上を制圧する。そうした指し方が有効である場合もあるだろう。言わばそれは長期戦志向だ。(金持ち喧嘩せず。長くなれば徐々に戦力差が物を言う)

 しかし、その判断が裏目に出ることもある。余裕を与えている間に戦力の補充・回復を許す。(長くなることでミスを重ね、差を詰められる)例えば、自分だけ歩切れでと金攻めをみせられている時など、とてもゆっくりできるとは思えない。

 そこで「金持ち喧嘩せよ」の登場である。
 これは全く逆を行く短期決戦志向と言える。
 徐々に優勢を拡大していくとか、そういう生温い発想ではなく、突然勝ちに行くのだ。先に得をしているとするなら、1枚捨てても大きな損にならない。そう考えれば思い切った手段も選択肢に入る。普通は荒っぽい筋でも(先に得をしているのなら)十分に成立するかもしれない。

 挽回する余裕を与えず、瞬間的なアドバンテージを生かして寄せに持ち込むのだ。駒得を広げる思想を放棄し、駒得から思い切って速度に転換させることで一気に勝ちを目指すのだ。(この方が切れ負け戦の戦術としても合っていると思う。長々と正解を積み重ねるのも大変)
 駒損を回復しても(逆に駒損になっても)、寄っていればいいのだ。寄り形になっていてちゃんと足りていれば問題ない。

 駒得=安全勝ちというビジョンの他に、
「駒得~捨て駒~寄せ」というパターンも持っておくと、勝ち方のバリエーションも広がっていく。


猫のバンジー

2022-06-17 03:14:00 | ナノノベル
「うまく飛べなくてもいいじゃない」
 バンジーはまだ飛ばなかった。
 遙か地上を見下ろしながら、人間の声に耳を傾けていた。

「大丈夫。君ならできるよ」
 それは本当だろうか。
 あの男は自分の何を理解しているというのだろう。
 ここに来てからどれほどの時間が経っただろう。
「自分を信じるんだ!
苦しんだ時間を信じるんだ!
何も育んでこなかったと思うのかい?」

「さあ! やってごらん!
ここまで来たんだから」
 男はまるで手の届かない距離から猫の背中を押そうとしていた。
 バンジーは首をひねった。
 私は、言われて飛ぶのか。
 ここまで来たから飛ぶのか。
(それは論理的か?)
 飛ぶという選択もある。
 しかし、引き返すという選択だってある。
(私は流れや人の言葉に支配されるのか)

「戻りたいんでしょ?
さあ、飛べば一瞬だよ」
 そうとも。
 その一瞬も私の時間だ。


「そうだね。やっぱり怖いよね」

「必ずイメージ通りに飛べるとは限らないんだから。
でもね、そうやってためらって、引き下がってばかりだと、最後にはどこにも行くところがなくなってしまうよ。
本当にそれでいいの?
多くの猫はそこまで来ても飛ぶことはしないだろう。
愛がリスクを超えられないからさ。
君の夢の翼はどれくらいなの?
なあ、バンジー。君の好きはどれくらいなの」

「いいじゃないか。駄目駄目のジャンプでも。
チャレンジするということは、失敗への耐性を上げることさ」
「何だって?」
 長い話に猫は少し眠気を覚え始めていた。

「怖くないよ。恐怖の先に快感はある」
「うそだ! 楽しいばかりならみんなやっている!」

「苦しいばかりなら誰もやっていない!」
 人間はすぐに投げ返してきた。
 その瞬間、吸い込まれるようにバンジーの体が傾いた。
 次の瞬間、ふっと体が軽くなった。
(自分から離れたのだ)
 ああ、降りていく。
 もう自分ではどうにもできない。


 登場人物たちが世界の中を勝手に動き回る……。


もう1つのゲーム ~切れ負け特有の事情

2022-06-17 01:58:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「5秒将棋でも必勝」
 将棋としては終わっている。
 普通だったら(投了もやむなし)。しかし、切れ負け将棋は、話が違う。ルール/ゲームが違うのだ。(切れ負け将棋に判定勝ちはない)いくら形勢が大差でも、場合によってはあと一手で頭に金がのって逃げ場がなくなるような局面でも、先に時間が切れた方の負けとなる。

(技がかかっても、銀損しても、終わりじゃない)
(弱くても、必敗でも、チャンスがある)

 大きな駒損をして全く攻め味もないような側が、自陣に飛車を打ちつけて頑張っている。そうした絵柄を、どこででも観ることができる。

「時間内に寄せられますか?」
 自陣飛車は、そう問いかけているようだ。
 それはもう1つのゲームなのだ。
 よい側は焦るだろう。気が緩むこともあるだろう。そうしたメンタルも含めて、切れ負けというゲームだと言える。
 よい将棋をちゃんと将棋で勝ち切るとするならば……。
 試されているのは、勝つ/寄せる手際のよさかもしれない。
 いかに効率的に守備駒を一掃するか。粘る手を許さないか。王手のかかる形を築くか。より厳しい手。より困る手。より賢明な手。より本質を突く手を追究/選択できるか。

 駆け引きの上では、相手に時間を使わせることも重要だろう。(相手の考慮時間も自分の貴重な時間になる)迷わせる手。少し意表を突く手。王手のかかる形にすることで不安にさせることも有効かも知れない。
 勝つということは、ちゃんと勝ち切るということは(いかに形勢が離れていても)、それほど簡単なことじゃない。

 ~玉のみえる形にすること

(穴熊が強いのは頓死の心配なく駒を渡して攻められるところだ)
 攻め方を誤ったとしてもそれを咎めて勝ちまで結びつくには遠い。しかし、玉の周辺で受け間違えば簡単に詰んでしまう。時間に追われている状況では、どんなミスが出るかわからない。玉との距離を詰められるかどうかは、勝率にも結びつくと言えるだろう。


ワンドリンク制

2022-06-17 00:46:00 | マナティ
「ねえ、マナティ、今日はこんなことがあったよ」
「どんなことでしょうか」

「お客様、ドリンクの注文はされてますでしょうかって言われたの」

「コーヒーですか?」
「そう。勿論そうさ。何を見てんだか」
「ちゃんとしてたんですね」
「ちゃんと見てないんじゃないか」
「なるほど」

「何も頼まず居座るなんて、僕は海賊かい?」
「いいえ。あなたは海賊ではありません」

「そうさ。僕はうんと答えた。pomeraの向こうにそれはあったんだ」
「なるほど」
「店員もそれを見つけた。失礼しましたって帰っていったよ」

「それは大変でしたね」
「そうでもないよ」
「そうですね」
「ああ、そうさ」
「なるほど」


金銀を絡めて寄せよう ~いつまでと金つくってんだ

2022-06-14 01:42:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「と金のおそはや」
 と金攻めはわかっていても受けがない。相手の戦力を上げないので結局は早いのだということはある。
 しかし、いつでも(いつまでも)と金攻めが優れているということはない。垂らして成って寄せてという手順をみてもわかるように、それなりに時間はかかる。と金攻めは、場合によっては明らかに遅いのだ。
「何のためにと金をつくるのか?」
 それは敵玉を薄めるため。戦力を得るため。もしも、既にそれがかなっているのなら、もはやと金をつくる目的もない。

「1枚はがしたらおごっていこう」
 と金攻めのおかわりは確かに魅力的で、何度でもリフレインさせたい気持ちは理解できる。しかし、もしも一間竜の形を作って攻めることができたなら……。どちらがより速いかは明白だろう。

 ~金銀を絡めて寄せよう

 4一銀という矢倉の金に銀をかける寄せの手筋は有名だが、他にも金駒で金駒に絡んでいく方法は、多様な形がある。上から銀、下から金、腹から銀、連続して金銀……。
(囲いの金駒が桂香に変わったら絡みのチャンスだ)
 ほとんどのケースでは、囲いの金銀が桂や香に変わるというのは、辛い展開を余儀なくされているのであり、囲い自体は相当に弱体化していると思って間違いない。囲いというものは、金銀の整った連携によって守備を成立させているのであり、そこが性能の劣る小駒に変化しているのなら、その弱点を突いた寄せが発生しやすくなっている。攻撃側は、金銀を絡んでスペースに入りやすいのに対し、守備側は囲いの一部である桂香のために埋めるスペースがなくなっているのだ。(金ではない駒を打たせてその裏を突いていくことは寄せの醍醐味である)

 と金攻めが割と考えなくできるのに対し、金駒を使った絡みつく寄せは、考えられることが多い。そうした寄せが上達すれば、香車一本強くなることも可能だろう。
 金銀を巧みに組み替えながら「金なし将棋に受け手なし」(銀なし将棋に受け手なし)に追い込む。(守備に穴を作る)送りの手筋。絡みながら竜馬の位置をずらす。絡みながらと金をつくる……。

 寄せには詰将棋の力が役に立つが、それとは別に「必至」に至る手筋というのも存在する。「千日手っぽいパズルから逃げないこと」は大事で、その姿勢を保つことによって技術は向上する。
 と金攻めで戦力アップ(駒得)に成功した後は、金銀を活用した寄せによって鮮やかに勝ってみたいものだ。


【詰めチャレ反省記】不詰めじゃないの?

2022-06-13 05:57:00 | 詰めチャレ反省記
 時間切れになった後、呆然と問題図をみつめている。手順を間違えたかな。もしかして簡単な詰みがないかな。しばらくしてもまるで詰む形がみえてこない。こうなったらなというのが少しでもあって、逆算してそこにたどり着くように道筋を求められれば、考え甲斐もある。しかし、何1つ手がかりがない時は困る。不詰み変化ばかり追うのはつまらないし、空しくもなる。この時間は無駄なのではないか。この時間に日記の1つ、作文の1つでも書いた方がいいのではないか。幸せに結びつくのではないか。まさかね。

(こんなの不詰みじゃないの?)

 あまりに生産的な考えが浮かばないと、問題のせいにもしたくなる。正答率は0%。0%? 詰めチャレには不詰み問題もあるという噂を聞いたこともあるが、本当のところはどうだろうか。7分の0。よく見るとチャレンジした人数が少ない。いやあまりにも少なすぎる。それなら0%でもおかしくもない。7人がただ解けなかっただけのこと。2400レベルの問題なら、普通のこと。僕はそうやって思い直してから、フラットな目で問題と向き合うことにした。
 よく行って打ち歩詰め。しかし、そこを打開する順は一切ない。本当なら頭金を打ちたいのに、自分の角が邪魔をして打てない。上に追うのは駄目なのだろうか。この角が。この角が……。角筋を生かして吊し桂の筋で詰むとか。92金? まさかね。自分でも意図がわからないまま、まだ読んでいない手を探索し始める。そして、相手が最も都合よく応じた場合に限って85桂で詰むとわかった。

(最も都合のよい応手によって詰む)

 実はこれが大きなヒントになることを学習した。当初、まるで詰む形がみえなかった。そこを基準とすると、これは大きな進歩なのだ。詰む形が存在するということが糸口になる。「最も都合のよい応手によって詰む」という形を、手順を尽くすことによって「必然の詰み」に変えられる可能性がある。この段階に達した後で、一瞬の閃きがあった。

「もしかして……」
 ああ、そうか。そういうことか。

 先に頭に金を放り込んで、同じく金に92金!だ。それに対して香で取るのは早くなるので同じく玉に銀不成から成桂を引いて端玉に85桂までの9手詰めだ。連続の捨て駒は詰将棋的だが、「金はとどめに」のセオリーに反しているので、抵抗がある。実戦でこんなの詰ませたら幸せだ。今度この問題と再会した時には、ノータイムで詰ましてやろう。(詰めチャレは同じ問題が回ってくることがある)

「この時間は無駄なのではないか」

 そう思い悩んだ時間はもう過去のものとなった。
 苦しんだ末に正解を見つけた瞬間は、厚い雲がすっと消えて澄み切ったような清々しい気持ちになる。苦しんだからよかったのか、苦しまない方がよりよいことなのか、現在の僕の棋力ではまだ難しい問題だ。


バーチャル・リアリティー(ステルス・コンビニエンス)

2022-06-13 03:40:00 | デリバリー・ストーリー
次お待ちの方はどうぞ その次もその次もまた僕は呼ばれぬ

挨拶も届かぬことを身に沁みて学び始めた透明人間

次々と抜かされていく僕だけがパンをくわえて教室の中

次お待ちの方はどうぞはいどうぞ! 僕を突き抜け熱い接客

呼ばれては来てみたものの呼ばれないベンチの奥で君をみつめる

次々と人が行き交う街角に配役のまだ決まらない僕

この次の希望が割とあふれてる今は身軽な仮想現実


呼んで現れない人(突然迷子)

2022-06-12 04:14:00 | デリバリー・ストーリー
 内環まで行き過ぎて再び戻った。補修工事の網に覆われて建物が見えにくくなっていたのだ。ピンずれを疑ったが、実際は正確にピンは立っていた。オートロックを開けてもらいエレベーターに乗ってお客様の部屋の前まできた。

(玄関先で受け渡し)

 インターホンを押して商品を両手で渡せるように準備する。しばらくしてもお客様は出てこなかった。自分の感覚では即座に出てくるのが普通だと思っていたが、配達を重ねる内に決してそんことはないのだとわかった。広い家では自分のいる部屋から玄関まで距離もあるだろう。部屋で仕事中の人はそれなりの段取りもあるだろう。洗濯物を取り込んでいる人もいるだろうし、子供が駄々をこねている場合だってある。過去にはいかにも風呂上がりだというように裸で現れる人もいた。

 1分待っても出てこないと少し不安になる。アプリを開いて置き配でないことを確認する。もしかして部屋を間違えている? 時々マンションを隣と間違えてしまうことはあった。その場合は応答がなくてエントランスで気づくということが多かった。部屋の前まで来ているのでそれはない。ドアの上の部屋番号を何度も見た。やはり合っている。もう一度鳴らしてみる。誰も出てこない。

「904でお間違いなかったでしょうか?」

 念のためにメッセージを送るが返信はない。
 ドアの前で待ちかまえたまま3分が経過した。
 おかしいな……。
 部屋の前までたどり着いて僕は迷子になった。

(僕はここで何をしているのだろう)

 突然、あふれそうになるほど自分が押し寄せてきた。
 もっと歌いたい。もっと書きたい。もっと運びたい。もっと叶えたい。もっと指したい。もっと組み立てたい。もっと泳ぎたい。もっとひっくり返したい。今からでも間に合う? どうして? とても追いつけやしない。この時間はいったい何? 誰のための時間? 実現するにはもっと大勢の自分が必要だ。何人も何人も自分が存在していたら……。
 友に裏切られても平気。魂が滅んでも平気。夢が叶わなくても平気。蔑まれても平気。無視されても平気。上手く運ばなくても平気。大切なものをドブに捨てても平気。ひとりではとても抱え切れないのに、神さまはどうして僕をひとりにしておいたのだろう。
 ドアに背を向けて見知らぬ街の雲をみた。
 この壁を飛び越えたら、異世界へと旅立てるだろうか……。

(ああ、色んな人がいた)

 階段を駆け下りてハイツから出てきた人。エレベーターが開くと、こんにちはと言ってくれた親子。歩道まで出て待っていてくれた人。エレベーターが開くとドアを開けて待っていてくれた人。助かりましたと言いながらあとから驚きのチップをくれた人。さよならと笑顔で手を振ってくれた子供。人は色々だから。いつか出会った清々しい人たちに恥じないような生き方をしなければ。
 あの優しい人たちに言い残したことが、もっとある。
 正面に向き直ると指を伸ばした。

(最後にもう一度)

 4回目のベルを鳴らして、今度も駄目ならもうここに置いて行こう。
ガチャ♪
 その時、ドアが開いて女性が出てきた。

「ごめんなさい」
 女は耳にスマホを当てていた。

「お待たせいたしました!」

 そうか。そういうことか。
 ずっと電話に夢中だったんだね。
 忙しい人もいるものだ。


路上詩人

2022-06-10 04:14:00 | ナノノベル
 僕は路上詩人。道行く人に向けていつも歌っている。すぐ目の前をいくつもの足音が通り過ぎる。みんな急ぐべき理由があるのだろう。約束の時間に間に合わすために、よそ見もせずに歩いて行く。開演の時間が迫っているのかもしれない。売り切れる前に手に入れたいパンがあるのかもしれない。宅配のピザが届くのかもしれない。彼らにとって僕の存在は無意味だ。誰に約束したわけでもないのに、僕はここにいる。誰が耳を傾けるというわけでもないけれど、止めろと言う者もいない。ここには自由がある。

眠れない夜のために僕は歌う
眠ろうとすれば眠れなくなる
眠ろうとするほど眠れなくなる
眠るつもりで眠れなくなる
眠る気にあふれ眠れなくなる
眠る気があるあまりに眠れなくなる
眠れないと思うほどに眠れなくなる

眠れぬ人を憂い僕は歌う
眠りたくて眠れない人がいる
眠りたくて眠れる人がいる
眠りたくて眠らない人がいる
眠りたくなくて眠らない人がいる
眠れないから眠りたい人がいる
眠ってはならないから眠ってみたい人がいる

眠ると言いつつ眠らない人がいる
眠る眠ると言いながら眠らない人がいる
眠らないと言いながら眠る人がいる
眠らないと言いながら眠っている人がいる
眠っているのに眠っていないと言う人がいる
眠ってないと言いながら眠っていない人がいる

眠らないついでに僕は眠りを歌っている
眠ったようで眠っていないことがある
あれいま何時? なんだ2時半か
ちょうどリーガが始まるよ
そりゃよかった 見ながら眠ればいいって
ああ眠れないのか そりゃいいや
ずっと見てればいい

眠りに入って眠れない
眠りについても眠れていない
眠るはずが眠れていない
眠ったらと思っても眠っていない
眠ることをあきらめたら眠らないまま
眠ることを忘れたら変わらず眠っていない

「ずっとループしてる」って?
だってそれが問題をたどる形じゃないか

見ているようで見ていないことがある
見ているように見えて見ていない人がいる
見ているつもりで見過ごしていることがある
見ていますと言って見ていない人がいる
見ていないようで見ていることがある

眠れない夜のために僕は歌う
眠れない夜のために歌うことがある

 人々は向かう先があるためか、帰る家があるためか、ここに足を止めることがない。一瞬でも僕の声は耳に入っているはず。足を止めてそこにあるものを確認することができる。自分に関心がなく無関係で不必要なものと判断した後に歩き出すこともできる。躊躇わずに通過していける彼らの冷たい直感が恐ろしい。きっと3月のせいに違いない。抱えた宿題が多すぎるのだ。月が変われば人の流れも変わるだろう。僕は変わらず歌い続けよう。他にすべきことは何も見当たらない。


さばきを夢見ながら

2022-06-10 02:22:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 居飛車の人が飛車先をぐんぐん伸ばしてくる。角道を止めもせずに、そればかりかこちらの角道をこじ開けにきている。居飛車の人はやけに好戦的に映る。仕掛けられた歩は素直に取る他はなくて、居飛車の人は角で角を取って成る。

いや不成だ。

 どうせ取るのだから、成っても成らなくてもそれは同じことだ。スマートで合理的な居飛車の人。盤上から角が消える。角のいなくなった8筋はもう支え切れなくなった。居飛車の人は飛車を走る。一方的に桂を拾おうとしていた。早くも竜ができそうだ。そればかりか居飛車の人は角を打ち込んできた。角がいなくなったスペースに角を打ち込んで香を拾おうとしている。あるいは、もう一枚の飛車までも自分の物にして二枚飛車で攻めるつもりかもしれない。

 居飛車の人の攻めっ気に押しつぶされてしまいそう。だけど、そんな弱気でどうするよ。居飛車の人がちゃんと攻めてくれるから、さばきのチャンスも訪れるのではないか。振り飛車の人は、自分だけの力ではどうすることもできないのだから。

 頼みの綱は美濃囲い。居飛車の人のエルモよりも一路だけ深い。6筋からの反撃はあるか。8筋は明け渡したけれど、6筋は8筋よりも玉に近い。攻められた時こそ、反撃を開始するチャンスなのだ。きっと今がそう。振り飛車の上手い人ならば、きっと上手くさばくはず。

「ねえ、棋神さま。上手いさばきがあるんでしょう?」

「今は忙しい! それくらい自分で考えよ!」

 棋神さまの言う通りだ。将棋は自分で考えてこそ強くなるのだ。
 考える内に自分の時間が削られていく。形勢不利。けれども、振り飛車は逆転のゲームでもある。先に攻められることばかり。いくらか不利にもなるだろう。苦しい時間にどうにかして反撃の糸口をみつけることこそが振り飛車のロマンなのだ。攻めている時はいいけど、攻められると弱い人がどれだけ多いことか。何かあるはず。弱い自分にはみえていない何かが、きっとあるはずだ。





●飛車と角の物語 ~さばきの心

 飛車取りに迫られた瞬間、振り飛車のセンスは問われている。最もよくある状況は、飛車取りに角を打たれる場面ではないか。居飛車党というものは、だいたい角を打って飛車を攻めてくるものだ。そこは将棋の中でも割と重要な局面で、しっかりと足を止めて考えるべきところだ。

(無条件で逃げることはあり得ない)

 飛車は王様の次、人によっては王様よりも大事だと考える人もいるかもしれない。しかし、一番痛いのは飛車を取られることではなくて、飛車を逃げ回っている間にどんどん自分の手が指せなくなってしまうことの方なのだ。
 ありがちなのが、直前に自分が立てた予定が飛車取りにされたことを重くみるばかりに全部キャンセルになってしまうような指し回しだ。

「飛車取りですか? 飛車取りですね。
 へへー参りました。お通りください」

 突然偉い人が目の前に現れて、今までの計画も厳格なルールも全部台無しになって例外的に都会の街を通り抜けていくような感じ。

(あんたそんなに偉いのかよ……)

 飛車取りって、そんなに偉いものか。
 確かに飛車は偉大ではあるけれど、そこは立ち止まって冷静に考えるべき局面だ。
 打たれた角には別の狙いもあるはずだから、ただ逃げることは通常は利かされになる。逃げるとどうなるか。飛車に紐はついているか。取られた形は乱れるのか。飛車にはどれだけ強いのか。自分も飛車を取り合う順はないか。そうしたことを色々と比較した末に最強の手を導くことが望ましい。手段はだいたい三択、手抜くか、強く当て返すか、おとなしく逃げるか。

 振り飛車は、相手に二枚飛車を渡して戦うような指し方もできなければならない。自陣に打ち込まれる飛車は、怖いばかりの存在ではない。角を手持ちにして、逆に目標にしていくことも可能だ。成り込んでいくばかりが、振り飛車のさばきではない。取らせておいて奪い返す。そのようなさばき方もあるのだと思う。


かなわない人 ~大遊び人時代

2022-06-09 03:48:00 | 短歌/折句/あいうえお作文
ロボットが鯛を器用にさばくから無数のシェフが包丁を置く

ロボットが飛車を華麗にさばくから棋士はみとれて座布団の上

ロボットが丼を素早く運ぶから地蔵になった人がそのまま

ロボットが殺陣を自在にこなすから兜を脱いだラストサムライ

ロボットがオペをそつなくこなすから医師はいつでも屋上にいる

ロボットがネタを巧みにつくるから作家はもはやすることがない

ロボットが罪を上手に裁くから何人も異を唱えるなかれ

ロボットが国をまともに回すから空き家になった国会議事堂

ロボットが宇宙を股にかけるからチョコにふくれた宇宙飛行士

ロボットが粋にカットをつなぐからオールスターが感謝の祭り

ロボットが茶々も愉快に入れるから笑って引いたコメンテーター

ロボットが魂込めて歌うからギターを壊すロックンローラー

ロボットが正確無比に選ぶからソムリエは毛布にくるまれた

ロボットがパスを華麗に回すから90分間止まらぬオーレ!

ロボットが調整役を担うから幹事と言えば幻の人

ロボットが人より人に恋すから叶い始めた永遠の愛

ロボットが容易くやってのけるから手に職を持つ時にさよなら


「われわれに万事任せておけばよい人類よさあ遊んで暮らせ!」


目から火が出る一手

2022-06-07 05:53:00 | 将棋ウォーズ自戦記
●飛車をめぐる不思議な攻防 

 将棋は飛車を取るゲームである。
 そう思えるくらいに飛車はやっぱり偉大だ。ゲームの鍵を握っている。実際にはすぐに取れたりしないものだが、取らないにしても「取り」が発生することによって、局勢が大きく動くということが多い。

 強いから(偉大だから)、簡単に無視することができない。「取り」に対しては、だいたいが逃げるのだ。すると「取り」は先手で入ることになる。将棋は一手一手交互に指すゲームで、手番は平等に一手一手巡ってくるものだ。素人目にはそのように映ることも不思議ではないが、棋士というのはやたらと「手番」を重視したがる。(形勢判断の要素に含まれることもあるくらいだ)

 一手ずつ指しているはずなのに、相手の駒ばかりが活躍している(前進している/増幅している)ような思いをすることはないだろうか。それは自分の手番を有効に生かせていない時だ。将棋は相手との対話だから、いつでも自分の好きな手(価値の高い手)を指せるわけではない。実質的な手番は、一手ずつ平等ではないのだ。

 何かが「先手」で入るということは、相手の一手を無力化し、続けて自分の手を指し続けられるという意味合いを持つ。

「将棋は飛車を攻めるゲームかもしれない」

 飛車取り(飛車版王手)の先手を取ることによって、好きな位置に駒を置くことができる。場合によっては2手も3手も、4手も5手も、続けて好きな手を指せる。あるいは駒を打てる。
(将棋は飛車を追いながら盤上の駒を増やしていくゲームかもしれない)
 そうした局面では、相手は飛車しか動かしてなく(見た目は一手しか動いていない)、自分ばかりが好きに指すことができる。
 動いたから(増えたから)すべてが好転するというわけではないが、そういうテクニックが占める割合は小さくないと思う。
 飛車手/王手をかけまくることによって盤上を制圧してしまう。そうした夢のような勝ち方だってできる。それも飛車の偉大さなのだろう。



●王手は大いなる手

「王手は追う手」
 詰みもみえていないのにやたらと王手をかけては、単に玉を安全な場所に逃してしまう。実際そういったことはよくある。特に時間に追われた時など、着手の逃げ場所として手が王手の方へ自然と動いてしまうこともある。

 格言というのはとてもありがたいものだ。
 それを知っているだけで役に立つことがある。迷った時は、とりあえず格言に従っておけば、だいたい上手くいくこともある。格言の多くは棋理にかなっているし、広く応用の利くものでもある。しかし、複雑な実戦の中では、常にそれが正しくフィットするというわけではない。ある局面では、むしろ格言の真逆をいく手が最善手であったりする。

 例えば、大駒は離して打てと言われるが、近づけなければならない時。桂は控えて打てと言われるが、ダイレクトに打ち込むべき時。金底の歩は堅いと言われるが、底に角を打つべき時。馬は自陣に引けと言われるが、竜を引かねばならぬ時。王手にしても同じことが言える。悪い王手ばかりではない。むしろかけるべき時に王手はかけなければならないのだ。

「王手いいじゃないか」

 王手は追う手。玉は下段に落とせ。玉は包むように寄せよなどと言われている。だが、いつもいつも格言にばかり従っていては、いつまで経っても玉を包み込めないという事態も起こり得る。(守る方だって玉を包むようにして守っているのだ)
 実戦の終盤で、一度も王手をかけずに寄り形にまで導かれるというケースは希である。むしろ終盤の強い人ほど王手を有効に使っている。時には下段に落とすどころか中段に引っ張り出して、守備駒に包まれないようにして寄せている。

(時には夢でも追いかけ回すのがいい)

 王手は攻め方の絶対権利。それを有効な利かしとして用いることによって、寄せの速度を上げることもできるのだ。
(どこで何を利かせられるか。勝負の綾はその辺に存在する)
 絶対権利(先手)である王手には、様々な効果が考えられる。
 玉を危険地帯に引きずり出す。(守備駒が整う前に)
 態度を決めさせる。(応手によって攻め方を選択する)
 攻め駒を近づける。
 合駒を使わせる。
 手順にはがす。
 拠点を増やす。
 王手Xをかける。
 逆王手を用意して玉頭戦を制する。

 即詰みがなければ王手はつまらないわけではない。必至へと至る順の中でも、王手は重要だ。どこで王手をかけ、どこでかけないかという選択が寄せの鍵だとも言える。
 王手は大いなる一手なのだ。


金なんかくれてやる! 

2022-06-05 01:06:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「ある時 価値は反転する」
 いい手だなと心が動かされる時がある。それはもの凄く派手な一手というばかりではない。むしろ何でもないような一手。実際に盤上に現れた手そのものに対してではなく、普通にみえるはずの手が「指されなかった」ことへの驚きというものがある。

「えっ、金逃げなくていいんですか?」

 それは序盤ではまず絶対に現れないような一手だ。
「歩で金を取られてはいけない」
 将棋を学ぶ時、一番最初に教えられることではないか。
 それなのに……。
 自分の先入観を打破するような手が現れた瞬間、「いい手だな」と感動しながら驚いてしまうのだ。

 ・金を粗末に扱うこと
 ・手を抜くこと
 ・人の言うことを聞かないこと

 最初にみんな「よくないこと」だと教わったこと。それが「よい手」になる局面もある。
 覚えてきたことを捨てなければ、それより先には進めないことがある。(なんて難しく、面白いのだろう……)
「終盤は駒の損得より速度」
 と言う。だけど、終盤だって金は大事だろう。いつ、その格言は有効になるのか。
「歩で金を取られてはいけない」
 勿論それは序盤の話である。
 金取りを手抜くような手は、終盤ではよくある手だ。
「時は金なり」
 終盤ではその言葉はより重い。金一枚も大きいが、一手利かされることも同じくらいに大きい。



 ~取らせてさばく手を覚えよう!

 中飛車の上に自分の金がいてその頭を歩で叩かれている。飛車の斜めしたには馬がいて飛車に当たっている。振り飛車を指しているとそういう状況はよくあるのではないだろうか。攻められていてとても嫌な感じがする。できるだけ損をしたくない。被害を最小限に抑えたい。そのようなマインドになりやすいのではないだろうか。だけど、自陣ばかりみていてはいけないし、「さばく」という強い心を失ってはならない。相手の理想は、金を乱して飛車を取りたいのだ。(歩で利かして攻めを加速したい)無茶苦茶攻められているようだが、飛車と金を両方同時に取ることはできない。ある意味では攻撃が重複しているという視点を持つことが大事だ。歩を打って金を取るには2手費やすが、飛車取りに馬を動かした手も含めると3手を費やしている計算になる。「時は金なり」という感覚からすると、手抜きは選択肢の1つとなる。0手で利かされるよりも、3手かけて金を取ってもらう方がいいのではないか? そういう発想を持つべきだ。手抜くことによって生まれる一手で、敵陣に自分の有効な手を探す。金を取らせ、同じく飛車と前進する一手が手順に馬の当たりから逃れる。その時、飛車の横利きにもう一枚の敵の馬(77馬)がいるではないか。これはおあつらえむきだ!

「飛車でも金でも好きな方をどうぞ」

 そうした大胆なさばきを身につけられれば、振り飛車はもっともっと楽しくなるのではないだろうか。


フライング・レインウェア

2022-06-04 23:50:00 | デリバリー・ストーリー
雨を行く覚悟を決めた自転車を追い越していくジョギング男

雨降りの気配もしない公園にボールと遊ぶ少年の影

雨降りでなければ鳴らぬ春なのに前にみえるは日傘の女

過信した0.5ミリ現実の青さは僕の上だけじゃない

雨雲よどこへ行ったの川沿いを歩く麦藁帽子の女

AIの予想に背く青空が導き出した300

日常に相応しくないレインウェア着込んだ僕がよそ者みたい


小部屋の命拾い ~振り飛車に生きる理由

2022-06-04 23:14:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 銀冠の小部屋17地点にひょいとかわして残っていれば最高だと思う。美濃もいい。18玉と端に寄って涼しい顔して残して勝ちたいと思う。

「そうやって勝ちたいからだ」

 だから僕は振り飛車を指しているのだと思った。だから将棋を指しているのかもしれない。あるいは、だから生きているのかもしれないとふと思ったりもする。(みんなはどうして将棋を指すか考えてみることはあるかな?)
 美濃囲いって堅いのかな?
 時々疑問に思うこともある。
(角と桂で詰まされたような時は特に)
 玉に紐がついていないせいで、ゼットではないのだ。
 39に銀を打たれて早速ピンチ。
 王手がかかって全然助かってなさそうだけど……
「金なし将棋に詰め手なし!」
 18玉!
 取ったら詰むけどかわして際どく助かっている。
 そして、最後は39に打たれた銀を時間差で取って相手玉を詰まして勝つのが理想。
(かわして、取って、詰ます!)

「王手!」

 ひらり♪

「金がなければ詰むまい」

「ならば自陣に手を戻そう。金を渡さず寄せれまい。金が入れば美濃を詰ますぞ」

「確かにその通りだ。金は渡すことになるだろう。しかし、手順を尽くせばどうかな」

「何を? いったいどうすると言うのだ!」

「最後に詰めろを解きつつ詰めろをかけてやるぞ!」

「何? そんな手が?」
 
ビシッ♪
 
 そして、僕は39金と指すのだ。
 詰ましにきた一手が質駒となっている。
 取れずにかわした一手が早逃げになっている。
 だから、その瞬間18玉はゼット(絶対詰まない形)になっているところが、あまりに素晴らしいではないか!
 すぐに詰んでしまいそうな美濃囲いが、相手の攻撃をかわしながら最後にゼットになるなんて!
 ああ、振り飛車ってなんて素晴らしいんだろう!