眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

路上詩人

2022-06-10 04:14:00 | ナノノベル
 僕は路上詩人。道行く人に向けていつも歌っている。すぐ目の前をいくつもの足音が通り過ぎる。みんな急ぐべき理由があるのだろう。約束の時間に間に合わすために、よそ見もせずに歩いて行く。開演の時間が迫っているのかもしれない。売り切れる前に手に入れたいパンがあるのかもしれない。宅配のピザが届くのかもしれない。彼らにとって僕の存在は無意味だ。誰に約束したわけでもないのに、僕はここにいる。誰が耳を傾けるというわけでもないけれど、止めろと言う者もいない。ここには自由がある。

眠れない夜のために僕は歌う
眠ろうとすれば眠れなくなる
眠ろうとするほど眠れなくなる
眠るつもりで眠れなくなる
眠る気にあふれ眠れなくなる
眠る気があるあまりに眠れなくなる
眠れないと思うほどに眠れなくなる

眠れぬ人を憂い僕は歌う
眠りたくて眠れない人がいる
眠りたくて眠れる人がいる
眠りたくて眠らない人がいる
眠りたくなくて眠らない人がいる
眠れないから眠りたい人がいる
眠ってはならないから眠ってみたい人がいる

眠ると言いつつ眠らない人がいる
眠る眠ると言いながら眠らない人がいる
眠らないと言いながら眠る人がいる
眠らないと言いながら眠っている人がいる
眠っているのに眠っていないと言う人がいる
眠ってないと言いながら眠っていない人がいる

眠らないついでに僕は眠りを歌っている
眠ったようで眠っていないことがある
あれいま何時? なんだ2時半か
ちょうどリーガが始まるよ
そりゃよかった 見ながら眠ればいいって
ああ眠れないのか そりゃいいや
ずっと見てればいい

眠りに入って眠れない
眠りについても眠れていない
眠るはずが眠れていない
眠ったらと思っても眠っていない
眠ることをあきらめたら眠らないまま
眠ることを忘れたら変わらず眠っていない

「ずっとループしてる」って?
だってそれが問題をたどる形じゃないか

見ているようで見ていないことがある
見ているように見えて見ていない人がいる
見ているつもりで見過ごしていることがある
見ていますと言って見ていない人がいる
見ていないようで見ていることがある

眠れない夜のために僕は歌う
眠れない夜のために歌うことがある

 人々は向かう先があるためか、帰る家があるためか、ここに足を止めることがない。一瞬でも僕の声は耳に入っているはず。足を止めてそこにあるものを確認することができる。自分に関心がなく無関係で不必要なものと判断した後に歩き出すこともできる。躊躇わずに通過していける彼らの冷たい直感が恐ろしい。きっと3月のせいに違いない。抱えた宿題が多すぎるのだ。月が変われば人の流れも変わるだろう。僕は変わらず歌い続けよう。他にすべきことは何も見当たらない。

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さばきを夢見ながら

2022-06-10 02:22:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 居飛車の人が飛車先をぐんぐん伸ばしてくる。角道を止めもせずに、そればかりかこちらの角道をこじ開けにきている。居飛車の人はやけに好戦的に映る。仕掛けられた歩は素直に取る他はなくて、居飛車の人は角で角を取って成る。

いや不成だ。

 どうせ取るのだから、成っても成らなくてもそれは同じことだ。スマートで合理的な居飛車の人。盤上から角が消える。角のいなくなった8筋はもう支え切れなくなった。居飛車の人は飛車を走る。一方的に桂を拾おうとしていた。早くも竜ができそうだ。そればかりか居飛車の人は角を打ち込んできた。角がいなくなったスペースに角を打ち込んで香を拾おうとしている。あるいは、もう一枚の飛車までも自分の物にして二枚飛車で攻めるつもりかもしれない。

 居飛車の人の攻めっ気に押しつぶされてしまいそう。だけど、そんな弱気でどうするよ。居飛車の人がちゃんと攻めてくれるから、さばきのチャンスも訪れるのではないか。振り飛車の人は、自分だけの力ではどうすることもできないのだから。

 頼みの綱は美濃囲い。居飛車の人のエルモよりも一路だけ深い。6筋からの反撃はあるか。8筋は明け渡したけれど、6筋は8筋よりも玉に近い。攻められた時こそ、反撃を開始するチャンスなのだ。きっと今がそう。振り飛車の上手い人ならば、きっと上手くさばくはず。

「ねえ、棋神さま。上手いさばきがあるんでしょう?」

「今は忙しい! それくらい自分で考えよ!」

 棋神さまの言う通りだ。将棋は自分で考えてこそ強くなるのだ。
 考える内に自分の時間が削られていく。形勢不利。けれども、振り飛車は逆転のゲームでもある。先に攻められることばかり。いくらか不利にもなるだろう。苦しい時間にどうにかして反撃の糸口をみつけることこそが振り飛車のロマンなのだ。攻めている時はいいけど、攻められると弱い人がどれだけ多いことか。何かあるはず。弱い自分にはみえていない何かが、きっとあるはずだ。





●飛車と角の物語 ~さばきの心

 飛車取りに迫られた瞬間、振り飛車のセンスは問われている。最もよくある状況は、飛車取りに角を打たれる場面ではないか。居飛車党というものは、だいたい角を打って飛車を攻めてくるものだ。そこは将棋の中でも割と重要な局面で、しっかりと足を止めて考えるべきところだ。

(無条件で逃げることはあり得ない)

 飛車は王様の次、人によっては王様よりも大事だと考える人もいるかもしれない。しかし、一番痛いのは飛車を取られることではなくて、飛車を逃げ回っている間にどんどん自分の手が指せなくなってしまうことの方なのだ。
 ありがちなのが、直前に自分が立てた予定が飛車取りにされたことを重くみるばかりに全部キャンセルになってしまうような指し回しだ。

「飛車取りですか? 飛車取りですね。
 へへー参りました。お通りください」

 突然偉い人が目の前に現れて、今までの計画も厳格なルールも全部台無しになって例外的に都会の街を通り抜けていくような感じ。

(あんたそんなに偉いのかよ……)

 飛車取りって、そんなに偉いものか。
 確かに飛車は偉大ではあるけれど、そこは立ち止まって冷静に考えるべき局面だ。
 打たれた角には別の狙いもあるはずだから、ただ逃げることは通常は利かされになる。逃げるとどうなるか。飛車に紐はついているか。取られた形は乱れるのか。飛車にはどれだけ強いのか。自分も飛車を取り合う順はないか。そうしたことを色々と比較した末に最強の手を導くことが望ましい。手段はだいたい三択、手抜くか、強く当て返すか、おとなしく逃げるか。

 振り飛車は、相手に二枚飛車を渡して戦うような指し方もできなければならない。自陣に打ち込まれる飛車は、怖いばかりの存在ではない。角を手持ちにして、逆に目標にしていくことも可能だ。成り込んでいくばかりが、振り飛車のさばきではない。取らせておいて奪い返す。そのようなさばき方もあるのだと思う。

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