「今夜は混浴でござれ」
「船頭さん、うちは恋が長く続かないのです」
こそ泥が盗んでいった嘘のようにドクロの涙を振りかけたモグラは、ふっくらと遅咲きの桜のたくらみの中で赤く歳を重ねて、その日暮らしでオクラを刻み、ウサギを欺くような真似もしてお蔵入りの枕を迷宮から引っ張り出すことによって、ささやなかく乱を模索していたのだった。
「僕ら、引きずっている」
「何を?」
「かもしれないね」
夢から覚めてもまだ雨のために、ただ覚めやらぬエメラルドグリーンの魔物の恋した雨のために、鮫もカモメも誰かのために読んだ屋根裏の羽根蟻の絵本の歌から離れた船乗りの行く手を阻むための、種のない果実と、また雨のために。洗い流される細々とした用事の向こうから熊が雨のようなよだれと、鋼鉄の爪を見せびらかしながら厳かにしなやかに迫ってくる。余すところなく伝えられてきた伝承によって学習済みの教科書のメインストリートを、靴を1つ、靴下を1つ、置いていく。何でも引き裂かなければ気が済まない熊はその都度気を留めて、その時牙を剥く5月の熊の雨足は下火になる。すっかり匂いを嗅ぎ終えて、顔を上げる。
「なんだその様は」
つぶやいて熊は、もう一度、脱ぎ捨てられた衣服に鼻をつける。ほら、もう1枚、追跡と逃亡、横殴りと小雨の間で、賢者のまいた罠が狂おしい爪先で裂き乱されている。あれよあれよと、おっとっと、われを忘れておっとっと。どうも、差が縮まらないな。
「本当に初めてかい?」
熊は鼻先に付着した繊維の中に屈辱的な疑問を投じてみた。答えは、次の布切れが持っているのかもしれない。月日が解放されていく過程と逃れられない生まれながらの設計図が持ち前の快速を鈍らせ、熊の頭を考え深くさせる。ずっと逃げてきた奴じゃないかな。考えることは、疑い始めることでもあった。衣服に残る匂いとまだ残る温かさが、目標の近さと正しさを示してはいるものの、果たして本当に終着服までたどり着けるだろうか。
「きさま、誰の入れ知恵だ?」
「ふふふ、勇ましかったのは降り始めだけね」
湯の匂いが近づいてくる頃、ついに最後の一枚が脱ぎ捨てられた。夕べからの雨のためか、必死で逃げ続けた間の汗のためか、すっかり水気を含んでいた。よくぞここまで来たものだ。
「枯れ落ちるまでが憂いなのよ」
それはもはや勝利宣言に等しかった。憂いに引き込まれるように、熊はゆっくりとくたびれた鼻を近づけた。誰1人触れなかった濡れ衣に、破れ去った狩人は、最後の唇を近づける。その瞬間、既に恋の残骸であったものは炎に包まれて、赤く燃え上がった。間もなく、熊は灰になった。
「ちょうどよかった。今から、うちは湯に入るところだから」
なるべくなら誰も現れなければいい、と思って開き始めるといきなり愛想がいい、とても笑顔の綺麗なおじさんが現れて戸惑いを覚える暇もないほど、何しろその人は何もしなくても友達を風の中からつれてくるような人だったから。覚えないと、覚えようか、せめて最初に現れた人くらいは覚えたっていい。人と人が多少のことで争ったり、絡み始めたとしても、できれば何も起きなければいい。過去を振り返ったりするのは、面倒だし、誰が誰の元恋人で、誰が本当のお母さんだろうと、関係ないし興味がないし、多少でも自分の人生に跳ね返ってきたり影響を受けたりもしたくないのだから、彼らはみんなおとなしくしていてくれればいいのに……。ただ流れて行ってくれればいい、今より多少でもこちらの世界を暗くしないでいてくれる程度の速度で。街角に止まっている赤の点滅が、とても綺麗で、見つめる内にどんどんと引き込まれていって、ほとんどそれは憧れに近いほどに胸の中を占めて行く時に、ぱちんと座布団の上で音がしてはっとする。今、その赤の下では、誰かが、たとえば遠い物語の世界の中であったとしても、酷い怪我を負っていて、命の危険にさえさらされているかもしれないのだから。舞台の向こうから送り込まれるさわやかな風が、みんなを穏やかな笑いの中に、包み込んでいる。笑顔の綺麗なただお人好しの人とだけ思っていたけれど、つるべさんは落語もしはるんやね。
「えらい上手に、落語もしはるんやね」