「あー、生き返った」
湯船の中からおじいさんの声がした。
「極楽ですか?」
「わしはうそは言わんよ。人はすぐに死ぬものじゃ」
おじいさんの言葉が岩に響く。
「おにぎりの具が落ちたら人は死んでしまう。ドラマの最終回を見逃しても、人は死んでしまう。恋人が来ない。隣人がうるさい。上司が怖い。シュートが入らない。台詞が覚えられない。お化けが出た。それでも人は死んでしまう」
「そんなことで?」
「わしもさっきマスダさんに負けて死にたくなったばかりじゃ」
「いや将棋に負けたくらいで」
「将棋に負けるというのは死ぬほどくやしいんじゃ」
「次勝ったらいいじゃないですか」
「マスダさんに勝つにはまず自分に勝たねばならん」
「勝てますよ」
「何であれ人は弱いんじゃ。だからすぐに死ぬ。そのためにこういう場所が必要になる」
「お風呂がですか」
「人間を温め直す心の泉がな」
「はあ……」
「人は何度でも蘇ることができる。お前さんも入りなさい」
岩を渡って僕も極楽に近づいた。煮え立つような湯船に足をつけた。
「あちっー!」
「お前さんは大丈夫。まだまだ生きられる」