年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

しょっぱいナ~

2007-01-30 | フォトエッセイ&短歌
はてナ この物体は何でしょうか。
 
このロウソクを拡大したような被写体は?生活の必需品・生命の根源・工業の材料と言われてもナ~、日本では見かけないので分からなくても仕方がない。そこで答えは塩(SALT)、塩と言っても「岩塩鉱山」から切り出された岩塩。比較する物がないが実際はドラム缶大の1.2トンもある巨大な塩の塊である。
島国、日本は四方を海に囲まれているので塩の豊富な国というイメージを持っていたが、トホホッです。日本の塩の自給率はたったの15%で極端に低いのだ。つまり85%、約740万トンを輸入する世界第2の塩輸入国(輸入先はメキシコ・オーストラリア)である。右はドイツ産の鉱石のような輝くばかりの岩塩。
晩酌に「塩辛と漬物」、この時期は熱燗ですね。にしてもそんなに塩を使ってるのか……
実は殆どがソーダ工業に使用されてる。<合成ゴムなどの一般工業用><衣料などのカ性ソーダ用><塩ビニ等の塩素用><ガラス等のソーダ灰用>なのだソーダ。ナント石油並みで塩をストップされたら日本の経済は絞め殺されてしまうではないか。結構中学では「地理」も好きだったけども。
 

渋谷ハチ公から代々木公園に抜ける公園通りを登っていくと勤労福祉会館が交差点右側にある。その先70mの所に『たばこと塩の博物館』がある。生命を支える塩、経済を支える塩、百聞は一見に如かず。特に日本の製塩業の歴史がジオラマや映像で見事に演出されている。因みに食塩の一日の摂取目標量(男10g:女8g)だそうです。入館料100円!高いのか低いのか。

大寒の日溜まり

2007-01-26 | フォトエッセイ&短歌
厚い落ち葉の絨毯を心地良さそうに踏み散らしながら少女が歩いてくる。クッキーでも入っているのだろうか、ぶら下げた赤いボックスが揺れている。就学前の年長組なのにえらく娘振りの雰囲気を持って「何か人生でも語り合いながら散策している」感じである。
カメラを向けると「ありがとう。可愛く撮って!」と言ったかと思うと二人で落ち葉をかけ合いながらはしゃぎ合って日溜まりの子供を演技をしてくれた。ヤラセではない子供の姿にホットする。
すでに大寒も過ぎ東京の年間最低気温を記録する寒さの峠にさしかかっているが、裸樹をかすめる陽は暖かい。深山幽谷を想わせてくれる閑静なオアシスが東京のど真ん中にまだあるのだ。有栖川公園。日比谷線広尾駅から5分、横文字だらけの妙に陽気に賑わう無国籍街路に面しているのも印象的である。


有栖川公園は江戸幕藩の東北の雄、盛岡藩の南部美濃守の中屋敷の跡地。廃藩置県の後、有栖川宮家に譲られたが紆余曲折を経て1975(昭和50)年から港区を代表する自然公園として市民の憩いの場となっている。公園を取り囲む道路は江戸時代の地図とピッタリと重なり、公園南側の坂道の「南部坂」という由来がわかる。面白いのは現在の南麻布の町名がつく1966(昭和41)年以前は盛岡町と呼ばれていた。町名変更で暮らしが詰まった歴史を語る地名が消滅していくのは何とも侘びしく小役人の想像力不足が情けない。そういえば市町村合併などで命名される「ひらがな市」名の何とも味気ない事か。
  
          

<台地・谷地を利用した公園でせせらぎが池に続く。鴨と家鴨がまあ一服、寒椿の濃い緑葉が輝いている>

品川の宿

2007-01-22 | フォトエッセイ&短歌
今年の「箱根駅伝」は順天堂大の往路の劇的な逆転優勝など駅伝の面白さを堪能させてくれた。この「箱根駅伝」は箱根までの東海道を往復する訳だが、諸所で東海道五十三次の旧東海道と交差している。その旧東海道が街道の面影を残して続いているのが、品川から大森海岸駅辺りである。ここは、日本橋を起点とした最初の品川の宿場街でここである。間口が狭く奥行きが長い地割りや由緒ある寺院が歴史を語りかけてくれる。何しろ明治の頃には足許まで東京湾の波が押し寄せていたという話を聞くと汐の香りも感じる。道標や本陣跡など「弥次・喜多道中」でぶらつける格好の散策路。

この旧道が第一京浜国道と交差する所に『鈴ケ森刑場(品川御仕置)跡』がある。1区、東海大の佐藤選手の区間賞の独走を予告させた地点である。江戸幕府は慶安の頃に重罪犯人の処刑場を東海道の鈴が森と奥州街道の小塚原に開設した。通常は牢内の切場で首を刎ねるが、江戸に入る街道の入口で公開処刑することによって威嚇見せしめにしたのだ。由比正雪の乱の丸橋忠弥、平井権八(芝居では白井権八)、八百屋お七らは歌舞伎などでも取り上げられた大物である。
廃止されたのが1871(明治4)年、200年以上続いた事になる。その間の処刑者の数は10万~20万人にのぼるが定かではない。驚くべきは品川区の郷土史資料によれば、処刑された者の何と4割が冤罪であったと指摘 …何とも恐ろしくも切ない。拷問による虚偽自白であっさり首を刎ねられたのであろうか。彼等は、箱根駅伝を駆け抜ける若者達をどんな無念の思いで眺めていることだろう。
「お縄になったら9割9分有罪」になるのは昔も今も変わらないらしい。冤罪はいつの世にも繰り返される司法権力の最大の堕落である。疑わしきは被告人の利益に!刑事裁判の鉄則である。

<旧東海道 品川の宿:文全協遺跡見学会>

ペコの幽閉

2007-01-16 | フォトエッセイ&短歌
暗いニュースが続きますので眼の洗濯に花だよりから入りましょう。
体感的にも寒くないナ~と思っていたらやはり「暖冬です」との気象庁の発表があった。青森県大鰐スキー場は第80回全日本学生スキー選手権大会を延期、津軽地方では「地吹雪ツアー」を中止するなど寒不足雪不足の思わぬトラブルに頭を抱えている。その暖冬異変の影響だろうか、冬桜が見事である。心細げに寒風に揺れる冬の桜であるが、今年は色も鮮やかに盛り上がって春爛漫の風情で咲いている。
  

クリームを食べた後なのでもあろうか、舌をペロリと出して満足そうに笑っているペコちゃん。子供たちに突かれてはユラユラと微笑むペコちゃん。その彼女が店頭から姿を消した。シャッターは堅く閉ざされペコ幽閉の「御定書」が不二家の殿様から掲げられている。
ペコの幽閉も寂しいが、懐かしい子供の頃の甘酸っぱいキャンディー「ミルキー」が蘇ってくる。不二家のブランド物ケーキなどはとても手が届かなかった。ペコちゃん・ポコちゃんの小さな箱に入ったミルキーを子供達で分け合って舐めたあの頃にタイムスリップする。レトロな味には子供の夢が込められているが、その夢は壊され忌まわしい味に変わって来てしまう今日この頃。
『牛乳は腐敗の臭いがなけばかまわない、捨てたら叱られる』従業員の証言である。会社上げての廃棄物によるケーキ製造と隠蔽工作が明らかになっている。もう古希を迎えたおばあさんが「商道徳が廃れてしまっネ~。社長、集めて道徳教育をせにゃ」。企業の社会的責任を鋭く突いていた。
 

蔵開き

2007-01-11 | フォトエッセイ&短歌
11日は「鏡開き」である、と言っても正月の鏡餅でしるこをつくって食べる日、程度の事しか分からなくなった。鏡餅はカラカラに干上がりヒビ割れ状態なので刃が立たないので槌で割る。割るは開くにつながりめでたい事。歳神様への供物であった鏡餅をおろして食べることは正月の終わりを意味して、本格的な「仕事始め」で商家の「蔵開き」とも一致している。
しかし、鏡開きそのものが日頃の暮らしから姿を消してしまった。何しろこぶし大の鏡餅はパック入りで槌で割る事もないし、正月元旦からコンビニは平常通りの営業だ。初荷・初売りなんて粋なものもなくなった。
かっては、日にちも形式も画一ではなく地域ごとの生活に根ざした正月気分サヨナラの新年の行事であったようだ。
 
そう言えば、あちこちで門松の撤去も進んでいる。これも正月の単なる飾り物ではなく「正月に歳神を迎える依代(よりしろ:神が招き寄せられて乗り移るもの)」である。渋谷センター街入口の鉄柱アーチに結わえられた松飾りは華やかなものである。おじさん達の及ばないギャル文化を発信し続けるセンター街に降臨した神様は何を見たのでありましょうか。ヘソ出しミニに昇天をしくじらなければいいが…。

  
サア、正月も終わった。お年玉で願掛けも粛々と万端すませた。後は願いを聞いてくれるかどうか、湯島聖堂孔子様のお力のお見せどころです。そう言われても、2人3人なら頑張れるけどこれだけ多くなるとワシも責任持てんわナ。賽銭も多くはなかったしのウ。大願成就は無しと心得て自力でやりなされ!

猪口才!

2007-01-06 | フォトエッセイ&短歌
  
今年の十二干支はイノシシ(亥)で新年早々は大活躍である。豚と間違うようなコロコロとした年賀状のイラストには笑えるが、干支の元祖中国ではブタの事をさすと言うから「豚似」を笑ってはいけない。そう言えば『西遊記』に登場する三蔵法師の家来「猪八戒:チョハッカイ」はブタである。<家猪で豚・野猪が亥>
最近イノシシが住宅地に現れたり農作物を荒らしたりで評判すこぶる悪化している。なにしろ雑食性で野菜・ザリガニ・ミミズと何でも食べてしまう。シャベル状の下顎の切歯で地面を掘り返し、食い尽くし荒らし回るのだからたまらない。被害地は爆撃の跡のような凄まじさだ。金網やトタンの囲いは問題外、電気柵も突破される。ゴルフ場のフェアウェーの芝生がやられているのは悲惨というか壮観としか言いようがない。
運動能力抜群で知恵者であり学習能力にもたけていると言う。ついに神戸市は「イノシシ条例」で対決することになったが、勝敗はこれからである……サテ。
1万3000年前の縄文時代から付き合って来たイノシシ。猪首 (いくび)・猪武者 (いのししむしゃ)・猪突 (ちょとつ)などすっかり人間生活に馴染んでいる。

極め付きは「猪突猛進」である。一気に駆け抜けたいがもうそんな体力もないが、せめて気持ちだけは「猪突猛進」を心がけたい。
<しっかりと規範を守り…凛とした国家を目指し…千万人といえども我往かん>。御猪口 (おちょこ)片手に猪上戸(いのししじょうご)もいい加減にせい。猪口才 (ちょこざい)な奴!ナンテ言ってみたいみたいもんだ。初詣にも行ったし、良いこともあるだろう。
  

初日の入り

2007-01-02 | フォトエッセイ&短歌
「初日の出」に手を合わせて無病息災・多幸平穏を祈る。特段の信仰があるわけではないが、一年間の出発の気概として悪いものではない。それにもまして朝の静寂の刻々と変わるダークブルーの空を切り裂いて伸び上がってくる太陽は見事なものである。
しかし、歳と共に朝の目覚めが早くなると言われているが、幸か不幸か未だその兆候現れる事はなく、御来光などは夢のまた夢でおよそ間に合わない。そんなわけで「初日の入り」に標準を合わせる。
ウ~ン、戦術失敗か。カッターナイフで切り取ったような鋭い冬の日没にはならない。気温が高くもやもやの団子がゴロリと転がり落ちるような締まりのない日没だが、高層ビル建設の重機がこの町のこれからを鋭く予告しているようにも見える。自然と折り合って進める再開発、ふるさとを呼び覚ます暮らしやすい街、コンクリート砂漠にならないようなそんな環境づくりが問われている。
アレモコレモ良かった!そんな事が積み重なる1年であって欲しいものだ。


日没までには今しばらく時間があった。西陽が大田神奈川線の多摩川に架かる『ガス橋』の欄干を映す。東京都大田区下丸子と川崎市上平間を結ぶ橋長387.7mの新しい時代の鋼橋桁橋建設技術の先駆けとなった橋。名が『ガス橋』なのでロマンを感じるが、東京ガスが鶴見製造所でできた大量のガスを東京に供給するために作られた文字通りガス管専用の橋であった。1931年9月に「瓦斯人道橋」として開通、1936年ガス管が増設され直径67cmのガス管を左右に1本ずつ橋中に抱きかかえている。


大田区側から多摩川を挟んで川崎方面を見る。ガス管が存在感を示している。
*「かながわの橋100選」(平成3年1月発表)なんてものもあってその1橋だそうです。