年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

更 衣

2012-06-26 | フォトエッセイ&短歌

 夏至(げし)が過ぎ昼と夜の長さの逆転が始まり、梅雨を挟んで本格的な夏を迎える。6月は更衣(ころもがえ)の季節で中学・高校では夏服への着用が許される。半年ぶりに陽の目を見る昨年のYシャツはだいぶ窮屈そうだ。伸び盛りの中高生の成長はタケノコなみで13~14歳で8.7㎝、14~15歳 4.5cm(男子平均:文科省)というから、昨年のシャツでは収まらない。
 12.7㎝も伸びた生徒の経験があるから「モッタイナイ」の精神主義では対応できない。格言に「衣食足りて礼節を知る」とあるが、近年は「足り過ぎて」礼節も地に落ちたと嘆くご老体も多くなった。四季を持つ日本民族は衣食に敏感なのである。
 衣更えが夏の到来を告げるファッションとして広く認知されるのは戦前の軍人と警官の夏服でからである。国防と治安という国家権力の中枢を担う戦力のプロ集団がファッションにいち早く取り組んだのが面白い。貧しかった日本社会の中にあって、夏を告げる軽やかな制服で颯爽と肩で風を切って歩く軍人達は畏敬の念で眺められたのである。子供たちの夢が陸軍大将・海軍大将であったのも頷ける。
 ところが、先日(6/13)真っ昼間の板橋、練馬で完全武装のレンジャー部隊の市街地行軍があった。軍用リュックや小銃、銃剣を携行し、顔にも迷彩塗装を施し目玉をギョロリとさせた実戦さながらの装備である。時代と場所を間違えたて出現した亡霊のような異様な光景である。もちろん軍服ではない。更衣が必要であるし、小銃、銃剣を持つ必要もない。
 ある歳時記を読んでいたら「更衣の制度をとっている職場もあるが、冷暖房が完備したオフィスが多くなった今日、衣更えの行事もやがてすたれていくだろう」とあってこれには笑えた。1993年の発行である。10年間で社会の様子がガラリと変わったのである。
 電力不足で冷房温度を上げて節電に邁進する涙ぐましい職場の現状、それでも15%節電に達しないのだ。ここは税金でメシを食っている役人が模範を示さなければならないと、役所の職員が一斉にスーツにネクタイを放棄してしまった。半ズボンにサンダル、アロハシャツなんていう役所もあるから、「更衣の革命」である。クール・ビズ(COOL BIZ)の造語で呼ばれる。衣更えの行事は廃れるどころか、ますます進化徹底されることになったのが現状である。
 原発の安全神話にコントロールされ、あまりに安穏に電力を酷使し続けた、電力文明の仕返しに直面しているという訳だ。
 節電キャンペーンは東京電力・福島第一原子力発電所の事故により原発ゼロになって一気に盛り上がった。しかし、知る人と知るで言い出しっぺは小泉純一郎内閣総理大臣で環境大臣の小池百合子に指示したのが始まりである。政界・官公庁や一部の上場企業によって「ノーネクタイ・ノージャケット」が実施された。2005年に始まった更衣の徹底であるが、娘たちの胸も背中も、腕も腿もと露わなCOOL BIZはこれはこれでいかがなものか。

<水面に浮かぶ幻想的で涼やかなサガリバナで梅雨のひと息を>

 

  骨だけのビニール傘の残骸が破れし我が身の生き様となって

  空高く梅雨の晴れ間の街路樹に微動だにせず破れ傘二つ

  「捨てるか」とネクタイ手に巻き眺むれば職場の匂いは絡まり離れず

  職を辞しネクタイ締める機会(とき)もなく戯れて巻く記念の朱色


紫陽花

2012-06-18 | フォトエッセイ&短歌

 梅雨前線が北上し東京管区気象台によって「梅雨入り宣言」が出された。南北に長い日本列島は地勢的にも複雑で梅雨前線が早まったり、遅れたりで「梅雨入り宣言」の機会に苦慮するが、今年はすんなりと梅雨入りが出来た。
 湿度が高く、しとしと雨が降り続き、黴(かび)がつきやすい時期なので「黴雨(ばいう)」とも、梅の実が色づく時期の雨で「梅雨(ばいう)」とも呼ばれる独特の雨である。あまり良いイメージはないが、走りの今は寒からず暑からずで、冷房も暖房もいらない。いわば自然節電の季節で1年中こんなだったら大飯原発の再稼働も棚上げになったのか、などと意外に頑固なドジョウ内閣の原発稼働の変節を憂う。安全神話が崩壊した今日、再稼働するにしても将来的には「減原発からゼロ原発へ」の基本的方向を示すのが最低の責務であろう。
 地方紙の歳時記の写真。人の温もりが消えた原発避難地域の路傍に紫陽花(アジサイ)のライトブルーが揺れている。紫陽花の学名は「水の容器」、梅雨の季節の花で色が変わることから「八仙花(ハッセンカ)」と呼ばている。
紫陽花公園を訪れると多くの日曜画家が絵筆を動かしている。カルチャーセンターの生徒かも知れない。覗き見のエチケットとして「見てもいいですか」なんて言葉を掛けるものなのか、それとも、黙ってそっと覗き見るのがエチケットの本道なのか。
 紫陽花とスケッチブックを往き来する鋭い視線、繊細きわまる絵筆の動き、他者を拒絶する素人芸術家のバリアが伝わって来る。気安く言葉など掛けるべきではないのではないか。つまらない事に悩みながら、何気なく近寄り横目でしっかりと盗み見しながら観賞する。小さな花が一塊になって手鞠のようにふっくらとした盛り上がりが紫陽花のポイントになるのか。
 雨脚に揺れ透明度を増すアジサイ、雄しべ・雌しべが退化し実を結ぶことのない装飾花(ソウショクカ)であるというのも侘びしい。過呼吸、ふらつき歩行、痙攣などを起こす毒性を持つアジサイ、そんな寂寥感や魔性も描き込めたら面白かも知れない。

<土壌が「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」といわれる>

 

  梅雨入りて恋し雨垂れアジサイは小さき口を天に開きて

  雑草が階を縁取る水無月に負けじと紫陽花 群れ伸び上がる

  潤いて肥えたる花序は艶もあり装飾花の虚しさ隠し

  緩やかな絵筆さばきに足止めん 桜貝色にじませて塗る

  信州の真意分からぬ友の絵を今年も義理で眺め来た昨日

  中学の写生大会懐かしく 我が名記せし選抜組に


合格大仏

2012-06-15 | フォトエッセイ&短歌

 上野公園に初めて行ったのは小学校の5年生くらいだったか。ほとんど記憶にないが、傷痍軍人や浮浪者がやたら多くて怖い思いした覚えがある。印象に残ったのは「西郷どん」の銅像である。浴衣姿で犬を連れて颯爽と散歩する庶民的な姿が何となく気に入った。
 その後、ワケありの「西郷どん」を知って「ウ~ン、そんなものか」と、それはそれで納得したものである。西郷像は建造当時、皇居内に建てる案であったが、朝敵となった西郷という事で反対意見が強く実現しなかった。西郷への反感を持つ政治家が多かったということだけではなく、反政府的機運を醸成しかねないという配慮があったという。
 従って「陸軍大将軍服着用の騎馬:西郷隆盛銅像」が、「さる筋から大将服姿に猛烈な反対が起」こり、犬を連れて歩く人畜無害な人物像という政治的意図が働いたという。私に歴史への興味を覚えさせてくれた一つのエピソートである。
 その上野公園、文化遺産研究グループによる「上野・谷中の史跡めぐり」のフィールドワークに参加した。高齢者が多く梅雨入りの小雨の中の散策で大変だったが、雨に打たれる浅緑の若葉が光り、水無月の下町風景を満喫した。
 上野といえば、戊辰戦争で寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が包囲殲滅し(上野戦争)、伽藍は焼失し、一帯が焼け野原と化した戦跡であるが、ここでは余り知られていない上野大仏災難の結末を記しておこう。
 上野公園は江戸時代の東叡山寛永寺の境内である。寺院関連の多くの遺構や建造物が残っているが、上野大仏もその一つである。建立の歴史は古いが、大正12年の関東大震災で頭部が崩壊したので、解体し胴部を寛永寺が保管し再建の日を待った。しかし、大陸侵略をめざす歴史の歯車は日本の運命を奈落の底に突き落としただけではなく大仏の息の根も止めてしまった。
 昭和15年、軍部政府は軍需物資不足のため一般家庭の金属を掻き集めて軍需産業の資源とした。釣鐘・銅像などは格好の標的にされた。解体保管されていた上野大仏も武器・弾薬と化し戦場に散っていったのである。詳細は分からないが、さすがに大仏の顔面部分だけは残されたのである。
 その顔面部がレリーフとして旧跡に安置されたのは1972年、現在は<合格大仏>として受験生の秘かな人気をえて<合格祈願>の受験生も多いという。その心は『もう顔だけなので絶対に落ちません』ダト!売店特製の合格鉛筆で若き芸術家の多くが東京芸術大学に入ったことだろうか。

<大仏様はイケメンが相場のようですが…?果たして上野大仏は>

  レリーフの上野大仏いたわしや火災震災そして戦災

  武器抱きて曠野の闇に伏す兵士大仏の加護に命ゆだねて

  絶対に「もう落ちない」と仏面 合格大仏に宗旨を変える 

   大仏も人間様のご意向で三面六臂の俗世の働き  

  木漏れ日も緑に染まり掌のなかに梅雨の雲間の一条の光り


あぶくま洞

2012-06-08 | フォトエッセイ&短歌

 福島原発事故は未だ収束していないし、原因も定かにされていない。それどこか、4号機が崩壊する危険性も指摘されている。東京電力関係者『4号機の原子炉建屋はわずかの余震で、完全に倒壊する可能性が高い。そうなれば、燃料プールが崩壊し東日本全体に深刻な影響を与える』といっている。
 原発風評被害で観光地は困惑しているとマスコミは現地の声を拾うが、果たして風評被害なのか。「日本の命運を握る福島第一原発4号機」は現実味を帯びている。というのが実態なのかも知れない。しかし、電力不足を漠然とした市民的危機感を盾に取って原発再稼働を野田内閣は「やってしまえ!」と原子力ムラのお歴々を背に前のめりである。福島もHUKUSIMAと表記され国際語になってしまった。
 前書きが長くなってしまったが、その福島に郡山から阿武隈山地を越えて陸前浜街道に抜ける、その途中の田村市の「あぶくま洞(あぶくまどう)」の地底のファンタジーに足を踏み入れた。阿武隈高地の釜山採石場で1969年に石灰岩採掘中に発見された鍾乳洞(福島県田村市)である。石筍や石柱など地下水に光る奇怪な鍾乳石が様々な色のライティングで演出されている。
 「あぶくま洞」最大のホールで天井まで25mもあるという滝根御殿に立つと一寸法師になったような存在の微小さを感じる。この奇妙な存在感の稀薄さは何だろうか。静寂に響く地下水の流れと正確無比の水滴の響きに言葉も失う。8千万年という悠久の大自然の営みに人間は対応出来ないという事を知るのみである。
 黙示録のような鍾乳石は1㎝成長するのに80年かかるのだという。8千万年も成長し続けている鍾乳石は人の世の右往左往を何というのであろうか。

<鍾乳洞、驚愕の地底と自然の偉業。光りのページェント>

  累々と石灰岩は聳え立ちあぶくま洞は泰山の中に

  まだ萌黄阿武隈山地の峠越え30㎞先は水爆の危機!

  掌の甲に一滴のしずく当てみれば腰まで響く地底の重み

  漆黒の滝根御殿は地下深き一滴ポツリと悠久のしずく

  時空越え人知も及ばぬ鍾乳洞光り華やか地中のファンタジー