年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

往復葉書

2012-04-28 | フォトエッセイ&短歌

 小学校の同窓会開催の往復葉書が舞い込んだのは成人の日であったか。……モウというかマダというか 激動の時代を生き抜いて古稀を迎えました。「古稀お祝い同窓会」のご案内です。幹事長は6年間、級長を独占して来ました不肖蔵蔵が務めます……
 成人の日は私の誕生日で血液が軽くドックンと波打ち、変哲もない挨拶文を意味ありげに読み込んでいた。級長の蔵蔵はクラゾウと読むが、蔵が二つも並ぶ面白い名前なのでダイジンとあだ名されていた。
 学校は横浜の最北部の信じ難いようなド田舎であり、古文でいう鄙(ひな)を説明するような佇まいの村であった。横浜なのに海を見ないで生涯を終える村人がいたし、文字の読めない老人も何人かいた。多摩丘陵の谷間に拓かれた田と丘陵を開拓した畑からの農産物が何とか暮らしを支えた。
 基本は路地物野菜の栽培であり特段の生産物があったわけではない。屋敷内で実をつける柿・栗・無花果・竹の子・梅などをそれらしく木箱に並べて出荷した。鄙とはいえ横浜・東京という屈指の消費地に近接地しているので小金が入ったのだ。戦後の食糧事情の悪い時期で何でも売れまくったという事もあるかもしれない。
 何とか生き延びていた、と言うと少々大袈裟に聞こえるが、一年時のクラス集合写真をみると衣服や履き物など酷く粗末なもので「映画に見る浮浪児」の集団である。セピア色の写真はしっかりと星霜を重ね紛れもなく70年の生涯を刻んでいる。
 その古里は高度成長、日本列島改造、バブル経済と戦後経済が何をしたのか、検証に値するような土地開発によって無残な変貌を遂げていた。利便と合理性を優先させた都市開発は人間と自然のあるべき関係を断ち切ってしまった。醜い資本の論理が醜いビール腹を持て余す昭和のジェントリーによって蹂躙されていた。
 かって水俣の資本論理は徹底的に有機水銀説を叩きのめすし、伝染病として患者を隔離させた。水俣は半世紀の死闘の末にようやくチッソの論理を破綻させた。自然と人間性の破壊に通じる古里の無謀な開発も同じ性格のもであるが、些かの批判も反省もなく資本優先の開発が行われている。
 激動の時代を生き抜いて古稀を迎えたか…。ダイジンの姿形がどうなっているか想像もつかない。多分、会っても分からないだろう。古稀お祝い同窓会の返信葉書に出席の○印をつけて投函した。

<もはや開発の槌音は幸せの尺度にはならない>

  風邪のよなしつこい冬が抜ききれぬ古稀の外出頭に掌置く

  春浅くビル風が舞うバス停は多摩丘陵の谷の辺りか

  武蔵野の木立の森の湧水は生き物多し ヒトも一員

  木漏れ日が揺れた小楢の武蔵野はコンクリの下で息を止めん

  開発の尖兵ならん電鉄の田園都市線はただひたすらに

  初恋の人とは言えず「忘れたよ」フォークダンスで足踏みし君

  居残りで算数ノート見てもらう古稀の彼女の変わらぬ気配り

  母娘のよな登ちゃん江ちゃん手を取って半世紀もの年輪を拾う

  この出会い最期になるか盃タッチ「まだ現役だぜ」ガキの面影


原発ゼロ

2012-04-23 | フォトエッセイ&短歌

 現在国内で唯一稼動している原子力発電所は北海道電力の泊原子力発電所の3号機だけとなっている。この3号機も5月5日までに定期検査のために停止、「稼働原発ゼロ」のカウントダウンに入った。「原発ゼロ」を問う絶好の議論の契機であり、原発から撤退する千載一遇の機会でもある。
 福島第一原発の過酷事故は安全神話のまやかしを根底から暴き出しただけでなく、事故が起きた時の2世代にも渡る修復不能な事態を招くことを目の当たりに見せつけた。その事故は人間と社会を絶望的な闇の世界に追いやる人類史にも残る惨事であることを確認する必要がある。
 政権が「原発に依存しない社会を目指す」として「脱原発宣言」を行ったのは当然である。まず事故の徹底的な原因究明を詳細にして責任の所在と被害者に対する賠償を行い生活の再建を進めることだ。そして廃炉までの工程表を早急に示す事が必要である。
 しかし、「稼働原発ゼロ」のカウントダウンのなか莫大な利益を上げている原発利益共同体(原子力村)の反撃が活発になり、雲行きが怪しくなってきた。仙谷政調会長代行は「原発の停止は日本の集団自殺である」とまで言い切った。
  野田首相、枝野経産相、細野原発担当相、藤村官房長官は再稼働の安全基準をお手盛りで決定し「安全性が検証・確認されれば、定期検査後の再稼働」はあるとスタンスを変えだした。そして、関西電力から出された大飯原発の再稼働を認め、枝野経産相が西川福井県知事を訪れ再稼働の要請までしている。
 「大飯原発は安全」「原発は電源として必要」というのでは原発安全神話の第2章の幕開けとしか言いようがない。再稼働ありきの背信行為である。続いて、枝野経産大臣は「5月6日から一瞬、原発がゼロになる」という意味不明の日和見発言をして物議をかもしている。「原発ゼロになるが、すぐ再稼働」しますよとでも言いたいのか。
 原発NO!は今や広範な世論である。是非をめぐるの鬩ぎ合い、正念場でもある。どんなに防潮堤を高くしてみたところで、強固な免震棟を作ったところで、ウランの核分裂反応による原子力発電は「例えば事故が起きなかったとしても」放射性汚染廃棄物の処理が出来ないのである。原発はダメです!

<放射性物資の汚染は目に見えない。長い恐怖の時間が続く…>


  ゴミ箱の酒ビン数え医師一人仮設のドアに声掛けて入る
  
  我が街に原発ゼロのデモが行く店から顔出し驚き見ゆる
  
  原発の尚言いつのる安全を原子力ムラの産・官・学が
  
  原発は暮らしを支える産業とマイク奪って叫びいる男
  
  放射能内部被曝か母は問う生理遅れる娘を気遣う


目黒川

2012-04-14 | フォトエッセイ&短歌

 今年は3月に厳しい寒さがぶり返し桜前線の北上がスローペースで、気象庁や測候所などの「予想満開日」が発表出来ない地域が多かった。例年の桜祭りに蕾がようやく緩み始めるなど、花見の日程に苦労した「宴会係」もいた事だろう。ところが、この予想満開日の報道を任されているメディアがとんでもないドジを踏んだ。
 10日付の毎日新聞(「天然記念物を訪ねて」=土浦市小野の翠巌山向上庵(すいがんざんこうじょうあん)の県天然記念物のシダレザクラ)茨城県版の記事。満開の写真に『…たどりついた寺院の境内は花見客でにぎわっていた…石段を上るにつれて、シダレザクラの角度が違って見え、樹姿の向きと高さが変化するので面白い…』と記者のコメントが記されている。ところが、このシダレザクラは昨年9月の台風で根元から折れ、現存していないので、捏造であることがバレテしまった。記者は向上庵を訪れていないし、サクラが咲いているか、  どうかの確認もせずに記事を執筆したということだ。もし、桜が健在だったら向上庵の風物詩として洒落たコラムになっていたであろうに、お気の毒というしかない。検察の証拠捏造も跡を絶たないご時世だからサクラ如きは可愛いものであるが、マス・メディアの報道にはユメユメ信用することなく眉に唾してかからなければならない。
 そんな訳で例年の1週間遅れの12日に目黒川の散策花見に行った。中目黒から目黒不動前駅までの約3㎞、春風に吹雪き始めたサクラのトンネルを歩いていると屋形船が登ってくる。「目黒川花見クルーズ」があるとは知らなかった。以前に比べれば都の取り組みもあって汚水臭はずいぶん無くなったが、それでも若干の悪臭が鼻をかすめる。ちなみに当日得た知識だが、新宿区上落合にある落合水再生センターの高度処理水を送水管により1日約3万トンを目黒川に流し、清流の目黒川を目指しているとか。

<目黒川を被うサクラのトンネル。川面には散った花弁が渦をつくっている>

  焼き鳥の香りと花片こき混ぜて目黒界隈昼下がりなり
  
  コンクリに閉ざされし川緑なく桜吹雪に粒砂まじりて
  
  リュウマチの友逝く病舎桜越し『ろくでなし』歌った歌姫はなし
  
  太鼓橋江戸名勝の桜狩 行人坂を登れば富士見

  目黒川風吹き抜けて舟登る花弁はゆるりと左右に分かれ