年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

木 斛

2013-04-29 | フォトエッセイ&短歌

 靖国神社の春の例大祭に閣僚が参拝(4月21日:麻生太郎副総理兼財務相ら閣僚3人、23日には国会議員168人の集団)したとして中国・韓国の反発が続いている。このような外交問題になることを配慮して靖国参拝が持論の安倍総理は「真榊=供物」にとどめた。靖国を巡ってくり返される中・韓と政府の埋めがたい溝がある以上総理の判断は適正だったと云える。
 しかし、麻生太郎副総理の参拝という事で中韓の批判は収まらない。菅官房長官は「私的な行動」だから外交問題にならないと言う。繰り返される「私人か公人か」の蒸し返しである。総理も「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。尊い英霊に尊崇の念を表す自由は確保していく」、また副総理は「祖国のために尊い命を投げ出した人に政府が敬する事を禁じている国はない」等と相も変わらぬ見解を示した。そして、国を代表する指導者のこの心情が国民全体のものでもないというところに問題の難しさがある。
 靖国の捉え方の違い、歴史認識の相違は当たり前の事で「脅かしに屈しない」という発想が解らない。が、これほど鋭く対立し、外交問題を揺るがしている現実に鑑みて一国の総理たる者の対応があってしかるべきである。歴史認識の一致とか共有などは土台無理な事である。が、東アジアの一員としてアジア共同体の安全安保、共存共栄の外交関係を具体的に取り組んで行く責務がある。
 靖国は政治の場になっている。168人もの国会議員が胸を張って颯爽と参拝する画像が映し出されていた。サクラが終わり靖国の喧噪が去ったかと思いきや靖国の騒擾は収まらない。
 都心に出かけたので、千鳥ヶ淵公園から靖国に向かう。春の日の中に不気味なほど静かに鎮まっている。本殿は一周する事が出来て木斛(モッコク)が取り巻くように植樹されている。右後方には神池庭園があり、錦鯉が群れて泳いでいる。
 モッコクはモチノキ、モクセイと並んで庭木三名木として親しまれているが、材質が堅く床柱としては珍重されている。この木斛がなぜ本殿を守るように植わっているのか。これは雑学であるが‥。木斛は炎に耐えて燃えにくく(耐火性)、熱を遮断し延焼を防ぐ(防火性)力を持っていると言うから防火樹として記念植樹されたのであろう。

本殿を囲むモッコク。厚い葉は緑色で光沢があり春の日に光っていた。

  緑濃き葉は艶やかに輝いて微動だにせず不動のままに

  木斛は春の日のせて揺るぎなし北支に逝った声重くして

  靖国を囲みて並ぶ木斛は戦友会の名札ぶら下げて

  戦場の暴虐に倒る若者の最期を知るか 木斛に問う

 


こぶし

2013-04-25 | フォトエッセイ&短歌

 福島の友人から便りが届いた。一進一退の寒さで春の訪れをヤキモキさせている福島でも桜が咲き始めた。色を失った山々もさみどりに輝き始め、里では辛夷が霞のように靄っている。梨の透き通るような花も開き始め春の足音が見えるようになった。と思ったら季節外れの雪が舞って一面の雪景色になったという。
 4月下旬に雪がちらつくのは珍しくはないが雪景色をつくる積雪は余り記憶が無いともいう。早めの春に身を乗り出した、サクラもコブシもナシもモモも降る雪の中で花弁を震えさせていた事だろう。東北では花がイチニイサンッと掛け声かけて一気に咲き始める。
 もう30年以上も経つか、新任の頃、ガリ版刷りの学年通信を発行していた事がある。まだサクラの蕾も堅く北西の風が冷たく吹く中で辛夷の花が咲き始める。清楚な白い花で造りもシンプルで、如何にも春を告げる花である。
 学年通信のタイトルを『こぶし』にした。生徒は最後まで「こぶし」を「拳」と理解していたようだ。辛辣な記事が多かったからナ~。窓越しに見える辛夷の蕾を見ながらカリカリとガリ切りした遠い思いが浮かんできた。鉄筆を握る指先が冷たかった。原紙のロウの香りが清々しかったという記憶があるが原紙に果たして匂いがあったのだろうか。あれは修正インクの匂いではなかったのか。
 ワープロが導入されファックス印刷器が普及した時にはこんなに楽にプリント出来てしまっていいのかと目を疑った。1/10の労力で済むようになったが、教育現場は別の大きな労力を必要とするようになっている。進学対策にイジメの対応、モンスターペアレントと食品アレルギー緊急対策の講習と学校は多忙である。
 窓越しに揺れていた辛夷は窓枠いっぱいに大きく葉を広げ時代の経過を物語っている。

北風の残る空に真っ白に咲くコブシの花

 

  辛夷まだ小さき頃にガリ切りの通信『こぶし』に意気込み強く
                                           
  新学期辛夷の花を眺めつつガリ版通信『こぶし』と名付ける

  ガリ版のたより『こぶし』に燃えた日々辛夷の幹も細き頃に

  ガリ切りの通信『こぶし』カリカリと窓打つ辛夷小さき頃に


桜 早まる

2013-04-08 | フォトエッセイ&短歌

 新年度が始まり新入生・新社会人の旅立ちである。あるいはまた第二の人生に挑戦する新定年退職族の誕生でもある。学校も会社も何かと華やぐ時期だが、定年退職の夫を迎えた家庭の華やぎは数日で終わり、息の詰まるような日常が延々と始まる家庭が少なくないと聞く。かっての企業戦士はやることも行くところも失ってウロウロと目障りな存在となり、粗大ゴミと揶揄され蔑まされる。
 高度経済成長期を仕事一筋に生きて来た結果としては何とも侘びしい話だが、現況をみればそれはそれで良き時代の完結の仕方であるとも云える。昨今は定年まで会社に居られる保障は無く、肩叩きといわれる退職勧奨が普通だ。断れば「追い込み部屋」「追い出し部屋」等と呼ばれる地下倉庫に放り込まれ、精神的に追いつめ、自主退職を余儀なくされる。
 こんな事が罷り通るようでは日本の先行きに未来はない。明るい話に戻そう。8日は入学式でピカピカの新入生の誕生である。かって桜はこの日を待つように咲きほころび、盛り上がるピンクの峰からは花弁が吹雪となって舞い散る。自然の摂理は裏切る事はなかったが、今年は2週間も開花が早まったうえ、二度の暴風雨に見舞われ花びらはもぎ取られ、暖雨で若葉が開き始めている。
 気象的に爆弾低気圧とか。北からの寒冷前線と南からの温暖前線が列島近辺でぶつかり気候が大荒れになる。最近、特に東日本大震災の後、何か自然のサイクルがおかしくなっているのかという問いにぶつかる。確かに子供の頃の春夏秋冬と違う感じがする。
 しかし、地震に雷、津波に大雪は自然の産物である。火山列島であることは周知の事実、台風が襲って来るのも年中行事、遅霜で野菜が全滅すのも当たり前の自然の営みである。日本の国土はそういう処に位置しているのである。桜が2週間早まったとてどうって事ではないのだと思い知るべきだ。文明の機器に慣れ親しみ、自然を従わせられると考えるようになった人間の傲慢な奢りに気づいた方がいいのかも知れない。
 地震の津波に驚きと嘆き、この世の終わりかのように騒ぎ立てるが、思わぬ自然の反撃はこれからも100%の確実さで襲ってくるのだ。
 新入生を引き連れて桜吹雪の舞う桜並木を駅まで一緒に歩き駅前でサヨナラした過ぎ日を思う。

桜絨毯のなかでママたちの話が弾む。古木に花びらがしがみついている。

 

  桜散る御苑の弥生汗光る異国の言葉が落花となって

  老木の花弁に息を吹き掛けし老いの肺では飛ぶこともなし

  怪しげに桜吹雪舞う里山を安吾を想いて駆け抜けて行く

  低気圧花の名残もなんのその毟り運びて春終わりけり

  しばらくは花の上なるママたちの尽きぬ話は保育所無きを

  しなやかに春待ち生きて綻びぬ壊れし九段に糸桜あり