年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

款冬華

2016-01-27 | 俳句&和歌
◇◇◇  款冬華
 
  「冷ゆること至りて甚だし」大寒である。長崎の積雪17㎝の坂道の映像を見てるとゾクッとして納得する。奄美大島に115年振りに雪が舞ったというが、いつ頃なのか。
 2016-115=1901(明治34)年で、田中正造が足尾鉱毒事件で天皇に直訴、その1ケ月後には青森歩兵連隊の八甲田山無謀雪中行軍で210名中199名が死亡するという陸軍史上最大の事故が起ている。大寒の時期であった。
 映画『八甲田山』(新田次郎原作『八甲田山死の彷徨』)で北大路欣也扮する神田大尉の「天は我々を見放した」は当時の流行語になった。徳島大尉の高倉健の熱演が思い出される。兵卒の生存者は4名だけだったが、彼等は山間部の者でマタギの手伝いや炭焼きに従事している若者だった。
 そんな訳で「大寒」を暦本で見てたら「款冬華」の三文字に出会ったが、読みも意味も解らなくて苦労してしまった。なんと「ふきのはなさく」と読み、意味は「厳しい寒さの中、蕗の薹(ふきのとう)がそっと顔をだし始める」という内容だそうだ。
 ついでに受け売りの解説。この頃の「寒の水」は雑菌が少なく長期保存に向いていて体に良し味よしで、凍り豆腐、寒天、酒、醤油、味噌などを仕込む時期となっている。
 冬来りなば春遠からじ……1週間で立春を迎える。蕗の薹の天ぷらで一献、季節に恵まれた地勢の幸せである。


                     
 
 今日もまた列島は風雪なれど款冬華春の気配も
 
 街道にダイコン山と積みおいてレジは空カン人影もなし
 
 大根は水滴らせ葉を広げ冬枯れの畦で寒風愛でる


 
 
 
          改憲の騒動連れて年明ける
 
   三猿にさてどうするかと酒を酌む
 
   裸木は大事も些事もすっからかん
 
 
 
※款冬華(ふきのはなさく)=二十四節気の大寒(初候・次候・末候)の初候にあたる。

満員電車に乗れず

2016-01-20 | 俳句&和歌
◇◇◇  満員電車に乗れず

 記録的な暖冬か続いていたが、18日早朝には南岸低気圧の発達で関東地方は雪に見舞われた。東京23区でも積雪を記録し滅多にお目にかかれない雪景色を見せてくれたが、如何せん5㎝位では綿帽子のような深々と鎮まる、視界が一変するような雪景色にはならなかった。
 しかも、雪は小雨に変わりシャーベット状の醜い斑模様に変わり、夕刻には雲の切れ間から冬陽が射し始めていた。だが終わってみれば「滑って頭の骨」骨折など206人が怪我をしたと報道された。
 たかが「これっぽちの雪」だったのだが、交通機関への影響は甚大で航空便と高速道路はマヒ状態となった。とりわけ鉄度は壊滅と云っても過言ではない。来ない電車でホームは一杯、改札口から駅舎外まで乗客の列が延々と続いた。こういう時に通常では見聞することがない思わぬ事態が飛び出して「そうなのか」なんて事があるものである。
 玉ノ井部屋の東輝は午前6時半に部屋を出て国技館に向かった。電車は遅れに遅れ、ようやく来る電車も超満員で力士の渾身の押しでも乗車出来ない。なにしろ125キロの巨漢、乗り込むスペースが確保できない。結局、2時間遅れで到着し、予定の18番後に翔希と対戦、決まり手は押相撲ではなく「寄り切り」で初白星をあげた。
 宮城野部屋の翔希(しょうき)は 74キロの西序二段八十六枚目の弱冠17歳。午前7時に場所入りし、相手がいつ来るか分からないので気持ちが切れた「待ちぼうけ」の末に敗れた。幕下以下の彼等を正式には力士養成員と呼ぶ。
 東輝も翔希も特段の出世をして関取にならない限り、ニュースになるのはこれが最初で最後である。それにしても6:30の出勤時間とは早いナ~

 
 
 
  黒星を十個並べて金星や笑みは半分マイクに向かう
 
  大銀杏乱れ清しく前頭大関倒しどっと転がる
 
  臥牙丸や大砂嵐の面魂 故国背にして猪突の蹲踞


 

   悴かんで立合う前に往される

   懐手サッと手を抜く審判団
 
   初場所に冴ゆる力士の玉の汗

 
 
 
※東輝(あずまひかり)=東序ノ口筆頭の22歳。部屋は足立区西新井4
※悴む(かじかむ)=手足が凍えて思うように動かなくなる。 冬の季
※往なす(いなす)=急に体をかわして、攻撃に出る相手の体勢を崩す
※冴ゆ(さゆ)=透き通ったような、凜とした様子。 冬の季

甲州トウモロコシ

2016-01-13 | 俳句&和歌
◇◇◇  甲州トウモロコシ
 新年早々「富士写撮会」の写真展にNさんの誘いがあって出掛けた。ネーミングの如く富士山を撮影するグループの写真展である。四季の変化に移ろう霊峰、黎明の輝き、昼下がりの雲との戯れ、夕焼けの赤富士と雄姿のシルエットとたたみ掛けてくるような作品に圧倒される。
 厳かな泰然としたMt.Fujiそのものを被写体とするグループのようで、それはそれで見応え充分なのだが、私的には共感しにくい作品もあった。以前、忍野村の近くで富士山を背に「甲州もろこし」を干している風景に出会いデジカメを向けたことがある。
  昔ながらの「トウモロコシの掛け干し」。冷涼で稲作が難しかった村で食料として栽培された恐ろしく固い甲州トウモロコシで粉にするために乾燥させる作業である。富士の裾野を駆け抜けてくる寒風の中に村人のつましい暮らしの歴史を感じさせたものである。
 今回、作品展に行く切っ掛けになったのは他でもないNさんから頂いていた、冠雪の始まった富士山を背景にした「大根の掛け干し」の写真である。それはタクアン用に掛け干しした真っ白い大根の写真だった。甲州トウモロコシを思い出した。
 子供の頃の話。タクアンは自家製で大根洗いは子供達の仕事だった。2本を葉のところをワラで縛って振り分けにぶら下げて干したのである。ほどよく萎びたところで粗塩だけで樽に漬けるのだ。重しの「沢庵石」を載せて終わりである。10日もすれば瑞々しい沢庵が丼一杯食卓にあがる。
 写真展にその作品は無かった。


 
   黎明の朝靄払い佇立する旭日一閃富士の肩より
 
  富士抱く清冽池もなんのその忍野の里は異国語の渦



 
    吊るし柿富士の冠雪真に受けて
 
    紅玉の歯にシャッキリと寒の入り
 
 
 
※甲州トウモロコシ=一時、姿を消したが、村おこしで栽培農家が増えきた。
※紅玉(こうぎょく)=小さくて酸味が強い真っ赤なリンゴ。

三猿の教え

2016-01-06 | 俳句&和歌

◇◇◇   三猿の教え
 今年の干支は「丙申」で申年である。本来の読みは「しん」、これを「さる」としたのは無学の庶民に十二支を理解させよと動物の猿を当てたのだと物の本に載っている。
 これが、しっかり定着し年始には欠せない動物となり、年賀葉書は猿の繚乱である。霊長類で我々ヒトの仲間であるが、猿知恵、猿真似、猿芝居とヒトより劣るものと貶めている。アメリカでyellow monkeyといえば日本人に対する最大の侮蔑としても用いられる。
 年賀状に「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿のイラストがあった。三猿の謂われについては中学生の頃に聞いた記憶がある。江戸時代「お上に対する庶民のあるべき姿勢」を表現したものだと云う。民衆は為政に対して「目をつぶり、耳を塞ぎ、口をつむんで年貢を納めていれば天下泰平」。士農工商の江戸時代はこうして300年間も続いたのだと。 君たちはこういう封建的姿勢では駄目だ!主権在民だ!戦後教育を感じさせる三猿の解釈であるが、民主主義と重なってすごく納得させられた記憶がある。
 しかし、三猿の解釈がこればかりではなく、この封建的思想云々は少数派である事を知ったのはずっと後の事である。そればかりでなく三猿話は猿の生息している所、世界中にあるというのだ。
 マハトマ・ガンディーは常に3匹の猿の像を身につけ「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたという。アメリカの教会(日曜学校)では三猿を用い「猥褻なものを見ない」「性的な噂を聞かない」「嘘や卑猥なことを言わない」よう諭したという。如何にもカトリックの国らしい。三猿にもお国柄の文化がうかがえる。

 

 初詣背を震わせて土下座する限界老人なにを祈るか

 恙なし 六十余年も延々と意味有りや無しや賀状が続く

 

   追羽子の響きにホッと足止まる

   鰐口の響きのこもる初景色

   雪吊の縄のカラカラ淑気なし

 


※丙申(ひのえさる)=十干の「丙(ひのえ)」と十二支の「申(さる)」の組合せ
※鰐口(わにぐち)=仏堂の軒に掛かっている丸い仏具。参詣人は布綱で鳴らす。
※淑気(しゅくき)=新春のめでたくなごやかな雰囲気


あけおけメール

2016-01-02 | 俳句&和歌

◇◇◇  あけおめコール

 新春といっても特段の事がなくなった。指折り数えて迎えた子供の頃のお正月は「歓喜」と呼ぶに相応しものだった。衣食充ち満ちて物皆輝く新年だった。その強烈な思い出が懐かしい。
 年賀状も年毎に億劫になり始め、今年は遂に両面パソコンで作成してしまった。何とも味気ない体裁であるが、届けれた賀状も手書きなどは「貴重品」の類である。紙の年賀状その物が消滅するのもそう遠い先ではないだろう。
 電気通信事業者協会は『ヒツジから最後の、サルから最初のお願い!』として、元日午前0時からの「あけおめコール・メール」を控えるよう呼びかけた。新年を期してスマホ・ケータイで「あけましておめでとうコール・メール」が集中し配信遅延が発生しているからである。2時間待という状況だとか。
 各家庭に、というか個人に「テレビ電話」が普及してくるのは時間の問題である。そうなれば、恙なく暮らして居ることをメッセージするだけのパソコン作成の年賀状文化は大きく変わらざるをえない。手塚治虫の『鉄腕アトム』に「テレビ電話」が登場してきた時には夢のまた夢のような話だったのだが、最早、現実である。

 

 何気なく賀状に込めた恋心三日三晩てこづりて散る

 旧姓に戻りてひとりさばさばとお一人様の賀状舞い込む

 


   20年まだ息災だ 賀状来る

   年賀状ガレキの匂い消え去らず

   コンビニが華やいでいる初春に

 


※電気通信事業者協会=NTTドコモ、KDDI、ソフトバンク、ワイモバイルなど