年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

木道を歩く

2013-05-28 | フォトエッセイ&短歌

 「夏の思い出」は尾瀬沼のミズバショウを歌った、清純が輝くような江間章子(えましょうこ)の詩でる。1949年にNHKラジオ歌謡で発表されたとあるから、戦後の飢えと混沌の中に何か夢を輝かせたいという思いもあったのかも知れない。生涯現役で活躍するも2005年、脳溢血で逝く、享年91歳の大往生であった。
 この頃、山ブームが起こり、尾瀬は踏み荒らされ、糞尿処理が問題になった。「尾瀬の自然を守ろう」運動で尾瀬に行ってから既に半世紀が経っている。残雪が残る初夏のさみどりの湿原に咲く純白の水芭蕉の花には「武骨な野郎ども」も一瞬足を止めたものでる。
 「あれは花ではなく仏炎苞(ぶつえんほう)という苞ですよ」仏炎苞の中の円柱状のブツブツ状のツマラナイ部分が花だという。事実はしばしば夢をかきくだくものである。根茎はアルカロイドという有毒性物質がり、吐き気や呼吸困難や心臓麻痺を引き起こす危険があるので、見るだけにしましょうとのこと。花には刺がある。
 「水芭蕉の森・どうだんの森」を歩く。南蔵王の山麓に群生する水芭蕉やサラサドウダンの植生が自然保存されている。自然観察と保護思想の普及の場として整備したという。水芭蕉の花は終わろうとしていたが、幾株かが花を開いて待っていてくれた。

水芭蕉の群生地に木道が延々と続く

 

  水芭蕉花朽ちゆけば緑濃き夏の陽差しを空に戻して

  青春の「夏の思い出」めくるめく仏炎苞はブラウスの白か

  早春の緑に溶ける木道を喜寿に向かいて真っ直ぐに歩く

  木道を歩く足音秘やかに山鳥の音に重なりて響く

 


早稲田

2013-05-16 | フォトエッセイ&短歌

 田植えといえば麦刈りが終わった時期に一斉に始まったものだ。六月の初め木々の新緑が濃い緑に覆われる頃、麦畑は黄金に輝き小波のようにサワサワと揺れる。初夏の透き通った陽射しが小波に陰影を作って広がっていく。田園の最も美しい風景ではないか。
 晴天の日を見計らって麦の収穫が始まる。麦刈、麦扱、麦打と一気に片付けるのが稲の収穫作業と違うところだ。見た目には美しい麦だが、麦打の時に出る芒(のぎ)は閉口ものだ。汗の皮膚に着く芒の痛痒さは格別で皮膚が弱い人は赤く腫れ上がる。
 作業の合間に爺さんがストロー(麦藁=むぎわら straws)で手品のような手捌きで虫かごを作ってくれる。小麦は製粉してウドンになる。大麦は押麦にして麦飯になる。自給自足のそんな時代がこの間まであったのだ。
 現在は稲と麦の二毛作が行われることもなく初夏の麦畑を見ることはなくなった。そのために田植えも早々と行われる。
 まだ、6寸くらいの早苗(さなえ)が田植機で移植され田の中で震えている。
田植えは梅雨の頃の作業であったが、今や春の農作業となっている。やがて、トマトと同じように、新米が1年中出回る時代が来るのかも知れない。俳句の季語の解説が必要にもなってくるのだろう。

若芽の薄い緑を早稲田に映して水面に揺れる早苗たち


  冷たかろ 早苗はたんぼの水の中心細げに田面に首出す

  吹き下ろす蔵王の風は雪名残り早稲田の水面に早苗踏ん張る

  黙々と田植機一人田植えするエンジンの音谷戸に響かせ

  田植機にTPPはストップ!のステッカー張りてグッグッと進む


花の絨緞

2013-05-12 | フォトエッセイ&短歌

 絨緞は厚い毛織物の敷物の事で難しい字である。ジュータンと読みは何とかなるが、書くとなると手強いのでカーペットで賄う事が多いが、何となく安っぽい感じがしてくる。絨(じゅう)は厚い毛織物、緞(たん)は生糸で織った地に厚い織物で厚々の感じがする。ペルシャ絨毯は世界のブランド品であるが、蛇遣いとか、魔法のランプとか、ラクダの盗賊とか、不可思議な魅惑の織物であった。
 子供の頃に空飛ぶ魔法の絨緞を本当の事と思い、絵本片手に呪文を唱えて遊んだ思い出がある。半信半疑とは云え、このまま本当に飛び出したらどうしたらいいのか、かなり深刻に悩みながらの呪文である。
 転がり落ちたら痛いだろうとか、降りる時にはどうしたらいいのか、そんな思いである。幸いな事にムシロの絨緞はフワリと浮くこともなく姫君を脇に載せて安心して遊ばせてくれた。魔法の絨緞にはそんな子供達の想像力をかきたてるものがあった。
 春の野山を花の絨緞に乗って巡ってみよう、歳時記の新聞記事に誘われて出掛けてみる。ピンクと白の芝桜が新芽の浅緑に映えて照るように展開している。白とピンクのペンキを流したようで風情には欠ける花である。グラウンドカバーとして使用される花とあるがナルホドと納得させられる。5万株が植えられているという。これだけ揃うと有るか無きかの芝桜の香りも濃密となる。いよいよ、春は本番を迎える。
 私、本名は<花詰草、花爪草>なんだけど俗名<芝桜>に地位を奪われてしまったの…、そんな一文を見たので蛇足ながら記しておく。

華の絨緞の異名を持つ芝桜の見事な展開

  武骨なる岩盤蔽う芝桜訪ねし人の眼差しに笑む

  さみどりが花爪草に溶け込んで春の小原は淡彩の中

  五月照るシバザクラ背に声高く山菜商う大男あり

  紅白の花詰草にさ緑が混じりて春の夕暮に霞む

  吊り橋にさんざめく子等の声高し花詰草も笑いて迎う


花の都

2013-05-09 | フォトエッセイ&短歌

 5月初旬、祝日が続き連休となる。かつて働き蜂と言われ有休も罪悪視され休むことを知らなかったこの国の労働者にとって天下晴れての休日となる。憲法記念日・みどりの日・こどもの日・振替休日、まさにGolden‐Weekである。1日くらいならゴロ寝休日も結構だが4連休もとなるとそうはいかない。
 まして子供でもいれば旅行にテーマパークにアウトドアにと出掛けざるをえない。道路の渋滞予想、観光地の人出予測、交通機関の混雑状況などがニュースになり何となく世の中が浮き立ってくる。凄まじい人出を前提にいざ出発となる。
 退職した無職組は「言うなれば日々是GW」のようなものだから、そんな時に出掛ける事はないのだが、何となく混雑の中に紛れ込んで見たくなるのも凡人の人情である。そんな訳で宮城の蔵王連山の麓まで東北自動車道の割引料金をいかしてのドライブとなった。
 連山の頂は残雪に覆われ、吹き下りてくる風は肌に冷たいとは言え北国にも春が訪れ今が盛りである。今年の冬は寒さが厳しかっただけに春が一挙に弾けたのである。ナシに木蓮、サクラに辛夷、ツバキに三ツ股、リンゴに桃。水仙にスミレ、タンポポに芝桜、ツツジに藤、チューリップに水芭蕉などが一気に咲き競っている。この時期、みちのくは花の都となる。

桃のピンクも霞む鮮やか過ぎるチューリップ

  春一気 桃のピンクも競い負け鮮やか過ぎるチューリップの赤が
  
  寒ゆるみ芽吹きの音に誘われてタンポポすみれ色競い咲く
  
  連山の渓雪に湧く雲なびき桜も辛夷も霞の中に
  
  風止めばウグイスの音がさえ渡る未だ葉もなき楢の枝から