善宝寺の奥の院は龍王殿である。名の通り竜神(りゅうじん)を祀っている。竜は想像上の動物であるが、神格化されて「竜神」となって竜神信仰のシンボルとなった。水中や地中に住み、ときには空中を飛んで稲妻を放ち、雨を降らせるという事だ。
これが、海神(わたつみ)信仰と関連し漁民の間にも竜神が信仰され、竜神祭あるいは竜宮祭を行って海の平安を祈ったという。
<豪快な彫刻が施されている、奥の院:龍王殿の本殿>
仏であり、神であり、竜でありと神仏習合の賑やかな善宝寺であるが、歴史的には竜神信仰が中心になっているのだろう。
江戸時代に北廻り航路が開設され酒田湊の発展と共に善寳寺の信仰が一段と広まったとある。明治時代、漁業関係者の発願によって我が国唯一の「魚鱗一切の供養」の五重塔が建立され現在の偉容が整ったという。
五重塔(ごじゅうのとう)は、仏塔の形式の一つで、釈尊の遺骨を奉安するもので、仏教寺院において最も重要な建物とされているのだが… ここでは「魚鱗一切の供養」塔となっている。
<如何にも龍神様の霊験新たかな緑陰に聳える均整のとれた善寳寺の五重塔>
山形と言えば出羽三山である。羽黒山、月山、湯殿山の三山の総称で古くから信仰の対象となった霊山で、修験僧の出羽三山信仰の場として知られる。
善宝寺から鶴岡羽黒線を20㎞も走ると羽黒山の出羽神社に着く。出羽神社は出羽三山神社の修験の祖と云われているだけに歴史も古く来歴も複雑でどんな神様を祀って何があったのかは計り知れない。読むこともままならない。まずは末社の群が目を引いた。出羽三山には百一末社と称し、羽黒を始め月山、湯殿山の山嶺、または幽谷に多数の末社が散在している。
<羽黒山:出羽神社の末社群。大雷神社、健角身神社、大山祗神社……>
これが、海神(わたつみ)信仰と関連し漁民の間にも竜神が信仰され、竜神祭あるいは竜宮祭を行って海の平安を祈ったという。
<豪快な彫刻が施されている、奥の院:龍王殿の本殿>
仏であり、神であり、竜でありと神仏習合の賑やかな善宝寺であるが、歴史的には竜神信仰が中心になっているのだろう。
江戸時代に北廻り航路が開設され酒田湊の発展と共に善寳寺の信仰が一段と広まったとある。明治時代、漁業関係者の発願によって我が国唯一の「魚鱗一切の供養」の五重塔が建立され現在の偉容が整ったという。
五重塔(ごじゅうのとう)は、仏塔の形式の一つで、釈尊の遺骨を奉安するもので、仏教寺院において最も重要な建物とされているのだが… ここでは「魚鱗一切の供養」塔となっている。
<如何にも龍神様の霊験新たかな緑陰に聳える均整のとれた善寳寺の五重塔>
山形と言えば出羽三山である。羽黒山、月山、湯殿山の三山の総称で古くから信仰の対象となった霊山で、修験僧の出羽三山信仰の場として知られる。
善宝寺から鶴岡羽黒線を20㎞も走ると羽黒山の出羽神社に着く。出羽神社は出羽三山神社の修験の祖と云われているだけに歴史も古く来歴も複雑でどんな神様を祀って何があったのかは計り知れない。読むこともままならない。まずは末社の群が目を引いた。出羽三山には百一末社と称し、羽黒を始め月山、湯殿山の山嶺、または幽谷に多数の末社が散在している。
<羽黒山:出羽神社の末社群。大雷神社、健角身神社、大山祗神社……>