年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

蔵開き

2007-01-11 | フォトエッセイ&短歌
11日は「鏡開き」である、と言っても正月の鏡餅でしるこをつくって食べる日、程度の事しか分からなくなった。鏡餅はカラカラに干上がりヒビ割れ状態なので刃が立たないので槌で割る。割るは開くにつながりめでたい事。歳神様への供物であった鏡餅をおろして食べることは正月の終わりを意味して、本格的な「仕事始め」で商家の「蔵開き」とも一致している。
しかし、鏡開きそのものが日頃の暮らしから姿を消してしまった。何しろこぶし大の鏡餅はパック入りで槌で割る事もないし、正月元旦からコンビニは平常通りの営業だ。初荷・初売りなんて粋なものもなくなった。
かっては、日にちも形式も画一ではなく地域ごとの生活に根ざした正月気分サヨナラの新年の行事であったようだ。
 
そう言えば、あちこちで門松の撤去も進んでいる。これも正月の単なる飾り物ではなく「正月に歳神を迎える依代(よりしろ:神が招き寄せられて乗り移るもの)」である。渋谷センター街入口の鉄柱アーチに結わえられた松飾りは華やかなものである。おじさん達の及ばないギャル文化を発信し続けるセンター街に降臨した神様は何を見たのでありましょうか。ヘソ出しミニに昇天をしくじらなければいいが…。

  
サア、正月も終わった。お年玉で願掛けも粛々と万端すませた。後は願いを聞いてくれるかどうか、湯島聖堂孔子様のお力のお見せどころです。そう言われても、2人3人なら頑張れるけどこれだけ多くなるとワシも責任持てんわナ。賽銭も多くはなかったしのウ。大願成就は無しと心得て自力でやりなされ!


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