年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

旅たち

2012-11-29 | フォトエッセイ&短歌

 従来、墓碑と云えば土台を二段重ね、その上に棹石(さおいし)が立っている。その棹石に「家紋」と「○○家先祖累代之墓」と刻まれ、墓こそ代々続く一族の象徴であった。ところが墓も個性化が進み、墓石の形や刻まれる文字も一新されつつある。
 これは単に墓石の規格化が嫌われて進化したという事ではなく、墓石が劇的な変化を遂げた事に他ならない。戦後社会の先祖(家)中心の考え方から個人中心の社会となって、墓のあり方も変化せざるを得なかったと言える。先祖から受けついだ家や家文化を子孫に伝える累代墓は少なくなった。
 墓の雰囲気も変わった。昔は墓場といえば肝試しの定番、幽霊が跋扈する気味悪いところとなっていたが、現在は公園墓地の名の通り散策コースにもなっている。春ともなれば桜の名所として花見で賑わう所も多い。
 墓碑は「旅たち」をした故人の人生を語るモニュメントなのである。様々な意匠を凝らした墓石に生前の生き方、あるいは暮らしの様子をうかがわせるような想像力を掻き立てるものがある。がこれが果たして故人の遺志だったのか、看取った親兄弟の施主の意志なのかは定かではない。
 「こんなキザな墓を建てやがって、ワシャ知らん」なんて草葉の陰でグウタレているかも知れない。「死んで焼かれたら全て無、葬儀も墓もいらん、骨粉にして山なり海なりにまいてくれと遺言したのに」
 若い時は法事とか葬儀に参列しても「旅たち」のイヴェントとしてやり過ごして来たが、古稀を過ぎるとそうはいかない。極めて現実性を帯びて来て敏感になるのだ。墓はなし、継がせるような家もなし。灰にして海にでも撒いてくれればいい。仲間内で「旅たち」の話になると2/3位の人が葬儀なんていらないという。しかし、実際に海に撒いというのは一例しか聞かない。
 大規模な葬儀も豪華な墓も華やかな法事も死者に捧げられるものなのだが、現実には生きている者のご都合なのだ。故人が生前に何と云おうと、葬祭を行う生きている者が取り仕切るのだ。それは、死を受け入れ、死者と向き合い、居なくなった故人の居場所を埋め合わせて日常を取り戻す作業に他ならない。
 だから、死ぬ前にああだコウダと云うのはどうか。生きている者がこれからも生きていく一番良い方法で「旅たち」の顛末を執り行うということなのではないか。


筑波山を臨むこの墓地の一角はユニークな墓石が並んでいる。

 

    日に映える墓石は明るく呼びかける思い残さず爽やかに逝ったと

  振り返る三途の川を渡るとき今旅たちの微笑み残し

  一度たりとも微笑みもなき人生を生きし過酷な友の顔あり

  墓碑を建て一件落着これまでと死者を背にし暮らしの中に

  滔々と「我が人生に悔いなし」と唄う女(ひと)あり介護歴20年


チェロメイ

2012-11-23 | フォトエッセイ&短歌

 マラソンと言えば冬のスポーツ。駆ける事などおよそ無縁な私は炬燵に寝転がってタイムを気にしながらアアダコウダと能書きこきながらの観戦だ。CMの時間には「ヨッコラショ」とお茶を入れに行ったりトイレに立ったりと何やかにやと結構忙しい。
 立冬を過ぎた11月18日、横浜市の山下公園を発着点にした横浜国際女子マラソンがあった。たまたま開港記念会館に用事があって「日本大道り駅」の地下から地上にあがったら、何やら騒然としている。黄色のヤッケのスタッフに聞くと4分後にはトップランナーが通過するという。
 思わぬ偶然にしてやったりとカメラポジションを決めていたら大会関係者の大型車輌や報道関係の車がダダッツと通過したかと思うと先頭のランナーが目の前を通過していく。赤いランニングウエアーに包まれた褐色のしなやかな肢体、軽快なエンジンを思わせる腕の振り、メトロノームのような一寸の狂いもない足の運び、音もなく一陣の風の如く走り去っていった。後が続いて来ない。
  2時間23分7秒の大会新記録で優勝したリディア・チェロメイ(ケニア)であったことは後に知った。実際に見られたのは時間にして2秒位か。目に焼き付く美しい走りであった。とりわけ、目線を前方地面の一点に向けた顔にブレがなく、哲学的な風貌さえ湛えていた。やっぱり本物は圧倒的な凄い迫力である。
 チェロメイから3分35秒遅れで2位に入った那須川瑞穂は素人目にも明らかに姿勢が崩れていた。日本陸連の幹部が日本選手の余りの気力の低調さに嘆きの声を上げていたが、何か根本的なマラソン哲学が必要なのではないか。
 まあ、そんな事はともかく、駅のエレベーターは厳禁して階段を登ろう!と一瞬だが誓うのであった。

アッと云う間に通過しチェロメイさんの写真は撮れなかった。13位に入った松岡 範子さんの力走か。


  都市砂漠ビルの谷間のせせらぎを飛沫のように流れ消えゆく

  コンクリのみなとみらいの谷深く流れるようにランナーが走る

  しなやかに大地を蹴って駆け抜ける美しき脚一寸の乱れなく

  軽快にアスファルトを蹴るチェロメイは砂漠で鍛えた牝豹の足か

  しなやかにチェロメイの足が巻き起こす一陣の風はアフリカの風

  ビルの谷間の都市砂漠チェロメイはケニアの牝豹となりて疾走す

  褐色の引き締まる下肢躍動しケニアのチェロメイ横浜を走る


暖 竹

2012-11-20 | フォトエッセイ&短歌

 夕陽が沈む、夕焼け空、落日の大陽……とくれば、詩や句や短歌のみならず芝居や映画やドラマでもよく使われる絶景となる。海と空を黄金色に染めて水平線に没する人間を寄せ付けない紅の大陽、拡がる都市に秘やかに息する庶民の街を燃え尽くす炎の夕陽。人間がいてもいなくても夕焼け空は哲学的な美しくで迫って来る。
 朝の御来光を崇める事はあるが、夕日ほどの情感がない。思えば、生き物は一日一日を終末に向かって歩いている。何を成し遂げて没するのか、最後をどのように迎えるのか。そんな意識が明暗の日没に精神的郷愁を呼び覚ますのかもしれない。物足りないような、淋しいような、でも待ってはくれず宵闇が地上を被う。
 立冬を過ぎれば空気の澄む日も多くなり夕日が一段と美しくなる。山の端に消える陽光は神々しいばかりだ。無用で無敵の雑草と云われるダンチク(暖竹)の穂が何故か懸命に揺れてるようだ。逆光を受け濃い影をつくっている。 
 砂地、荒れ地などあらゆる土壌にも適応し、ヒ素、カドミウム、鉛の汚染された土地でも育つと云う可愛いげのない奴だ。ダンチクに敵なしである。ところが、最近、バイオ燃料の原料として使えるのではないかという報告がなされ注目を集めるようになった。その日がきたらダンチクが人類に対して初めて役に立つ活躍の時なのかもしれない。

*ダンチク(暖竹)は関東を北限とする暖地に生育するイネ科の多年草。地方によってはアセまたはヨシタケと呼ぶ。イタリアのヒトラーが紙の原料にしたことでも有名。


  暖竹は影絵見事に演出し靱(つよ)き花穂にも哀愁ありて

  ヨシタケのザワワザワワと風に鳴る日暮れの挽歌を静かに奏でる

  立冬を越えれば宙(そら)も広がりて夕日を抱きて沈み消えゆく

  光芒を放ちて沈む太陽はなお去りがたく夕映えとなる

  深き影スーッと消えゆく日没に犬抱く男の溜め息があり


家 苞

2012-11-17 | フォトエッセイ&短歌

 俳句を楽しんでいる友人がいる。まだ、始めて日が浅く、と言っても、私の短歌歴とそう変わらないから、5年位になるのだろうか。最近の彼の悩みは新聞の句欄に投稿しても採用されずに掲載される事が少なくなった事である。と言うのも、俳句を始めて直ぐに句欄に投稿したところ面白いように掲載されたのだ。
 「よし、本格的にやって見よう」と取り組んだところ、バッタリと採用が減ったという。彼の初期の作品で読売俳壇に掲載された作品『ちゃん付けで呼び合う友や夏料理』いきいきと雰囲気がイメージ出来る。
 彼の所属する会は定例の吟行を行うらしいが、そこでも余り芳しくはないようだ。で、彼は次回の吟行の下見をして、その一句を送って来た。吟行地としては定番の隅田川河岸の「佃島」である。
 『新海苔の佃煮買ふて家苞に』
 江戸佃煮の発祥の地で現在でも当時の伝統を守って佃煮の製造販売をしている「天安」で佃煮を買った時の一句であろう。家苞の読みも意味も解らないだろうと<*家苞(いえづと)=持ち帰り土産>と注を付けてくれたのが有難かった。何しろ初見は「万葉集 : 包みていもが家苞にせむ」とあるから、マア現代語としては使われる事もなく読みも意味も解らなくてもしょうがない。
 そこで、彼は家苞の語感を生かすために「買ふて」という旧仮名遣いを使っている。句作の苦労と面白さが分かる。が、しかし『ちゃん付け…』の方が、優れていると思うし、句欄の常連になるのには、ひと山は苦労して超える必要があると思う。私も茶々を入れて『新海苔の江戸を包みて家苞に』と返信して楽しませてもらった。本戦の吟行で沢山の票が入る秀句が出来る事を祈念している。

以前、私も訪れたことのある佃島の天安。愚作を並べます。

  下町の江戸風情残る佃煮屋 紺の暖簾の屋号も粋に

  佃煮屋江戸の香りを漂わせ紺の暖簾に天安を染める

  甘辛の秘伝の味の佃煮を誇らしげに女将は口にす

  賑わいし隅田の渡しの昔日を語ることなく碑が佇みて

  暮れなずみ屋形船にも灯が入り佃小橋に活気が急ぐ

  船溜まり舫だ綱の屋形船天ぷらの香を漂わせ待つ

  佃島下町風情の路地細く出桁の窓に風鈴が鳴る

 

 

 

 


お 縄

2012-11-13 | フォトエッセイ&短歌

 古民家の納屋で目にした、ワラで縄を編む「縄編み機」の現物である。既に塩ビニなどの化学流製品としてのロープが主流となって縄は死語に等しい。「縄編み機(なわあみき)」は御蔵入りとなり文化財の仲間入りである。
 今は「縄編み機」となっているが、縄は綯(な)うので「縄綯い機」が正解であろう。でないと、禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)=幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだという、諺の意味が分からなくなる。
 写真「縄綯い機」はある日、ふと停められたままの姿だが、肝心な部分が欠落していて臨場感がない。実はワラが垂れている部分にY字形の樋状の羽がついているのだ。その羽に4,5本のワラを差し込みドラムと連動しているペタルを踏んで歯車を廻すとワラが噛み合って縄が綯われるのだ。
 縄は土木建築現場のみならず流通部門でも重要な役割を果たした資材で、農民達の現金収入を支えた。江戸時代からの夜なべ作業の定番であった。私が子供の頃、昭和30年頃まではどの家にも「縄綯い機」があったような気がする。一巻、30円だか300円くらいで売れたのではなかったか。子供には「縄綯い機」が扱えなかったので藁打ちをやらされた。物のなかった戦後のしばらくの時期である。
 時代劇のテレビドラマの傑作と言われる『鬼平犯科帳』は火付盗賊改方長官:長谷川平蔵の捕物帳である。江戸市中を騒がす大盗賊の<お頭(オカシラ)>と辣腕の鬼平との対決が面白い。最後は<お頭>が「お縄になる」「お縄にかかる」事によって一件落着となる。お縄とは「罪人が御用となり縄で縛られること、今流に云えば逮捕され腰縄・手錠をかけられる」事だ。
 『鬼平犯科帳』では<お頭>のキャラクターが良くできている。大盗賊のボスなのだが、犯さず、殺さず、豪商を相手の盗人働き、御上嫌いの市民(観客)は心秘かに大盗賊側に身を置いてしまう。平蔵の捕物と裁きは『暴れん坊将軍』の勧善懲悪とは違う時代劇の結末があり人気の秘密がある。
 で、<お頭>は「お縄を頂戴する」事、つまり逮捕していただいて事件は解決する。子分が犯さず、殺さずの掟を破ったためにお頭は「お縄を頂戴する」するのだ。殊勝な奴、その盗人根性が気に入った、人間が出来ていると然るべき裁断を下す平蔵であった。

「縄綯い機」。これは足踏みの人力ではなく動力で回転する。当時を思い出して

   秋雨に縄綯う音がガラガラと納屋の庇の雨脚を消す

  稲刈りも終わりし秋も深まりて筵織る土間に焼き芋匂う

  テカテカに藁打つキネの減りし痕 幾世代もの労を語りし

  ペダル踏み歯車重く回転す裸電球もユラリと翳る

  藁仕事筵(ムシロ)に俵(俵)に藁草履 僅か半世紀隔世の感

  縄電車縄跳び縄引縄土俵 遊びし縄の鐘楼の前


烏 瓜

2012-11-09 | フォトエッセイ&短歌

 秋田の友人宅に世話になった折り「これぞふる里の味ですよ」と『いぶりがっこ』をドンブリ一杯出された事がある。友人は懐かしそうに実に美味そうにバリバリと平らげる。燻製にした大根の漬け物、味も匂いも食感もお世辞にも美味いとは思わなかった。「これぞおふくろの味です」というフキとサトイモとニシンの煮付けも生臭くて完食に苦労した。
 美味いとか不味いとかの味覚は環境によって影響されるのではないかと思う。酸っぱい物が好きだとか、甘い物は嫌いだとか、生まれつきの体質的な好き嫌いは別にしても。
 色彩の好き嫌いもあると思うのだが、これは何によって決定されるのだろうか。色の好き嫌いを別ける遺伝子の作用によるのなのだろうか。烏瓜 (カラスウリ)の朱色が何ともいいネ~と言ったら、同行の御仁が「嫌いな色だ」と言うので驚いた。色にも好き嫌いがあるのだ。
 カラスウリの朱は秋を彩る代表的な色だ。赤と黄色の中間色、一般的には橙色(だいだいいろ)と呼ばれる。涼から冷に移つる季節の風合いを持ち、暖かみの中にもサラリとした爽やかさを感じさせる。車道のガスが充満しているであろう生垣の樹に絡みついたカラスウリの鮮やかな朱が立冬の陽に輝いている。玉梓(たまずさ)とか、狐の枕(きつねのまくら)の俗名もある。
 小学生の頃、このカラスウリの果肉を脚に塗ると足が軽くなって早く走れるという事が云われていて運動会の必需品であった。ふくらはぎに塗ると皮膚が突っ張って如何にも早く走れるような気がしたが、果たしてどうだったのか。カラスウリの種子は、鎮痛・消炎剤として用いるとあるから満更ウソではなかったのかもしれない。食用にもなると言うので食ってみたが、何とも苦くて美味くはなかった。誰も下痢をした様子もなかったから、毒ではなかったようだ。遠い秋の運動会の日の思い出の一つでもある。
 
秋の日を映して揺れる眩しいような橙色の烏瓜。

  枯れツルに危うし下がるカラスウリ秋の日映す朱き輝き

  立冬の弱き陽差しを満身に日溜まりに受く宝石の如く

  瓜実の赤き実なにやら謎めいて狐の枕と古人は呼びし
  
  秋吹けば化粧(けはい)を始める頬紅で赤く染まりて陽の中にある
  
  カラスウリ含めば苦く痺れ来る泉で口を濯ぎて流す


髪 型

2012-11-06 | フォトエッセイ&短歌

 うんざりする厳しい残暑で朝夕の涼風が待たれ、扇風機の片付けはいつ頃になるのか。そんな、思案をしていた矢先、ゾクッと夜中に目覚め、毛布を引っ張り出す冷え込みようだ。気温的には初秋も中秋も飛ばして晩秋の気配となった。
 床屋に行ったら親爺が冷暖房機のカヴァーを外して何やらいじっている。「なにね、暖房にスイッチしたんだけど上手く機能しないんだ」「無理もないよ、昨日まで冷房の仕事してたんだから。居間なんか扇風機とストーブのダブル顔見せで並んでるよ」カミさんはそんな事を云いながら、薄くなった私の頭に手を載せて「どんな風にしますか」と髪型を尋ねる。
 マア一応はスタイルを確認するのであろうが、波平さんよりチョットばかり毛が多いか?程度で髪型も何もあったものではないのに。とは云え「これから寒くなるから、上に全部揚げて、余り短くない方がいいね」なんて格好付けて注文を付ける。下げようが、長かろうが地肌丸出しの頭に髪型スタイルの施しようもなかろう。
 スウスウする頭にシアトル・マリナーズの野球帽を被って秋晴れの郊外に出かける。マリナーズは海兵隊、穏やかじゃないな。ニューヨーク・ヤンキースにレンタルされたイチロー、来年はどうなるのかナ~。雑木林はまだ初秋の色合いを残し紅葉はしていない。収穫の終わった田んぼにはワラボッチが秋の陽を浴びて立っている。
 最近は機械による稲刈りなので余り見ることが無くなった田の風景である。 蘖(孫生=ひこばえ)も瑞々しい緑に染まり小さな影を落としている。

 初秋の田んぼに秋の陽の影を落とすワラボッチ


  秋浅く紅葉前線なお遠くワラのボッチが緑に映える

  柔らかき秋の緑を陽に染めて田面の産毛かひこばえは揺れ

  鎌の刃鋭い切り株は終わりなき 芽吹くひこばえ命を伝う

  稲苅りの腰の痛みを思い出す 田は静まりて切り株続く

  ひこばえの柔らぎて立つしなやかに木枯らし吹く日を知らされず育く