年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

土間の竃

2012-12-28 | フォトエッセイ&短歌

 横浜市戸塚区にある「舞岡ふるさと村」は農業育成と田園景観保全を目的にしたもので里山の散策が楽しめる。尾根と尾根の間には谷戸田が広がり、その一角に古民家が移築されている。江戸時代末期から明治初期の様式を伝える明治後期の建築だという。
 1950年代の中頃の神武景気をきっかけに経済の高度経済成長が始まり茅葺き屋根の家屋は田舎でも姿を消していった。横浜の郊外の茅葺き屋根の田舎家で育った私にはそれほどの古民家とは思えなかった。が懐かしいやら、よくもまあ、こんな所で生活していたものだ感心するやらで当時を思い出した。
 古民家の農家の特徴は玄関口を入ると広い土間がある事だ。土間には囲炉裏が切ってあり冬などは一日中火を絶やす事がなく、鉄瓶や鍋が掛かっていて湯が沸いていた。
 土間には、流し・竈(へっつい=カマド)・茶箪笥・食卓があるダイニングキッチンである。土間を抜けると井戸と風呂場があるのが普通だ。土間の機能はこれだけではない。 土間は屋内作業場でもあった。出荷野菜の箱詰め、筵や俵を編むワラ仕事、精米や粉挽きの作業、餅つき・味噌づくりなど季節作業もあった。記憶のひとつに日本茶を作ったり、菜種油を絞ったりの今では想像もつかない仕事もあった。土間は自給自足的な田舎の日常生活の中枢機能を果たしていたのだ。
 ふるさと村の古民家の土間はそんなありし日の暮らしを彷彿とさせた。カマドには薪が放り込まれ火炎が吹き上げていた。サツマイモを蒸かしているのだという。薪の弾けるたびに煙が上がり太古の匂いが漂う。煙は家中を流れて柱、天井、板の間を黒々と染めあげていく。
 農作業から上がって囲炉裏(炉:ろ)を囲んで食事をする風景は弥生時代からの風景である。2千年近くも続いたこの基本的な暮らしの有り様は僅か50年ですっかり消えてしまった。生活は豊かになり便利になり、その進歩度合いはますます速まり、留まることはない。それは、また多くの事柄を失う事でもあった。

カマドではサツマイも蒸かしていた。土間は煙で靄っている

  鎮座する土間のカマドは命綱 荒神様と崇めし時代あり

  赤々と火が火を重ね煽りおる伸びる火焔は閻魔の舌か

  薪弾け火の穂燃えいるへっついの堅き土間に火焔映して

  目に浸みる煙の匂い懐かしく土間の隅まで漂いて流る  

  湯気上がるザルに山盛り蒸かしいも飢えし戦後の思いも盛りて


脱穀機

2012-12-21 | フォトエッセイ&短歌

 晩秋の日曜日「舞岡ふる里村」に散策に行って珍しい物に遭遇した。足踏み式脱穀機で稲扱(イネコキ)をやっていたのである。最早、若い人には見当もつかない文化財級の農機具と農作業である。説明のしようもないが、タルに逆Vの金具を付けた「こぎ胴」を回転させて稲束の穂から実をもぎ取る農機具である。「こぎ胴」と踏板をクランクで連結してあるので、上下運動が回転運動を起こす仕組みだ。例えば、こんな風な物だという例える物が思いつない。
 おじさん達が神妙な手付きで稲束を差し入れるとブワッとホコリが舞い上がり、実が弾け跳ぶと歓声が上がる。春の田起こしから苗代、田植え、稲刈り、天日干しと経ての稲扱きである。一年間かけての米づくりの収穫の日で楽しく無いわけがない。
 「千歯扱き」に替わって足踏脱穀機が普及したのは明治末年で戦後30年代まで使用されていた。私も中学生の頃まで足踏脱穀機でイネコキをしていた。両手で稲束を握って、
片足で力任せに踏み板を踏み続け「こぎ胴」を回転させるのである。稲束の握りが弱いと稲が引き込まれてしまうし、足踏みの回転に勢いが無いと稲穂が扱けない。
 一時間もやるとへたばって立っていることも叶わない。何とも大変な重労働で中学生には無理な作業である。金輪際、百姓などやらないと固く誓ったものであるが、やがて電動力となりコンバインとなり足踏み式脱穀機は農具資料館でしか見ることが出来なくなった。
 ふるさと村に市民の米づくりのサークルがあって楽しんでいるのだそうだ。脱穀機の脇では脱穀の籾を風力で選り分ける唐箕(とうみ)の作業も行われていた。クルリ棒と云われる唐竿(殻竿=からざお)や万石通(まんごくどおし)もそろっているから、すべからく江戸時代そのままの農作業を体験しているであろう。
 米文化をこういう形で伝承して行くことは大切な事であるが、農作業の過酷さを体験してきた私には懐かしくはあるが、手を出す気にはなれない。

小春日和の古民家の庭。二人掛かりで足踏脱穀機で稲扱きをしていた。

 

  懐かしき稲こきの音ガラガラと紙芝居かと目も点になる

  一丁前に日曜百姓手さばきも稲束握れば様にもなって  

  稲刈りも稲扱きもあり過ぎ日は4分3世紀経ちてあり

  米に飢え命を落とす戦後あり米さえあればの神話を紡ぐ  

  米駆逐マックのおじさん穏やかに星条旗を全国に立てる

  まだまだとTPPで口直し侍ニッポン箸を忘れる


蜘 蛛

2012-12-17 | フォトエッセイ&短歌

 女郎蜘蛛は大きな三重の網を張り、その中央にドッシリと構える強靱な姿は壮観である。木漏れ日が当たると、腹部と脚を彩る黄色と青黒色の縞が蛍光塗料の様に光を発する。側面後方の紅色の斑点も不気味である。
 その女郎蜘蛛の生涯は1年間で師走に入る頃には卵を残して死に絶えてしまう。強靱な勇姿を見ていると哀れを催すが、女郎という名称が苦界を連想させるからか。女郎と言えば遊女(ゆうじょ)、遊郭や宿場で男性に性的サービスをして「客を遊ばせる女」売春婦で貧窮した庶民の娘たちが残された唯一の身体を資本に稼ぐのである。
 悲哀の極みである。それがクモの名前となっているのは何か謂われがあるのだろうか。藪の木立に強力な網を張って獲物の掛かるのをじっと待っている。トンボ、スズメバチなど大物でも引っかかれば一巻の終わりで女郎の餌食となってしまう。
 ただし、これはメスの話でオスは網を張ることもなくメスの張った網の隅で秘やかに神経を尖らせて侍っている。油断しているとメスに喰い殺されてしまうし、交尾のチャンスをうかがって子孫を残す大変な仕事もあるのだ。
 「黄金の網を張る秋の女王」とも言われる。黄色と青黒色の縞模様を輝かせる細く長い脚を踏ん張り、金色に光る網の中央で泰然と構えている姿はまさに女王の名にふさわしい。
それも木枯らしの頃には最期を迎えるが、温暖化の昨今、都市では年越しする女郎蜘蛛の様子も観察されていると云う。

見事な美しい姿態だが、蜘蛛嫌いな人には不気味さがたまらない

 

  冬立ちて罠を仕掛ける女郎蜘蛛 最期の捕食をじっと窺う

  女郎蜘蛛異界に誘う風体に足が止まりて糸吐くを観る

  網張りて要になりし真ん中で泰然自若動くことなし

  黒黄色ダンダラ模様を身にまといじっとにらみてオスを威嚇す  

  金色の糸紡ぎだし網を張る木立のワナは木漏れ日に光る


黒の式服

2012-12-07 | フォトエッセイ&短歌

 冠婚葬祭、どちらも黒の式服が正装で白黒のネクタイで分別するというのが面白い。白黒をつけるというが、一目瞭然である。黒ネクタイは余り結びたくはないが、古稀を過ぎるとどうしても黒が優勢となる。まして、少子化の影響で若者の減少に加えて独身主義者の激増で白ネクタイなど陽の目を見る機会が少なくなってしまった。
 新聞の歌壇、『五年ぶりの花嫁見んと過疎の村の人ら集い来コスモスの道』久しぶりの過疎村の結婚式である。淡いコスモスの揺れる道を新郎新婦が進んで行く。じいさんばあさんの笑顔が絶えない。幸あれと祈る。
 昔、そう昔の話ではある。三組の仲人をすれば社会的に一人前と云われていた。20才を過ぎればお見合が当たり前で特段の事が無ければ結納挙式となる。30才40才を独身で居ようものなら変人にされてしまう時代のことである。
 昨今は結婚を迫ったり、非婚に目くじらを立てる事さえタブ-である。結婚するかしなかは、個人の生き方の問題であり他人からとやかく云われるものでは無いし、云われる筋合いのものでもないというのが今どきの流儀である。が、一方では就婚なる造語も巾を聞かせてその業界は隆盛であるという。個人の問題だといいながら業界のプロにお任せするというのもこれまたおかしな話ではあるのだが。
 まあ、そんな事はともかく久しぶりに華やかな白ネクタイの出番となった。挙式という性格上、綺麗な花嫁花婿を眺めながら、難しい話題もややこしい問題もなく上等なフランス料理にワインで一時を過ごす極上な時間となった。仲人の長い二人の紹介も無ければ、田舎から馳せ参じたおいちゃんの挨拶も無いのが最近の形だという。後一回くらい白ネクタイを結ぶ事があるのだろうかと年を数えてしまう。
 二人の出会いから挙式に至る経過もプライバシーの問題であっさりとしている。クリスチャンでは無いが、牧師が教会の形式に則って進めていく。違和感のない程度にイエス様を登場させる。二人の愛の誓いを神が微笑んで受け止めているような真実味、臨場感を盛り上げる。巧みな演出である。仏様とか神様、芝増上寺や靖国神社ではこうは行かないのだろうなと感心してしまう。純白のウエディングドレスに包まれた花嫁さんはなかなかの美人であった。近くて遠い親娘の間が一瞬クロスするのも感動である。
 お二人のこれからの新しい生活を共に喜び祝福しよう。新婚旅行もなく明日からまた職場に飛び出して行くのだという。

ロアラブッシュという変わった名前の歴史ある式場である

  風渡るヴァージンロードを踏み進む腕組む親は古稀を越えし

  若き肌師走の風にたじろがず意志強くして誓いの言葉を

  納まりしウエディングリングに光りあり新郎はぎゅっと拳を握る

  柔肌に白きドレスも身を空けて新夫の腕に託さんとする

 人生の永遠(とわ)に輝く晴れ姿麗句が生きる婚儀の祝辞

 宴果ててワインの香り漂わせ青山通りをさんざめき歩く


裸 木

2012-12-03 | フォトエッセイ&短歌

 Sさんの訃報に接した時には驚いた。悲哀とか心痛とかの悲しみの感情ではなく??……、これってどういう事。まさか冗談、悪戯…それはないだろう。昨日、メールで3日後の芝居のチケットの遣り取りをしてたのだから、急逝の訃報が信じられなかった。訃報の一時間後に明日の一時半から家族葬で送るからとの連絡があり紛れ無き事実を突きつけられた。
 午後7時頃、帰宅した息子さんがトイレで倒れているSさんを発見して救急車で搬送したが、既に意識はなく病院で死亡を確認されてということだ。昨日のメールの着信時刻を確認すると9時35分である。なんといつものような元気印のメールを送信して9時間後には亡くなっていたのだ。突然死である。
 「中高年に広がるピンピン、コロリ願望」新聞の一面ぶち抜きの大見出しが踊っている。全面広告とはいえ思わず目を通したくなる。ピンピンコロリを願う人々の現状を追ってみた~健康食品のCMで酵素をしっかり摂りましょう。病気や要介護になると子供や家族に迷惑をかけるから最後まで元気にし、死ぬ時はコロリと逝こうという趣旨である。
 しかし、マア、そりゃそうかも知れないが、現実にこういう場面に直面するとそうはいかないのではないか。「旅立ち」について語るべき事があったはずだし、聞き置くべき事もあったはずである。生きて行く者は、そうやって「旅立って」しまった旅人の空白になった部分を埋め合わせ糧にして生きて行くのである。突然死は悲しみの大きさを無限大にしてしまう事にもなる。
 Sさんは私学の教育に大きいな可能性を見出し、教育基本法や憲法問題にも危機感を募らせ、窮極の人権侵害である冤罪事件にも心を痛めていた。特に私学助成と教育づくり、平和教育と学園の民主化には頑張っていた。同時に宴会幹事長も自認していてSさんの行くところ懇親会ありで、楽しい議論は深夜に及んだ。
 「私学のつどい」を成功させ、疲れたよ~と、余韻の覚めやらぬ2日後に急逝したのも何やらSさんを象徴しているようだ。まだ、頭は真っ白で受け止められずにボヤッとしているとSさんの元気な姿が次々と映し出される。心臓疾患による突然死というのが医師の診断ということだそうです。ご冥福お祈り申し上げる。合掌

 北国の雪の便りの冷え込みに街路樹の裸木が枝を張って耐えている

 

  急逝のメールの文字が流れゆくまた繰り返すエンドレスで

  亡くなった ただそれだけの訃報ありそんな不条理がまかり通るか

  居酒屋の主にもなりし気使いて「まずはビール」と座を盛り上げる

  紫陽花を育て咲かせたS散ってムサコーの一時代が終りぬ

  落日のムサコーの時代をも抱え込み旅立つ友は何を見てたか

  伝説のムサコー時代を駆け抜けた私学教育の夢を語りて