年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

風格の欅

2012-01-30 | フォトエッセイ&短歌

 風格あるケヤキの老大木の泰然自若とした重量感に圧倒される。樹齢の見方は分からないが500年以上は経ているのであろうか。雲紋状に盛り上がって剥がれ落ちる樹皮は深い森の奥の沼に生息する大蛇の鱗のようだ。貫禄充分で天下無双の横綱(よこづな)か、古武士のような威厳をつくっている。頭上を被う裸木の梢がザワザワと鳴いている。
 横綱といえば大相撲の話となる。初場所で最大の話題となったのが、12日目の「把瑠都-稀勢の里」・「白鵬-日馬富士」戦の注文相撲であった。把瑠都・日馬富士への猛烈なブーイングがあがった。特に、稀勢の里を破った把瑠都に対するバッシングは凄まじく、来場所優勝しても横綱昇進はあり得ない、体を張っても阻止すると断言された。
 稀勢の里を優勝させて「日本人横綱」を誕生させたい悲願の想いであろうが、行き過ぎである。あの程度の注文相撲に転がされるようでは稀勢の里の力量が問われるべきなのだ。立ち会いの変化も作戦の一つである。

<横綱を巻いた風格の老欅、何百年の風雪に耐えて来たのか>

   枯れ果てた樹皮の荒れ肌剥がれ落ちかすかに水の息遣いあり  

   枯欅木肌剥がした老醜を冬陽にさらし春風を待つ    

   締められた横綱太く風格の古武士の威容境内を睨む

   冬枯れの梢が騒ぐ昼下がりモズの高鳴きイントロにして

   一瞬に地表の獲物を攫い来て「はやにえ」作る刑場に飛ぶ


富士見ホーム

2012-01-28 | フォトエッセイ&短歌

 富士見坂・富士見橋とか、開発が進む前に富士山が眺められたと思われて地名がある。勿論、現在はビルなどの建造物によって富士山など望むべくもない。日本列島改造論が経済発展の指針として語られ、高度経済成長期に文字通り日本列島は改造・改悪された。経済成長最優先の政策は大きな負の遺産を残す事になり、四季折々の端正な富士の姿は見えなくなった。
 小田急線登戸駅を使って通勤していた頃の思い出である。登戸駅のホーム西端は多摩川の河川敷まで伸びていて、冬などは川面から吹き上げる木枯らしに震え上がったものである。しかし、私は密かに「富士見ホーム」と呼んで楽しんでいた。多摩川上流方向に展開する丹沢山塊の後ろに小さな富士山が望まれるのである。ホームに長く西に影が映る早朝、富士は雪を頂いて貼り絵のように、帰路は茜色の中に紫紺の影絵のように佇んでいる。冬季限定の「富士見ホーム」である。その小田急線登戸駅も建屋ですっぽり駅舎が覆われ、エスカレターが忙しく上下動を続けている。

やがてこの赤富士山も姿を消す運命、品川の本門寺公園の高台から>

  夕暮れに霞む赤富士ぼんやりとクレーンの響きに震えて起てり

  峠越え3Dの如く迫るり来るすそ野の富士は御殿場あたり

  新装のツートンカラーの高架駅風雪と見た富士を隠す

  北斎の富士の版画に魅せられてフロアを歩く駿河路の如く


雪合戦

2012-01-21 | フォトエッセイ&短歌

 20日、東京都心や横浜で平年より17日、昨年より21日遅い初雪を観測し大きなニュースになった。雪が大ニュースになるのである。雪の思い出である。

 地球の温暖化が云われて久しく、気象庁の観測以来の夏日とか秋の遅れとか、統計上に数値として現れるようになった。理由はいろいろと指摘されているが、どうも決定的な原因はハッキリしてないようだ。
 いくつかの原因が複合的に重なって地球の気温を押し上げる温暖化現象となっているという。その一つに、自然や緑を削り取る開発方式いわゆる都市化がある。これは体験的に解りやすく納得出来るものでる。
 横浜と云っても最北部の「チベット」と呼ばれていた地域で私は育った。登校は多摩丘陵の裾を巡るようにクネクネと曲がった1間幅くらいの道路を1里ほど歩いて通った。冬は崖から流れる清水が氷柱となってぶら下がっている。大きなものは1mにもなり、チャンバラの格好の刀となる。足許は足首が潜るような霜柱が立ち、ザックザックと踏みしめて歩くのも快感で先頭を競ったものである。
 丘陵と丘陵の間は谷戸田になっていてその突き当たりには灌漑用の小さな溜め池がある。これが凍って子供たちのかなり危険な遊び場になる。ミシミシとヒビが入る限界の地点で岸辺にとって返すスリル満点の遊び場でとなった。
 また、ひと冬に膝まで潜るような大雪が3、4回は降ったものだ。学校は自由登校日となり、授業は休講である。電話なんかも無かったし、積雪30㎝なんて決まりが有るわけではなかったが、歩けなければ当然の如く学校は自由登校になるのだ。休校にしないのが知能犯で出校日数はしっかり確保するのである。
 山道を歩いて来る小学1年生には登校のしようもないが、上級生は普段より元気に興奮気味に登校してくる。授業のない学校という場所は実に魅力的で楽しい舞台なのだ。田舎の長閑な教師達は充分にその事を心得いて、雪合戦を実施してくれるのである。今となってはどんなルールだったか思い出せないが、4回戦ぐらいやって優勝チームを決めていたように思う。そうこうして昼頃になると全員下校となる。今頃、こんな無茶な学校が有ったら大変だろうな。文部科学省に教育委員会にPTAにマスコミに袋叩きにあってしまうだろう。でも何か憎めないんだよな~。
 今や氷柱を手にとる事もなく霜柱を踏む事もなくグラウンド一杯になって全校生が張り合って雪合戦をすることはない。地球の温暖化で雪が降らないのだ。教育界が許さないのだ。

<陽に煌めく雪が風景を変える。楢の木の影が冬日に長い>

  雪枯れの山肌被う白銀は酷使してきた老眼を刺す

  雪時雨雪にもなれず窓打てばツゥーと結露が早足で去る

  山荘で箱根駅伝熱くなる外は沈もり雪降りやまず

  色も無し音も奪いて燦々と蔵王の湯煙降る雪のなか

  白銀の燦めきを背に雪鳥は群青の羽根膨らませ跳ぶ


お正月

2012-01-18 | フォトエッセイ&短歌

 「一年の計は元旦にあり」とかで一年間の遠大な計画や壮大な目標を初日に祈った中学生の頃を思い出した。余りにも欲張りな願掛けに、少し多すぎないかと自問した結果「頭脳」「容姿」「現金」の三つに絞り込んで深刻に考え込んだものだ。最終的にどれに落ち着いたのか、今は忘れたが、成績は思わしくなく、身体は不細工で小遣いが無かったという事の証明である。
 マア、正月元旦には確かにそんな雰囲気があり、初荷、初詣、初日、初午、初売、初釜、初夢、初競と年の初めには一年がスタートする華やいだ希望のようなものを感じさせた。
朝起きると枕元に真っ新な下着・上着・下駄が用意されている。年間滅多にありつけないご馳走が所狭しと並び、食い放題である。お年玉をもらえばタコだコマだと遊びに飛び出したものである。
 あんなにも嬉しく楽しい事があったのだ。粗末な衣食住、身心の慢性的な飢餓感が一瞬に輝いて爆発するのが正月だった。戦後社会の平安と経済発展が進み「消費が美徳」の時代を迎えるようになると、継ぎのあたったズボンも穴の開いた足袋も恥ずかしい物となり新品があふれかえった。
 生活は豊かになり幸せになっているはずなのに一体どうなってしまったのか。人間は何を見失ってしまったのか。少数の大金持ちと圧倒的多数の貧乏人の経済格差は先進国といわれてきた世界の国々の共通の問題になっている。若者たちの行く末を老人が心配する「ヘンテコな世の中」になってしまったと云うべきだろう。

燃えよ!ドラゴン

                          
  
  慈善鍋時代遅れの飾り立てなぜかこの頃新しく見ゆ

  歳末の社会鍋立つ三丁目華やぐ群れは余所目に急ぐ

  穴あきの靴下脱いで客となる戦後は遠くユニクロの前

  年賀状肝臓癌と共にあり書きし老女の筆字は太し

  とは云っても変わること無し新年の去年が続き今年が始まる


雑煮餅

2012-01-14 | フォトエッセイ&短歌

 2012年元旦の「天声人語」は雑煮の話を枕においていた。<雑煮は心に根ざした食べ物である。土地土地、家々に流儀があって、こればかりは他家や他郷のでは駄目という人が、このご時世にも多い>
 現職の頃を思い出した。3学期開始「正月明けの休みボケで授業にならんナ」というと、相棒が「餅の形状調べなんかどうッスカ。我が家は丸餅」という。つまらんナ「餅なんか切餅に決まってんだろう」と思ったが対案もなく雑煮調べと相成った。これがなかなか面白い教材で結局4時間も使って、学園祭の教科展示にまで発展していった。
 調査結果は予想外で丸餅派が3割もいたことである。そして汁の作り方や具の内容が家毎に違うのは当然であるが、その雑煮のスタイルが全く変わろうとしないという事実である。どうしてその雑煮になったのかでは「母の実家の雑煮が継承されている」で、2世帯家族では祖母から母に伝えられているのだという。
 母親はこの雑煮についてどう思っているのか、という問には「どこの家の雑煮もこういうものだ」と思って特に考えた事もなかったという。こんな回答を寄せた母親もいた「正月の三が日、献立に悩む事もなく、大助かりです。お雑煮バンザイ!」
 因みに我が家の雑煮は<醤油の薄味、具は里芋・大根・人参でダシは鳥。切餅の表面を焦がして鍋にいれ味が馴染む程度に少し煮る> 程度の差があるにせよ全国こんなものと思っていたのだが、家々に流儀があって秘伝のように伝えられていたのだ。
 相棒はまだ現職である。3学期の最初の授業で「我が家の雑煮」調べなんてやっているのだろうか。

<正月は日本酒ですね~、もちろん大関とは限りません>

  風冴えて笹の葉揺れる門松の縄締め上げる職人の技

  ミニチュアのドアに下げたる注連飾り開け閉め毎に鈴の音響く

  粟餅を焼けばボロボロ粘りなく囲炉裏囲んだ貧しき戦後

  元旦の熱燗一本押し抱き愚痴めくオヤジをふと思い出す


竜王の年

2012-01-11 | フォトエッセイ&短歌

 東日本大震災の復旧・復興の確たる見通しが定まらないままの年越しであった。死者15,317人、行方不明者と合わせた被害者数は約2万となる未曾有の被災者に合掌!被災地再生への希望と祈りを新年の決意としたい。
 2012年もすでに蔵開き、昔流に云えば年賀状も片づき仕事も本格的に始まり日常の暮らしに戻る。辰年である。賀状の「辰」はユニークな様々な姿で描かれているので面白いが、これはタツが中国伝来の伝説上の動物なので創造性を刺激するからであろう。
 深海の龍宮に住む龍神とか、日本神話に登場する八岐大蛇とか、天空を支配する龍王などを連想して摩訶不思議な異界を想像するだけでも楽しい。鯉が滝を上ると竜になる、「登竜門」という中国の故事伝承もあるから悪さをする生き物ではない。どうしようもない悪政退治を期待したい。

<山門の大きな「辰の絵馬」の勇姿が初詣の客を迎えている>

  新年は旅先にあり 去年今年除夜の響きに煩悩深く

  初凪に雪ひとひらの露天風呂メタボの腹に吸われして消ゆ

  初詣境内飾るタツの群れ辰は龍なり竜にもなって

  神仏の加護ありしかと足止まる肝臓癌の友の顔あり