年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

彼岸過ぎ

2012-09-30 | フォトエッセイ&短歌

 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言われる慣用句であるが、今年ほど待ち望み、今年ほどその通りになって欲しいと思った事はない。9月中旬を過ぎても怒り狂ったように熱風が押し寄せ、収まる気配がない。
 南極大陸を覆う氷の層が急速な勢いで薄くなっている事実を米国航空宇宙局(NASA)の最新の調査報告書が伝えた。原因は南極海の水温の上昇だという。そうなのか!南極の氷までもが溶けているのではこの酷暑も致し方ないか、などと納得した次第である。それにしても腹ただしい暑さだと友人にボヤいたら、年取ると自律神経の働きが鈍くなって体温の調整が滞って必要以上の暑気を感じるものだという返答が返ってきた。あり得る話だと、これにも納得した次第である。
 ところが、彼岸の中日を待っていたように真夏日がなくなり、冷房のいらない日々となった。昔の人はすごい「暑さ寒さも彼岸まで」万歳である。久々ぶりに扇風機も冷房にも世話にならず穏やかに寝ることが出来た。「辛いこともいずれ時期が来れば去っていく」こんな諺もあった。
 しかし、この鬱陶しい暑さは気温のせいばかりではなかった。竹島(韓国名・独島)・尖閣諸島(中国名・釣魚島))の領有権問題の騒動も多分に影響している。日韓中共に何かと云うと歴史的には我が国の固有の国土…というが、たかだか300年前400年前の歴史を紐解けば、我が国の固有の領土などとは云えないのだ。両国の共同管理なんて云えば凄いバッシングを受けるし、ナショナリズムは声高に叫べば分かり易いし元気も出るしで収まりそうもない。
 村上春樹はそれを安酒の酔いだと云う「安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽るタイプの政治家や論客に対して我々は注意深くならなくてはならない」(朝日)。
 暑い秋は迎えたくないものだ。北海道では「暖房開始は彼岸から」という。東京にもかすかな秋の佇まいが見られなくはない。花名の由来は定かではないが、何とも思わせ振りな「紫式部」の実が紫に染まり始め秋日を映している。日に日に鮮やかな紫に熟していく。

<源氏物語の作者・紫式部も清楚な平安美女だったとか>

  真夏日に紫式部はいたぶられ彩りもなく葉もちりぢりに

  彼岸過ぎ緑陰に風流ぬれば青堅き実に仄か紫

  紫の紫式部の紫はコリコリ感の紫の粒

  秋雨のしずくを抱え実紫(みむらさき)撓み放たれば紫が飛ぶ

  遠き日に紫式部と名を告げる庭園の君は木漏れ日の下

  

 


1年半が経つ

2012-09-17 | フォトエッセイ&短歌

 東日本大震災の発生から1年半が経ち被災地の復興の様子や犠牲者の冥福を祈る様子が伝えられた。最大震度7の激震の破壊力や巨大津波が街や田畑や浜をのみ込んでいくSF映画のようなな映像にあの日の衝撃を覚える。思えば私たちが始めて見る地震の猛威である。
 実際に被災された現地の人々の恐怖と驚きは如何ばかりであったか想像に余りある。
警察庁によると、死者は1万5870人、行方不明者は2814人、避難所生活中の肉体的・精神的負担などが原因となった「震災関連死」も1632人を数えるという。この数字の重さと衝撃的な映像を重ねて被災の大きさを視覚に納めてきた。累々と広がる瓦礫の街、屋上に流された漁船、ゴミ屑のように捻りつぶされた大型トラック、爆撃の跡のような港湾など「語るべき言葉がない」「この現実に言葉の優位性があるのか」、表現す事の難しさ、伝える事の空しさを表現者達が表現したのが印象に残った。
 それから、1年半、復旧はまだるっこいほど進んでいないが、悲嘆を乗り越え展望を語り始める部分も見え始めた。冷静に振り返る精神的な余裕も見られようになったのではないか。リアルタイムには公表出来ない、明らかにするのには二の足三の足を踏む映像が流れ始めた。
 濁流に流される姿、毛布に包まれた遺体、遺体に取りすがる雪の母親、瓦礫に跪き吹雪く海を見る老人、流木に腰を下ろす裸足の少女… 悲しみ怒り絶望叫び憤怒諦め虚ろなそんな表情が映し出される。生と死の狭間を抗った演出無しの姿が映る。涙は枯れ果てる事がないのか、人間は何処まで絶える事が出来るのか。「語るべき言葉がない」という悲しみの窮極が癒される事があのか。
 それでも破壊の映像を越えて人間の顔を映せるようになったのだ、東日本大震災の発生から1年半の新たな感想である。
 生徒84名・教師10名の犠牲者を出した大川小学校の「被災学童鎮魂供養塔」には向日葵が残暑に怒ったように輝いていた。蝉の声が一瞬やんで鎮魂の歌声が御詠歌のように切々と流れていた。どうしようも無かったのか、検証が続いている。

<全校生徒108名 奇跡的に助かった24名の行く末も重い人生である>

 

  北上の啄木詠いし古里の川は狂いて子らまでも呑む  

  向日葵の強き光りに怒りあり3.11の時空に向かって  

  頭垂れ意味ありしかと合掌す寄る辺なき慟哭に耐えられず

  レクエイム残暑の炎に溶け込んで影をつくりて足元離れず   

  歌声は亡き友達の鎮魂歌ガランドウの校舎を振るわす  

  キラキラと北上川の陽は強く荒れし津波の惨状を語らず


瑞穂の季節

2012-09-12 | フォトエッセイ&短歌

 ひと頃、コンビニの「お握り」といえば空腹しのぎの「取り敢えず食」で味などは二の次であった。しかし、今どきの「お握り」コーナーは高級感を持たせ壮観である。ブランド米に海苔はたっぷり、山海の珍味を使った具が味を引き立てている。
 だが、どうも「違うんだよな~」。育ち盛りを戦後の食糧不足の中で過ごしてきた我々にとって「握り飯」は真っ白、銀シャリが輝いていなければならないのだ。具などは邪道、うっすら塩味で米粒の甘みを引き出た素朴な味が最高なのである。しかし、実を言えばそんな「銀シャリおにぎり」に有りつけるのは遠足とかの特別イベントの日であって普通は麦飯に味噌を付けたボロけたものであったのだが。米は金持ちの独占物であり、富の象徴でり、国家の源泉だったのだ。
 戦前の小作人も江戸時代の百姓も米は作るもので食うものではなかった。大名の格付けは米の収穫量によって決められた。戦国武将の領地争いも元を糺せば田んぼの争奪戦である。そもそも古代国家の成立も米作りの結果、その余剰米の管理から始まったのだ。
 日本は瑞穂(みずほ=みずみずしい稲の穂)の国なのである。古事記は大八洲豊葦原の瑞穂国と日本を称えた。その稲作の開始は縄文時代の終わり頃からというから3000年が経っている。耕作の仕方は基本的には変わることなく長い長い歴史を持っている。
 山間の水を確保して段々と川下に向かって田が開かれていったのだ。村はその田畑に沿って広がっていった。大きな農機具は使うことが出来ずに人力によって農作業を進めるしかなかった。気の遠くなるほどの手間暇と工夫とをかけて「瑞穂の国」の瑞穂は収穫されるのである。米作りが日本を支え国土を守ってきたのである。
 これが日本の農業である。一粒の単価はカリフォルニア米の倍である。アメリカの農産物が安いのは当たり前で、これを輸入すればどういう事になるのかも自明の理である。「瑞穂の国」の瑞穂は守られなければならない。それが政治力であるが、その政治力が瀕死の状況にある。TPP参加に情熱を傾けるのではなく、日本のコメの安全保障に取り組む事がこそが必要である。

<山間の湧水を利用した田んぼがひろがる。紫のは古代米である>

  山間の湧き水求めて拓かれた瑞穂の国の稲作の形

  人力に頼りて米の生産を三千年間絶ゆることなく

  雨なくば水争いの血を流す「雨降り神社」の絵馬は大きく  

  フタとればフッと鼻突く外米のセピア色したニオイ忘れず  

  銀シャリの握り飯には海苔いらぬ薄き塩味甘みを引き出す


大間の啄木

2012-09-04 | フォトエッセイ&短歌

 八月下旬の酷暑のさなかに東北の旅をした。青森県は下北半島の大間岬と六ヶ所村の原子燃料サイクル施設である。どちらも日本一で知る人ぞ知る行ってみたいところである。
大間崎(おおまざき)と言えばマグロの一本釣りである。しかし、一本釣りが話題を呼ぶのではなく、築地市場の新年恒例の初競りのマグロ卸売りの値段に驚嘆の声が上がるのだ。因みに今年は206.6キロの本マグロが413万2000円で某寿司店によって競り落とされた。413万の本マグロのネタ寿司を味わってみたいものだが、かっぱ寿司の常連ランクではとても無理な話であろう。
 400万円とは景気の良い話であるが、大間岬の漁村は日本のどこにでもある、過疎の進むうら淋しい村である。海岸を縫う海辺の街道に軒の低い潮枯れた集落が続く。ネコの額のように狭い庭には砂利を並べてそこで昆布を干しているのである。褐色に日焼けした老人が乾いた昆布を揃え束ねている。何とも日本的なつましい漁村の風景であろうか。
とは云え、突端の岬は本州の最北端ということで大きな花崗岩マグロのモニュメントが築かれて賑わっている。あらゃりゃと面白いのは啄木の巨大な歌碑が3基も建っていることである。
   「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」
   「大海にむかひて一人七八日泣きなむとすと家を出でにき」
   「大といふ字を百あまり砂に書き死ぬことをやめて帰り来れり」
 東海の小島の磯がなぜ津軽海峡に臨む大間崎なのか。沖合の大間埼灯台が建っている弁天島が「東海の小島」だと言うのだ。う~ん、と頭をひねりながら説明文を読めば、まあ、それなりの曰くもあるが、またの機会にする。
 二つ目の原子燃料サイクル施設は原発ゼロ世論で話題独占中の「日本原燃六ヶ所村再処理事業」であるが、これも後日にします。

<街道の路傍で干される大間崎昆布。ダシ昆布・健藻昆布に使われる>

 

                                     
  汐の陽に昆布干す庭は詫びしくも強き匂いの下北の晩夏  

  絶品の昆布味の素広がりて生臭放ちて路肩に続く 

  啄木の「東海の…」碑立つ最北の津軽海峡は荒々しくも  

  潮速きクキドの瀬戸に踏みいれば迫り来るよな大間埼灯台  

  六カ所村暗く北国の風情なし瀟洒に聳える再処理センター