年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

信濃柿

2011-11-30 | フォトエッセイ&短歌

 以前、中山道の木曽福島あたりで柿を砂糖でまぶした菓子を食った事がある。「こんな小さな柿があるんですか」「豆柿って云う位だから小さいが、本当は信濃柿というんだ。そこらにいくらでもあるよ」
 千生(せんなり)柿、ぶどう柿、豆柿とも呼ばれているという。見てみたいと頭の隅に置いてから30年も経ってしまったが、福島県の阿武隈川中流の田舎で偶然に対面出来た。その農家は「柿大尽」と呼びたくなるような見事な柿に被われている。写真を撮ろうと屋敷に入って行くと昔ブタでも飼っていたのか、傾いた粗末な小屋があった。
 その小屋の前の木には、ブドウ状の実がびっしりと付いている。う~ん、何だこれは。大きさも形も色合いも、巨峰(きょほう)そっくりであるが、しっかりしたヘタがついている。これぞ、ブドウ柿である。30年越しの信濃柿との出会いが実現した。

 柿渋を採るために信濃国で多く栽培されたことからシナノガキと呼ばれている。傘・紙・木工製品に塗って補強したり、防腐剤として用いた。と言っても、もはやピンと来ないだろう。日用品であった「番傘」も今や文化財で民芸店か資料館でしかお目に掛かれない。

 ワンタッチ式の傘が出回った時にはビックリしたな~。ビニール傘が発売されてからは傘も使い捨ての時代になった。台風の翌日のはビルの影に骨をひん曲げたビニール傘が吹き溜まっている。傘の世界も日進月歩の進化で3段式の折りたたみでポケットにも入ってしまう。

  葡萄柿その名に恥じぬ色合いは酸っぱさも誘う濃い紫に 

  霜降りて紫になるブドウ柿 前は橙元は緑色

  「可愛いネ」豆柿ひとつ口にする渋に渋あり渋の重ね着

  荒れた手で樽柿を仕込む母は亡し木枯らしに鳴く渋柿に想う 

  穂の如く群れて実を成す渋柿は眼にこそ入るが口には入らず


照 柿

2011-11-23 | フォトエッセイ&短歌

 気象情報に北海道の降雪や関東平野北部の初氷の映像が流れ、この冬というか、この秋一番の冷え込みとなった。柿の病葉が音もなく散って行く。深いブルーの空にたわわに実った柿が輝いている。柿色、JISの色彩規格では「つよい黄赤」で照柿(てりがき)と云うのだそうだ。存在感のある落ち着いた風合いが大好きである。

 田舎では柿木の4、5本が屋敷の回りにあるのが普通で葉が落ちると収穫期を迎える。竹竿の先をV字に割って柿のなっている枝を挟んでひねるって採るのだ。小枝ごと採ってワラで縛って出荷するのである。一束、5円だか、10円だか。ビニールの袋も段ボールの箱もない昭和50年頃までの話である。
 20mの高木ともなると木に登っての作業となる。柿木はヤワで枝が折れやすく、柿の収穫期になると、枝もろともに落ちて大怪我をする爺さんのニュースが絶えなかった。「柿木に登ってはいかん!」とよく怒鳴られたものだ。

 <念の為、図鑑を見ると「材は堅く建築装飾材、家具など使われる」とある。柿木はヤワで折れやすい、というのは何だったのか>。古里の里山は開発が進み、柿木に変わってマンションが林立している。

  柿ふたつ梢はたわみ揺れもなく晩秋の陽の粒子を映す  

  日溜まりで木守柿の話した七十回忌の祖父はまぼろし

  きざらしの黒き粉が吹く禅寺丸 B級ランクの種は特大


癌封じ

2011-11-20 | フォトエッセイ&短歌

 ネットが窓口になって、人間ドックの人気が高まっているとか。システム・料金・予約・スタッフが一発で判明する仕組みである。
 何と云っても「ガン罹病率死亡率」の高さがあるのかも知れない。早期発見・早期治療でガンの恐怖から逃れたい気持ちがあるし、医学はそれに応えようとしている。とは云え、ガン撲滅にはまだ時間が掛かりそうだし、ガン細胞が発見された時には手に負えない、余命を為す術もなく過ごして逝ったなんていう話は身近にいくらでもある。 

 ヤッパリ最期は神仏に頼ることになる。鎌倉の「癌封じ寺」を訪れる人が後を絶たない。
日蓮上人の弟子にあたる日範上人の開山による上行寺。「瘡守稲荷(かさもりいなり)」・「千手観音」・「身がわり鬼子母神」が癌を封じてくれることになっている。

                                              
  採血の意外と太き針の先ブスッと刺せば血液が踊る

  看護師のネライ定めた注射針静脈の血を採血菅に

  次々と人間ドックはたらい回し瑕疵の度合いを数値に表す     

  超音波眼底眼圧心電図 流れ作業をデーターに刻む  

  胃袋の内壁映す内視鏡 オリンパスかな?飛ばしは厳禁   

  「早期発見でもダメよ」と密やかにマンモルームの母娘の囁き


湯煙り

2011-11-14 | フォトエッセイ&短歌

 人間関係に「裸の付き合い」がある。
 露天風呂などは、それを形にしたもので、自然の中で生まれたままの自然の姿で湯煙の中に浸かる。過ぎし日々の思い出など語りあうのは精神の贅沢というものだ。

 とりわけ極上は露天風呂・源泉掛流しの温泉である。ビルの屋上から街を360度展望するのも悪くはないが、里深い四季が手に届く渓谷の露天は極楽である。

<鬼怒川に面する篭岩温泉:湯船から男体山・女峰山の日光連山が望まれる>

  から松の葉も誘いて湯煙りが掛流し湯に渦をつくりて

  極楽はかくもあるかな露天風呂イオウの湯煙り心身を解かす

  露天風呂あと何回か来れるかな 細る年金指折り数える

  メタボ腹ゆでだこに似て赤々と回春の秘薬塗りたるが如く

  「出るぞ出る」カラスの行水飛び出しぬ 吾は決め込むトドの昼寝と


紅葉錦

2011-11-12 | フォトエッセイ&短歌

 立冬を迎え里山の紅葉も色づき始めた。渓谷に分け入ればフッと息を呑むような見事な自然美に圧倒される。鮮やかな風合いは季節のもたらす贈り物でしょうか。足柄森林公園丸太の森は「落ち葉遊び」を中止したそうだ。県立四季の森なども…自然体験のイベントが次々と中止されていく。

 放射線量を測定した結果『即座に危険と云うことはないが、念のため見送る。自然の素晴らしさを伝えるのが、役割なのに残念!』と。原発建屋の爆発からすでに8ヶ月が経つ関東地方一帯も全く収束の様子がない。

原発20キロの警戒区域は村人の姿もない廃墟の村だ。脱原発、54基を廃炉にしていくシナリオが書けないものなのか。

   静謐の池にしみ入る落ち葉かな池の主がぬっくりと動く

   立冬が紅葉の錦を織りなして水面に広げて溜め息をさそう

   公園は「落ち葉遊び」を断念すひそやかに生く放射能ありて


史跡公園

2011-11-07 | フォトエッセイ&短歌

 横浜市都筑区にある大塚遺跡は今から約2000年前の弥生時代のムラの跡である。当時の墓である方形周溝墓が近接するという貴重な遺跡でもある。
この大塚遺跡は外敵を防ぐためにムラの周囲に濠と土塁をめぐらせた約2万㎡に及ぶ壮大な環濠集落である。
 1972(昭和47)年、港北ニュータウン建設に伴う事前事業の発掘調査で発見されたものである。竪穴式住居跡・高床式建物跡や大量の土器や石器をはじめ、炭化した米、石製の装身具などが大量に出土した。


 保存運動が始まったが、ニュータウン建設の変更を拒んだ開発側と行政は遺跡の保護など眼中になかった。宅造・道路の建設、鉄道の敷設が強引に進められた。遺跡を破壊するな!市民の活発な保存運動も展開され、保存団体と都市計画側との激突が続いた。結局、市民の声と文化庁の要望を聞いて開発側は遺跡全体のわずか3分の1を残すことで決着をつけた。

見事な環濠集落は削り取られコンリートのつまらない建物と排ガスを撒き散らす道路と鉄道になった。開発優先の貧困極まる文化財政策である。全貌が保存されていればといまでも悔やみきれない。

  

   甦る高床倉庫の柱は太し ネズミ返しがいと面白き

   開発は弥生遺跡を蹴散らしたカネにもならんと電車を通す

   ローム層の竪穴住居の土間暗く炉の石どもが黒々と浮かぶ

   土深く黒曜石の石鏃は2000年を経て輝き新たに

   防御する鋭き柵を巡らして戦術を語るムラオサの腕

   滑らかな磨製石斧の存在感 鋭角の刃に古代が息吹く


弥生の里

2011-11-06 | フォトエッセイ&短歌

 センター北駅(横浜市営地下鉄)の近くに「横浜市歴史博物館」があり、道路をはさんだ丘陵に大塚・歳勝土遺跡がある。現在は、国の史跡に指定され竪穴住居や高床倉庫などが復元され「史跡公園」して市民の歴史を学習する場となっている。

 この遺跡は今から約2,000年前の弥生時代中期の、この地方で稲作を始めた人々のムラ(大塚)と墓地(歳勝土)を中心とした史跡である。弥生時代は、農耕がはじまった時代で、人々は、低地に水田を開いてコメをつくり、近くの台地上にムラを設けている。当時の集落(ムラ)の様子が良く復元され、弥生人との出会いが期待できそうは歴史ロマンが満喫できます。

   秋立ちて弥生のムラも影深く子等の姿も家路に消えて

   茅葺きの竪穴住居の苅込は刃の痕丸く匠の技が

   遙かなり稲作始めて2000年弥生集落に炭化米あり

   ひんやりと竪穴住居に土器転げ暮らしの匂い土間に漂う

   開発は弥生時代のムラ削り稲の遺跡を踏み散らかして

   茅葺きに残暑の名残とどまりて古人のムラ造り眺む