年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

干 柿

2013-01-31 | フォトエッセイ&短歌

 干柿といえば田舎の晩秋の風物詩である。軒先に吊るされた干柿を見ると冬の到来を感じる。葉の落ちた木に取り残された熟柿は木守柿として俳句の材料として想像力をかき立てるが干柿も晩秋の風物である。
 山梨や長野の干柿の生産農家の屋敷は干柿の玉スダレで辺りが霞むほどの迫力である。身を切る寒風のなか、弱い陽差しに映える柿の落ち着いた色合いが良い。この北風と陽差しが渋柿をとろけるような野生味深い甘さを醸し出してくるのだ。
 しかし、最近は天日干しの自然乾燥による本格的な干柿は少なく乾燥室で硫黄を加熱した亜硫酸ガスを使って作るのである。手間暇の問題だけではなくカビ防止のためもある。出荷用の干柿ではなく屋敷の渋柿を手で剥いて軒下にぶら下げて、頃合いを見計らって茶請けに食する自家用の干柿は違う。色合い、姿形など見てくれは悪いが、深みというか濃くのある干柿となる。北風に耐えた表面の皺、冬の陽差しの温もりを湛えた果肉、自然の恵みが固まっている。

<軒下や玄関口に干された吊るし柿。冬の逸品である>


 
  日溜まりの柿のスダレに風もなく甘やかな香は濃密に充つ

  吊し柿冬至の陽差しまとわせて凩吹けば身も透き通る

  寒風に晒す干柿軒下で渋抜け去ると震え待つかな

  支柱立つぶどう畑は静まりて干柿揺れる甲州の冬

  恵林寺の山門越しの八ヶ岳稜線鋭く干柿に迫る


蛇の脱皮

2013-01-21 | フォトエッセイ&短歌

  トグロを巻いて頭と擡げて赤い舌をチロチロと舐める蛇、蛇に怨がないが気持ちの良いものではない。鼠  牛 虎 兎 龍 蛇 馬 羊 猿 鶏 犬 猪と並べてみても蛇はクネクネと地を這う爬虫類(はちゅうるい)で人気度は最低である。出来るものなら出会わないに越したことはない。
 しかし、今年は巳年で年賀状は蛇オンパレードで可愛いマンガ風の蛇が新年を飾った。しかも賀正だからそれらしく巳年の蛇を幸運を運ぶ動物にしなければならない。蛇の脱皮は「復活と再生」を象徴し、多産と豊穣を表す不老長寿のシンボル。七福神のひとつ「弁財天」は蓄財と芸能の女神で、蛇の形をした神として祀られている。
 蛇の抜け殻を財布に入れて蓄財を願えば効果テキメンとか。う~む、そうか「年末ジャンボ宝くじは外れたし挽回しなければ」と風花の舞跳ぶ寒風の中、祭神が金蛇大神という金蛇水神社に初詣を敢行したのだ。宮城県岩沼市の金蛇水神社、如何にも御利益がありそうな社名である。
 そこには期待通り金運円満・商売繁盛の即効蛇が多数いたのだ。まず、これはと思える蛇を選んでお賽銭を上げる。次いで祈願成就が成るように誠の心情で拝礼する。そして、(ここが一番大事)財布を蛇の頭に載せ軽く数回まわして最後に拝礼して終わる。
 いつの段階でどう金運が転がり込んで来るのかは勿論不明ではある。帰路に10円玉を拾うか、年末に6億円を手中にするのか、金蛇大神のみが知ることである。

<蛇にもイケメンがいてその前にはお賽銭が溢れている>

  葦が伏す沼涸れ果てた冬ざれに脱け殻おきて蛇は地にもぐる

  枯れ茅に霜柱立ち冬ざれの蛇の脱け殻こがらしに震え

  葦が伏す冬ざれの沼涸れて蛇の脱け殻からまりてあり

  石なぜて金など貯まる訳はなし でも「運が来る」かと財布を載せる

  天井に青大将がトグロ巻く神の使いと崇め眺める

  友の手のヘビにソロリと触れてみる感触今は記憶にもなし

  蛇つかい魔法のランプの夢尽きず千夜一夜を抱えし頃あり


71歳に

2013-01-14 | フォトエッセイ&短歌

 子どもの頃、60歳といえば爺さん婆さんであり、老人真っ盛りというイメージがあった。だから赤いチャンチャンコの還暦は長寿の祝いとして、あるいは年寄りの赤ちゃん返りとして大いに納得していたのである。こういう何とはなしの先入観は消えることはなく自分がその歳になって60歳は老人とは言えないのではないかと気づくものだ。
 そして、まだ現役で行けるのではないか、と思っても定年というトロッコに乗せられて現場から放り出される。あるいは正規から嘱託講師臨時派遣パートとか、いわゆる非正規として前線から外される。なにか大きな生涯の計画を持っていて60歳を第2の人生として切り替えられる人もいる。今時、珍しくもない80歳まで生きるとすればまだ20年間もある。
 第2の人生の持つ意味は大きくもとより個人の問題ではあるが、政治課題でもある。行政も生涯学習とかボランティアとか趣味の倶楽部とか様々な施策を提供している。がどうも上手くいってないのが現状である。
 大きなお世話だ!もうごろごろとのんべんだらりとぐうたらするのが私の夢だったという御仁も多かろう。勤勉・定刻・規則・組織を旨としてきた日本の勤労者は第1の人生で「もうすり切れたよ」、これで充分という声も聞こえる。
 私もこれという定めなき晴耕雨読のような第2の人生を10年も過ごし70歳・古希を越えてしまった。そして70歳を老人扱いしていいのか、老人とは言えないのではないのかなどと思うが、これはさすがに強がりだ。駅のエスカレータの位置はいつも目線に留めて置くし、席でも譲られようものなら手刀切っていそいそと当然とばかりに転げ込むのだ。
 成人の日で71歳になる。お迎えが来ても不思議ではない年齢になった。ところが父は83歳、母は100歳で亡くなった。遺伝子的にいえばまだ10年以上は三途の川はわたれない。ぐうたらするには長すぎる。
 一年の計は元旦にありと云うがそういう計は余り意味が無く、ターミナルまでの節目の計が必要になったようだ。終着駅に着いたとき「よっこらしょ」と人生を納得して降りられるようにしなければならない歳を迎えたのだ。
  寺の前で南無阿弥陀仏が目に入る。含蓄のある内容だ、草木は寒風に耐えながらも春に芽吹く若芽を育てているのか。

<人間様は枯れていくばかりで時を戻ることはない>


  老えば老え今ひとたびの浮き世風めぐり来るかな春風駘蕩  

  新生の日本を肌に育ち来たもの無き戦後肌身離れず

  振り袖の羽根突きがある正月は貧しき戦後の息吹く響き  

  歳みつめ新春詠の歌いかにまあこんなものと精進に励むか

  振り袖の成人式の華やぎは人工減の歯止めになるか


新春詠

2013-01-11 | フォトエッセイ&短歌

 正月を蔵王山麓の別荘で過ごす。別荘とは云っても暖炉の薪が赤々と燃えるような建物ではなく、名ばかりの山荘程度の粗末なものである。従って暖房費が大変である。電気暖房器に石油ストーブ、更にはガスヒーターと三大エネルギーが総出である。この山荘の良さは地名が遠刈田温泉とあるだけに温泉が引かれていることである。
 山麓とは云っても宮城の白石市に近く雪はそれほど深くはない。しかし、日本海側の豪雪地帯である蔵王連山の東側で気候の影響はてきめんに受けしょっちゅう変化している。特に吹き降ろす風が冷たく気温は思いのほか低下し、どこからともなく雪片が舞ってくる。 詩歌で読まれる風花の風情は一日中である。葉を落とした冬木立に広がる淡彩画のブルーを流した空からみちのくの柔らかい陽射しを受けながら舞ってくる風花にオッツと声を出させるような美しさがある。北国の夕暮れは早く空も雑木も道も刷毛で剥いだ墨絵のように地に沈む頃、急に梢が暴れ出し粉雪が横殴りに流れていく。その風雪の荒々しさは自然の猛威を思い知らせてくれる。
 やがて夜、吹雪は収まり綿を千切ったような重たい雪がサンサンを降り注ぐ。ただひたすらに何かに怒っているように舞い降りてくる。雪国の何メートルも積もる雪を知らない者には恐ろしくもある。辻の街灯が降り注ぐ雪の中で心細げに灯っている。
 雪は世界を変えるのだ。デジタル化でテレビが映らない、新聞も買いに行けない、ラジオも感度が悪く雑音が大きい。孤立した窓からジッと闇に消えて行く幻想的な夜の雪景色を眺めるだけだ。こうなると煩わしかった人間関係も人恋しくなる。居酒屋の忘年会で激論を中断したAだの、集会の悩み多き幹事のBだの、正月はパリの裏町を歩いて来るからと旅立ったCだの、大連の息子の所を最後の住処にしたよと複雑に別れたDだの、前立腺ガンの悪化で2時間おきのトイレ夜で眠れんと電話でこぼしたEだの、そんな顔が次々と浮かんでくる。
 インターネットの接続がないのでメールも送信できない。うんでも時間があるもんで、ワインをちびちびやりながら新年の抱負などを反芻する。モンマルトルの歴史の息遣い、ニューヨークのダウンタウン、ドン・コサックが進軍した草原とかをさ、そんな世界に開かれたテーマを詠ったらまたチョッと飛躍するかこもよ。居酒屋Aの謂わんとするがあるかも知れない… ミチノクくばかりじゃあなあ~

<澄み切った雪木立。夏の緑陰ではこうはいかない>

  冬木立淡いブル-の天(そら)広く光を残して風花流れ

  山鳴りは吹雪の猛りか鎮まらず蔵王連山雪雲の中

  日本海の風雪を受し蔵王山樹氷造りて宮城に下る

  カレンダーの表紙を剥げば寒稽古突きの拳に汗湯気立ちて  

  山肌も枯葉も木立も白銀にセシウム除染に利用できぬか

  新春の夢は世界を駆けめぐる金も力も無いので気楽に

  街灯の灯りに滲む雪影に舞い降りる雪尚降り注ぐ