年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

御神渡り

2012-02-25 | フォトエッセイ&短歌

今年の寒冷の話題は尽きる事がなかった…まだ過去形にはならないが。二十四節気の雨水で「雨水ぬるみ草木芽を出す」というのに、まだひと山ふた山の寒気が襲って来る気配はある。
冬の寒さは当たり前なのだが、近年の暖冬続きで特段に感じるのかもしれない。乾燥でインフルエンザも流行っている。風邪にも注意だ。
風邪対策の防寒下着の高級品といえばラクダのシャツとモモヒキは高嶺の花で我々庶民の肌を温める事は無かった。最近はそんなダサイ肌着は流行らない。ヒートテックである。ユニクロが開発した、体から蒸発する水分を吸収して熱エネルギーに変換する「発熱機能」と、熱を外部に逃さない「保温機能」をもったインナーウェア。その他にも抗菌・保湿・伸縮・機能など繊維テクノロジーの成果でもある。何よりも廉価であることが庶民には有り難い。
信州:諏訪湖の「御神渡り(おみわたり)」、全面に張りつめた氷がひび割れ、せり上がる壮大な自然のパノラマで暖冬の影響で見られなくなった。それが、氷点10度前後が続き4年ぶりに現れ、御神渡りの神事が報道された。
早速、中央自動車を駆け上ったが、すでに後の祭りである。湖面の氷は溶けて風で湖畔に流されて固まっていた。
諏訪上社の男神が、対岸の下社の女神に会いに通う「恋路」と伝えられるロマンチックな話になっている。4年ぶりの再会に何を語ったのであろうか。

<諏訪湖畔に吹き寄せられた、せり上がった氷片>

  鋭角や鈍角もある氷片に凍雲(いてぐも)に舞う風花停まる

  氷結を待ち望んだか4年間 恋路となりて御神渡る行く

  酷寒に恋情猛し一陣のイナバウアーで御神滑り去る

  公魚(わかさぎ)の穴釣りもなし薄氷湖岸の凪は立春の日差し

  国盗りの風林火山の旗揚げる信濃の虎は国境を奔(はし)る


冬牡丹

2012-02-18 | フォトエッセイ&短歌

 「彩りのない冬」と言うのはひと昔前のことで、最近は温室栽培や交配種の進化で野菜や花卉(かき)が厳冬の中で鮮やかな色彩を放っている。トマトやキュウリなどは夏の代表的な野菜である。まだ蔕(へた)に青が残る赤くなったトマトを井戸の中に放り込んで冷やしてからカブリつくのである。
 渋味の中に酸っぱさと甘みのある見事な味覚のハーモニイが口いっぱいに広がってくる。猛暑期間限定の夏の味である。野菜はそれでいいのだ。ところがトマトは通年店頭に並ぶ。蔕まで真っ赤な熟れきった見てくれは立派な姿形をしているが、渋味も酸っぱさも甘味もない。いわゆるトマトの味がないと嘆かれるご同輩がおられよう。
 「百花の王」あるいは「富貴草」とも呼ばれる牡丹。寒風に毅然と咲き競う冬牡丹の妖艶な美しさは見事である。彩りのない冬を彩る大輪の冬牡丹はワラ囲いという小道具を身につけひとしきり清楚に華やいでいる。

<鎌倉鶴岡八幡宮の源氏池に臨むボタン園>

  冬牡丹霜降り凍てる如月の源平池を視して吼える  

  菰かぶる紫紺の蕾咲き澱む一陣の風しばしとどまん

  腰下ろし「座れば牡丹」その心は 鼻を鳴らしてツレは眺むる

  大輪の紅蓮の花は咲き狂い美は乱れきて牡丹灯籠


瓦礫山脈

2012-02-14 | フォトエッセイ&短歌

 2月11日、東日本大震災からちょうど11ケ月になる。遺体で発見された犠牲者は15848人、行方不明者は3305人を数えている。不明者の生存の可能性は0である事を関係者は充分に分かっているはずだが、決断に至っていない。
 遺体が発見されても生前の面影は無かろうが、やはり遺体を確認し、然るべき手続きを踏んで「成仏して欲しい」という願いなのであろうか。第三者には計り知れない心の闇を抱いて思い悩んでいるのかも知れない。
 10日には復興の「司令塔」となる復興庁が発足した。被災地の要望を一括して受け付ける「ワンストップサービス」の機能を持ち、復興交付金の配分など「復旧・復興を包括的に早急に進める」と述べている。看板は高田松原の「奇跡の一本松」の近くの松が使用されたと、話題作りにはなったが、何とも対応の遅さに忸怩たる思いである。
 幾多の大災害に打ちのめされて来た日本に、復旧・復興の「司令塔」が無かったという無策に今さら唖然とする。遅きに失したが、総力を上げて取り組んでもらいた。

<震災1ケ月後のガレキの街、手前が仙台空港駐車場>

  濁々と湾内侵すモンスター瓦礫残して大海に還る 

  息呑みて「嗚呼~」声上げし画面から津波轟き人影消える  

  禍事(まがごと)は想定外の地震(ない)なれど人災の責誰に語らん

  暴れ波 瓦礫山脈築きおく地獄の道は斯くもあらんか

  黒き汐 悲鳴呑み込み土地を食むヘドロの泥濘(ぬかるみ)モンスターの糞


久ヶ原式土器

2012-02-09 | フォトエッセイ&短歌

 文化財を学習したり保存運動したりするグループで大田区立郷土博物館に行った。そこで弥生式土器を実際に手に触れるという思わぬ体験をした。博物館の土器と言えばガラスのケースの中で柔らかなライトに照らされ恭しく収められいる。でなければ「サワルな、フレルな」の注意書ばかり、場所によれば「文化財保護法云々…」なんて如何にもお役所らしい警告書が掲示されている。
 この郷土館は「触れて・持って」古代社会・弥生時代を感じて下さいがコンセプトである。久が原遺跡から出土する「久ヶ原式土器」は南関東地方の弥生式土器編年の後期に位置づけられる特段の土器である。質感がしっとりし見た目より重量感があり掌にスッポリと収まる。2000年の時空を越えた米作りムラ造りに励む弥生人の暮らしに想像力を巡らして思い描くのは楽しいものである。

<赤みがかった美しい久ヶ原式土器を抱く>

  弥生土器2000年もの時空(とき)越えて確かな温もり息づいてある

  掌の中の久ヶ原土器の持ち主は2000年前の如何なる人ぞ

  土器に問う「何を入れたの」耳澄ます「サア忘れた」と静かに笑う

  久ヶ原の住居跡掘れば赤土に弥生の足跡幻に見る


久が原遺跡

2012-02-07 | フォトエッセイ&短歌

 東京都大田区久ヶ原は「久ヶ原遺跡」の上にある。遺跡の中心をなすものは弥生時代の大規模な集落跡で1000軒の竪穴住居跡が大地の中に埋まっているが、部分的な発掘調査しか出来ていないので全貌はが不明である。にも関わらず「久ヶ原遺跡」は弥生時代の標式遺跡(タイプ・ステーション)として重要である。
 郷土博物館には詳しい遺跡の展示があり古代の南関東の様子が分かるようになっている。ここから出土した土器は「久ヶ原式土器」と命名され、弥生式土器の一つのタイプとして特段の位置付けがなされているのだ。弥生文化を計る物差しの役割を果たしているのが久ヶ原式土器という事になる。おおよそ今から2000年~1500年前の土器で頸部や胴上半部に羽状縄文(うじょうじょうもん)を巡らして刻み込んだ完成度の高い物である。粘土を輪積みにし外面を丁寧に磨き上げ、赤色素のベンガラが塗られている。

<山形文の中を単純な斜行縄文で埋めた文様と特徴とする>

  薄赤き羽状(うじょう)に残るベンガラの土器焼く工房声騒がしく

  土器作る長(おさ)の技盗む鋭き目土塊(つちくれ)握り若者は立つ

  赤土に住居跡刻む深々と秋の陽強く痕跡を暴く

  久ヶ原の壺形土器の山形文 五百年間変わることなし


衣更着

2012-02-03 | フォトエッセイ&短歌

 2月、和風月名では如月(きさらぎ)である。衣更着(きさらぎ)とも書く。一説に、立春だと言うのに2月はまだ寒く「衣を更に重ね着するから<衣さらに着る月>衣更着」になったとも。
 今年の如月は衣の重ね着ぐらいでは寒さを凌ぐことはできない。年末の長期予報では暖冬であったはずだが、厳しい冬型天気図が衰えることなくドッシリと座り込んで零下42度の寒気が流れ込んでいると云う。ヒト一人亡くなっても大騒ぎなのに雪に埋もれた死者がすでに60人に達している。玄関を出たところ屋根から滑り落ちた雪に埋まって窒息死とある。痛ましい事故だが我々関東平野の住人にはその実態が想像もつかない。地震・津波・豪雪と自然の猛威に畏怖の念を抱かざるを得ない。
 北陸・東北の降雪が多いと云うことは太平洋側はカラっ風の乾燥日が続くということである。そのカラっ風に揺れる寒桜がほのかな淡い淡いピンクを揺らしていた。

<寒さくら(冬桜)の淡いピンクが乾燥した寒気に瑞々しい>

  冬さくら堅き蕾のいじらしさ開花の力丸く抱きしめ  

  冬凪(ふゆなぎ)は重く雲垂れ鎮まれり吹雪の夕の予告の如く

  薄紙で折りたるような寒サクラ芯強くして動く事なし

  冬来たり花一輪の自然かな地震も自然津波も自然

  冬桜小枝は強く折れもせず「さくら子」という少女にも似て