年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

御犬様

2012-07-28 | フォトエッセイ&短歌

 犬に税金を掛ける発言で話題の泉佐野市は大阪湾にポツンと浮かぶ「関西国際空港」を抱えている。バブル期ならいざ知らず経済効果は期待はずれで大型開発プロジェクト「りんくうタウン」が暗礁に乗り上げ、市の財政状況は極めて苦しい。
 「市の名を企業名や商品名にできる命名権」売却を公表し、こちらも話題になったばかりである。「飼い犬税」の導入の背景は犬のウンコ問題だけではなさそうだ。「お犬様」がダメなら「お猫様」でもいいし、ペット税にすれば金魚でもインコでも何でもありだ。
 「税金まで払って犬を飼いたくない」と捨て去る市民もでようが、捨犬・捨猫は虐待行為である。動物の虐待や殺傷は「1年以下の懲役又は100万円以下の罰金」(動物の愛護及び管理に関する法律の第四十四条)である。これは、崇高な生命を愛おしむ法律で、…生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養が大切であると、法律の精神は述べている。
 生命を愛おしむ法律などと言うと現代法に聞こえるが、五代将軍・綱吉の「生類憐みの令」にその原型を見ることが出来る。綱吉は「殺生を禁じる!」と幕臣達に獣類・鳥類はもとより鯉、なまこ、タコ、鰻、泥鰌など食する事を禁止し、生あるものノミ、蚊、蠅まで殺さぬ事を誓わせた。この殺生禁令が1687年に「生類憐みの令」として天下に発布されたから江戸市中パニックに陥り、前代未聞の悪法として語られ、様々な悲喜劇が展開された。天野五郎太夫は猫が井戸に落ちたのを気づかず八丈島流罪、只越甚太夫は燕を薬用に殺して小塚原で斬罪とマア法令違反は厳罰をもって罰せられた。
 特に綱吉が戌年生まれだったので<犬>に示した関心は異常であった。中野に16万坪の幕府直営の御犬小屋を造り8万頭の犬を飼ったという。一日に米330石、味噌10樽、干鰯10表というから狂気の沙汰である。江戸幕府の財政が「御犬政策」で赤字に転落したのも頷ける。犬の戸籍、犬医者、犬の死亡届など犬奉行は命がけで「お犬様」の飼育に励んだのである。
 しかし、「生類憐みの令」の一項には「犬ばかりに限らず、全ての生き物に人は慈悲の心をもって憐れみ慈しむことが大切である」とか「捨て子、捨て病人」の禁止など、人間を含む生類の保護という生命尊重という普遍的な思想があったのも事実でもある。

*フォトジャーナリストの福島原発潜入ルポの映像を観る。放射線に晒された犬・牛の群れが寸断された無人の浜街道を彷徨する姿は究極の虐待である。東電を厳罰に処すべし。

<木に登ったのはいいが、下りられなくて弱ったぞ>

  犬五匹姿態違えて面(つら)向ける猛々しくも眼球(め)は暗く活きなし

  震災の傷そのままの道行けば犬猫群れて彷徨い歩く

  規制地の線量アラーム激震す 犬たちが行く瓦礫の狭間

  廃墟なり 浜街道はそのままに赤牛一頭ゆらりと歩く

  被曝牛人影もないアスファルトを死に場所求め狂いて歩く

  言葉なき動物たちはの黙示録 記録留めるすべなくも散る 

 


武家屋敷

2012-07-23 | フォトエッセイ&短歌

 宮城県白石市の白石城は片倉小十郎家の居城で仙台藩伊達氏六十二万石の南の要塞である。片倉家は歴史上有名な伊達家の三回の大難を救ったと云われる戦略家で名参謀の誉れも高い。現在の白石城は1995年に建てられた観光用であるが、三の丸外掘にあたる沢端川に面した武家屋敷は往時を偲ばせる。
 この武家屋敷は、白石城下絵図によると中級武士の屋敷が並んでいた地域である。開放されている旧小関家も「小関右衛門七」と記されている。小関家は奥方用人として勤務したとあるが、実際にどんな役職であったのであろうか。中間管理職として<お家存続・職務奮励>を第一に営々と勤め上げて来たのであろう。
 主屋の屋根は茅葺きの寄棟造り。広いダイドコロ(土間)から、茶の間・納戸・座敷の3部屋が続く「広間型三間取」といわれる実に簡素な間取りである。侍屋敷というよりも農家の造りで素朴な侘びしい感じさえする。地域史的には農民の家屋が武士住宅としての体裁を整えていく過渡的形態を示すとあるが納得である。270年前の古建築という。
 中級武士の屋敷がこの程度であるから、下級武士の家、ましてや百姓の家の粗末さは想像を超えるものがあろう。畳敷きは「ナカマ」と呼ばれる座敷のみ、板の間は風が吹き抜けて行くのが分かる。
 木に竹に紙に土に土台石に、これが家の建築材料である。簡素で素朴で粗末で、何とも涼しげである。緑陰を抜けた風が家の中を南北東西に風が吹き抜ける。田舎育ちの子供の頃の家はみんなこんな住居だった気がする。
夜は部屋いっぱいに吊ったカヤの中で子供達がゴロゴロと重なって寝るのは特別の風景ではない。月が見えたり、ホタルの光りがピ-カピーカと長閑に漂ったりするのが見えたものである。夜風に乗ってくるカエルの鳴き声も気持ちを涼しくさせた。風がなければ団扇である。
 節電だ、LED電球だ、冷房は27度だ、と天地がひっくり返るような騒動になっているが、思い切って停電の日なんて設定したらどうだろうか。原発に依存し過ぎた文明を暗闇の中で見直すのも悪くはないだろう。

<小関家の涼やかな茶の間が黒く光って夏の光りを映してる>

 

  風無くも暗き土間から居間見ればするりと時代の風が流れる

  梅雨雲の去りて眩しい文月(ふみづき)の夏日の日差し予告せしなに  

  座してみる 「然らば左様ごもっとも」中級武士の悲哀も聞こえる

  武家屋敷 障子の白が拡がって茅葺き屋根の軒下も差す

  板の間の拭き込まれたる光りあり座る女の蔭を映して


バナナの皮

2012-07-17 | フォトエッセイ&短歌

 熱帯地域に立ち寄り「バナナの木」を見てきた。貧弱な房でこれからL級に成長するのか心許ないが、大きな葉の瑞々しさには熱帯の雰囲気が充溢し汗が吹き出て来る。日本の気候では栽培が難しく沖縄で多少作られているが経営としては成り立っていない。スパーに並ぶ一抱え500円のバナナはフィリピンからのプランテーション栽培の輸入品である。何とも廉価で「こんな安値で大丈夫か」と心配したくなる。
 そのバナナが店頭から姿を消して「バナナ難民」という時世語が作られたのは記憶に新しい。肥満解消に「朝バナナダイエット」がテレビで放映された、その夕刻からオバチャン達のバナナ買い占めが始まったと云う。バナナで痩身美人になるならメタボはいない、繰り返されるワイドショウの功罪である。
 一時、バナナの皮で滑って転ぶネタを基にしたギャグがあったが、これは世界的なギャクのようだ。私の体験はギャクどころではなく命取りになりかねない大事に至っている。まだ、バナナが今ほど大衆化していない頃の馬鹿話「あんなにスッテンコロリと滑るの」とマアこういう時に主役になるN君。体育館の床にバナナの皮をホップ・ステップの間隔に置いて跳ぶことになった。N君は軽く助走して右足をポンと乗せたところ、これが見事にスッテンコロリと頭から床に転倒、瞬間的に腕で頭を防御したのであろう左腕の複雑骨折で救急車の世話になった。
 先生は一瞬は笑いかけたが、たちまち威厳を正して長時間説教となった。全員1ヶ月相当の小遣いを見舞金として没収され決着となったが、彼は4ヶ月もギブスで苦労していた。それにしても実に見事なスッテンコロリで一瞬宙に舞ったのだ。確か『サザエさん』の定番の画の一つではなかったか。
 バナナがギャクやマンガのネタになるのはバナナがちょっぴり高嶺で庶民の手に届きにくいという背景があったのだろう。
輸入品は規制とか緩和とか、その時の政権の経済・外交政策に常に左右される運命にある。バナナはその典型的な輸入品で激動の時代を潜り抜けて来た。戦後、GHQはバナナを不急不要品として輸入制限をしたので、希少品となり高価な値段がつけられた。小売価格は5本でサラリーマンの平均給与の2.5%程度という数字があるから高級果物となっていた。
 バナナが安価な普及品になったのは1963年の輸入自由化である。夢のバナナが手に入ったのだが、日本のミカン・リンゴ農家が壊滅的打撃を被る事になった。

<バナナの熱帯地域は女子美術大学相模原キャンパスに隣接する植物園です>

  夏の陽が葉脈を透視し蔭つくる樹液の動く確かな息吹 

  緑濃きバナナの篭を荷車に稲光背に暗き倉庫に

  口上す朱い法被のヒゲ男がバナナ食っては「さて、お立ち会い」

  眼を凝らす三等分のバナナありグウチョキパアで先陣争い


橋脚アート

2012-07-12 | フォトエッセイ&短歌

 「落書き」「悪戯書き」と云うと隠微でマイナーなイメージが浮かんで来るのは公園の公衆便所とか公衆電話とかの淫靡でアナーキーな意味深な「書きもの」の影響かも知れない。私小説を文学の中心に発達した極めて日本的のもののように思える。中には「落書き」の傑作選にしたいような“原発ゼロで夜間停電:☆空回復、少子化対策”なんてイケテルものもある。
 ところが「落書き文化」「落書き芸術」、いわゆるグラフィティ‐アート<graffiti art>と呼ばれる「落書き」もある。1970年代にニューヨークで初見され前衛芸術として持て囃された事もあった。何と云うことはない、スプレーやペンキでビルなどの外壁に描く大がかりな「落書き」である。
 日本の「落書き」のイメージとは大きな隔たりがある。閉塞した社会を突き抜けるような、やってしまったぜ!と快哉する若者のメッセージが感じられるのだ。ウォールペインティングといわれた所以でもあるが、公園、橋、建物、地下鉄(列車)などの公共施設描くとしているところが面白い。
 日本国憲法以上に日米安全保障条約を重視する「アメリカ命の日本」この手のアメリカ文化はすぐに伝わってくる。何か意味があるのか無いのか分からないが、ミステリアスなお化け文字のモッコリ感と色彩感覚が優れている。
橋脚は格好のカンバスになる。多摩川には多くの橋が掛かっていて様々なグラフィティを楽しむ事が出来る。多摩川グラフィティ‐アート散策など橋桁を抜ける川面の風に吹かれながら眺めるのも一興であろう。
 絵心のある者、ライターとして挑戦してはどうだろうか。ただし、橋は国土交通省の管轄だから許可なく描けば犯罪行為となる。適用法は刑法第260条で器物損壊罪で五年以下の懲役とあるから、決死の覚悟が必要ですが……。もっとも、オカミの所有物にゲリラ的行為で描きまくるのが、グラフィティの神髄とするなら挑戦も悪くはないだろう。

<第三京浜道路の新多摩川大橋のグラフィティ‐アート>

   橋影に梅雨の合間の強き陽がペンキを映しキラッと光る

   グラフィティ描きし男の影薄しパントマイムでスプレーかざす

   教科書を払い下げらる弟は兄の落書き頷いて見る

   落書きの痕跡なぞれば先生の七癖上げてカウントの記号

   落書きが残る教科書払い下げ手垢の残るハートに矢あり


なでしこジャパン

2012-07-07 | フォトエッセイ&短歌

 「なでしこジャパン」が女子ワールドカップで勝ち進むと一気に、まさに爆発的な人気となりサッカーなど無縁だったバアさん・ジイさん、女子サッカーリーグ(L・リーグ)など知らなかったスポーツファンがテレビ放映にかじりついた。アメリカとの決勝戦は午前3時35分のキックオフだというのに視聴率は瞬間最高28%という驚異の数字を示す。
 相手は世界ランキング1位、対戦成績は0勝21敗3分と1度も勝利がない強豪アメリカ、横綱と幕下の戦歴である。手に汗握る接戦で延長後半、宮間のCKからのボールを澤があわせて劇的な同点ゴールは今でも鮮やかに目に焼き付いている。その後のPK戦は夢心地で神業の演出で勝利し女子サッカーの人気は沸点にまで高まった。
 熊谷のPKが決まり優勝が決定した瞬間、宮間は意気消沈するアメリカ陣営に歩み寄り敬意を表した行為も清々しかった。(後日談だが、スポーツマンシップの模範として世界中から賞賛され、アメリカ女子代表のホープ・ソロと語り合う画像は、FIFA公式サイトでもっとも多い閲覧回数を数える写真の一つとなった)。マスメディアの露出度はNO1、震災・原発処理の対応の拙さから批判の矢面に立っていた菅直人内閣は国民栄誉賞、女子団体スポーツでは初の紫綬褒章の授与も決めた。
 「なでしこジャパン」のネーミングも良く、新語・流行語大賞を受賞したが、戦前戦中を生きた女性には「なでしこ」に抵抗感があったとも聞く。大日本帝国は「大和民族」「大和魂」「大和撫子」を国粋主義、国威発揚のスローガンにして戦争に駆り立てた忌まわしい記憶が頭を過ぎるのだという。
  愛称「なでしこジャパン」は2700通の応募の中から審査委員会によって決められ、ユニホームにナデシコの花の色であるピンクがあしらわれている。現在は平和の象徴として見たいが、どうもスポーツのW杯は民族主義・国威発揚など政治権力と無縁ではあり得ないというが実際である。
 スポーツは底力を引き出す魔力を持っているのは確かで、東北震災被災地の人々の復興のエネルギーになっている事も事実であろう。平和でこそのスポーツである。
 いよいよロンドンオリンピックの扉が7月25日(水)のカナダとの対戦で始まる。8月9日の決勝のピッチに立ってW杯の夢の続きを魅せてほしいものだ。高さと速さの欧米のパワーサッカーに素早い小さなパスの連続で相手ゴールに攻め込む緻密な「なでしこジャパン」の蹴球の技を期待している。
 日が長い夕刻、多摩川の河川敷はボールを追いかける、というかボールにじゃれるチビッコ達が練習に勤しんでいる。コーチがボールを右に左に転がして投網のようなゴールネットに押し込むエクササイズである。未来の長友か・宮間か、長谷部か・澤か、頑張れチビッコ!

<サッカーは4,5才から本格的に始めれられるのだ。野球との違い>

  ボール追う子等のさざめき陽に溶けてお喋りの合間ママの声援

  シュート打つ足がボールに乗っかかり転がりながら「スライディング」だよ

  「なでしこか」「ザックジャパンか」駆け抜けるドリブル巧みな赤の子ひとり

  ちょこまかと豆イレブンがボール追う色鮮やかなビブスが走る  

  PKに敗れしチームに歩み寄る歓喜背にする小さき巨人


飼い犬税:1

2012-07-01 | フォトエッセイ&短歌

 民主・自民・公明の3党による国会を舞台にした茶番劇が繰り広げられている。演目が「社会保障と税の一体改革関連法」となっているが、要は消費税法である。消費税増税を方針とする自民・公明に対して「消費税率は上げません」と公約して政権の座に就いた民主党が消費税アップの旗振り役をしているのだから、事はややこしい。
 庶民の反対の強い消費税アップ、解散総選挙を控えて自民・公明も飛び付く訳にもいかず、もとより反対する気など爪の垢ほどなし。ここは一つノラリクラリ、消極的姿勢を装いながら野田内閣の影にまわって後からプッシュしている。そしたら何と小澤のドンが57人もの子分を束ねが反対票を投じた。ばかりでなく、棄権・欠席を含めると70人以上の造反者が出て来たのだからビックリしたのは自民谷垣のドン。さらに「小沢新党旗揚げ」の様相で、与党の過半数割れも現実味を帯びている。
 与党民主が分裂すれば自民・公明の存在はいやが上にも重くなる。解散選挙ともなれば、消費税・原発で民主全敗とマスコミは騒ぐ。自民・公明は舞台の袖で笑いを堪えているというのが実情だろう。故事に曰く「果報は寝て待て」、いやこんなのもある「待てば海路の日和あり」。次回選挙で民主敗北なら天下を取るのは谷垣大将、ナニワの成り上がり者・橋本なぞにはまだ負けんよ。
 こんな茶番劇の合間に突如登壇してスポットライトを浴びたのが、大阪は泉佐野市の千代松大耕(ちよまつ ひろやす)市長で「飼い犬税」をぶちあげた。現在、泉佐野市にお住まいのお犬様は5400匹で、お犬様のフンを片付けない人間から1000円を罰金として徴収することにないるが、効果は上がずフンだらけとか。「世界各国の貴人麗人が訪れる関西国際空港の街としてこの糞害は放置出来ない」という事で、お犬様に税金を課すというものだ。
 「我が家は屋内犬で外には出しませんのよ」「ウンチどころかオシッコもペットボトル持参で流してます」「グレート・デーンに甲斐犬に、え~と5匹で<×5か>」とまあ賑やかである。名称や対象や税額など詳細は詰めて行くと言うが、法定外税なので自治体が条例を定め総務相が認めれば施行出来るのだそうだ。

<唯一の立法機関、国会の勇姿も最近はショボクなっている>


  空重く議事堂聳えし永田町日々政争で水無月尽きる

  潮見坂登れば緑に堂頂が霞ヶ関を虚ろに望む

  閉塞の時代を謳った啄木が生きししあれば何を謳うか

  今日もまた名ばかり憲政国会は三党合意で議場は閉鎖