年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

縛られ地蔵

2008-03-29 | フォトエッセイ&短歌
 お地蔵様は子供や旅人に親しまれる民衆の地蔵尊、という訳で何かと庶民の暮らしの中で願掛けなどに利用されている。例えば「盗難や落とし物など現金や物品を失うと<やいこの野郎め!>とばかりに、地藏尊を荒縄で縛り付け、願いがかなうと縄をほどく」という変った風習が江戸にあった。
 お地蔵様はたまったものではないが、そこは地蔵尊、失った物品をと取り戻してくれるのだ。林泉寺(文京区小日向)の縛られ地蔵もその一つである。縛られ地蔵の由来は概ね以下の話に準じている。
 享保年間のある夏の暑い昼下がり、日本橋の呉服間屋の手代が大八車に反物を山と積んで、業平橋(現・墨田区)近くの南蔵院の地蔵様の祀ってある門前を通りかかった。木影でひと休み、が寝入ってしまう。さあ大変、門前に置いた反物が車ごと無くなっている。手代は町奉行へ訴え出た。
 町奉行の大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)は「反物が盗すまれるのを見すごすとは何事じゃ、門前の地蔵も同罪である。 縄打って引っ立てて参れ」と命じた。地蔵は荒縄でぐるぐる巻きにされ、大八車にで奉行所へしょっ引かれる。物見高い江戸っ子、前代未聞のお地蔵様の逮捕劇に、ぞろぞろと奉行所の中まで入ってしまった。
 頃合を見て越前守は門を閉めて、「奉行所の白州へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反を納めよ」 野次馬たちは驚いたが、お奉行の命令に逆らえず、反物を届け出る。その反物から盗まれた反物が発見され、大盗賊団がことごとく捕まって一件落着。メデタシ!

<大岡越前守忠相殿  荒縄ではなくビニール紐では雰囲気ないので御座る>

 林泉寺は営団地下鉄丸ノ内線:茗荷谷駅前から南に下る茗荷坂の途中にある。昔、この辺りの谷間の低地で茗荷を作っていたという。寺領を営団に譲るときの条件が茗荷谷の名を残すことだったとか。現在、茗荷谷は駅名としてしか存在していない。市町村合併で歴史的地名が消滅し「ひらがな無意味地名」が増えるが、歴史を語るような地名は残したいものだ。
 林泉寺から更に茗荷坂を下ったると深光寺があり、『南総里見八犬伝』の滝沢(曲亭)馬琴の墓がある。馬琴の作品数は200数種にも及ぶが、106冊の長編『南総里見八犬伝』がその代表作である。
 馬琴は晩年失明するが、長男の妻であった路女(みちじょ)に文字を教え口述筆記をさせるなど路女と馬琴の共同作業により八犬伝は完成した。その為、馬琴の妻・お百が嫉妬し、確執は激化し結局我慢しきれなくなったお百の方が家を出てしまったという。なんか八犬伝より、凄いナ~

 <路女は路霜大姉の法名をいただき、馬琴の墓の後ろに眠るという>

「赤ひげ」を忍ぶ

2008-03-26 | フォトエッセイ&短歌
 8代将軍:吉宗の「享保の改革」に目安箱の設置がある。江戸城竜ノ口の評定所の門前に「目安箱」を設置し、江戸庶民の声を聞いて政治に活かそうという趣旨である。早速、小石川伝通院に住む小川笙船(おがわしょうせん)という医師が『極貧の者や身寄りのない者の為の施療所を設置すべき』という意見を投書し、それが取り上げられている。
 当時「白山御殿」(綱吉の別邸)では幕府御殿医の薬草が栽培されていて「小石川の薬草園」と呼ばれていたが、1722年、その一隅に「養生所」が開かれた。これが「小石川養生所」である。
  <身寄りのない貧人だけを治療の対象者>として、与力・同心・中間など20名が約800両で管理運営した。イマ風に言えば貧窮者対象の治療費無料の国立総合病院(内科・外科・眼科)である。マスゾエ厚労大臣に参考にしてもらいたいものだ。

<徳川幕府直轄の小石川御薬園の庭園風景。緑は春の装いを彩っている>

 「小石川養生所」は約140年も江戸の貧民救済施設として機能したが、幕末には西洋医学校に吸収され、やがて明治政府が接収。現在、小石川植物園として親しまれているが、正式には「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」と厳めしい名前になっている。
 「養生所」の遺構としては「養生所井戸」がある。山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を映画化した「赤ひげ」(黒澤明監督:三船敏郎主演)の感動を思いだす。
 「赤ひげ」の一見手荒な治療、乱暴な言動の底に秘められた人間的優しさ、筋の通った姿勢。医者として人間として貧者の患者に接するに姿に心閉ざす者達が徐々に心を開いていく壮大な人間ドラマの傑作であった。

<「赤ひげ」達が使った養生所井戸。周辺には多種類の薬用草が栽培されている>

 園内には「ニュートンのリンゴの木」や、遺伝学の権威メンデルが実験に使ったぶどうの木から分けた木、世界で初めてイチョウの木の精子を発見した木など、ふんふんとうなずける学術的に価値のあるものも多数ある。
 こんな記念碑もある。『関東大震災記念碑』:大正12年9月1日の関東大震災によって東京市内は大きな被害を受け、市民3万人以上がこの植物園に避難した。大正14年に最後の避難居住者が退去したので有志によってこの記念碑を建てた、と記されている。また被災者達が江戸時代の養生所の井戸水を使用したとも云う。

<都営地下鉄三田線白山駅下車徒歩10分。最高裁判所書記官研修所前>

彼岸まで

2008-03-21 | フォトエッセイ&短歌

 春分<白堂書> 日本      中国
    初候  雀初めて巣くう   玄鳥至   (玄鳥:ツバメ)
    次候  桜初めて開く    雷乃発声
    末候  雷声を生ず     始電    (電:カミナリ・イナズマ)

 白堂翁、矍鑠たるご様子で何よりです。季節の寒暖が直接に肌を刺激する老骨には春分の陽射しはありがたい自然の恵みです。「暑さ寒さも彼岸まで」本格的な春の訪れで、春霞の中に梅が香り、辛夷が開き、桜が色づき、百花繚乱の季節です。
物みな若返る青春の季節 『彼岸会も孫の手を借る体たらく』
(老いては孫に随え!白堂作) ダメですよ~。甘くしたら付け上がるから。年寄りの冷や水をぶっかけないと!
 *□に一字入れて、二通りの読み方ができる熟語を作れ。
  1、市□  2、□紙  3、風□  4、名□
 こういう問題持ってきてジジイを挑発するのが、孫ギャングの手なんだから。

*二十四節気の中国の項の意味がわからん、との質問が必ず来るので白堂翁には無断で解説を付してみる。簡単に言えば3月の初旬・中旬・下旬の自然の様子。
初候 玄鳥至(げんちょういたる)ツバメが南からやって来始める頃になった。
次候 雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)雷が鳴り響き、驚かされる。
末候 始電(はじめていなびかりす)豪雨と共に稲妻が初めて光る時節。

<陽溜まりの沼の水温も上がり、カエルの産卵が始まる>

 春分の日:春彼岸の中日にあたり「自然をたたえ、生物を慈しもう」が法定の趣旨である。太陽が春分点を通過する日で、太陽が真東から出て真西に沈むので昼夜の長さが等しくなる。この日を境に気温も上昇し始め、昼間が段々と長くなる。桜前線の北上が始まる。
 オタマジャクシが遊泳を始めるのももうすぐである。
           
<寄る辺なき無縁仏の群れ。彼岸の木漏れ陽に寂として佇む>

 凡人の「彼岸」と言えば墓参とオハギであるが、信仰の厚い者が日没に西方を臨むと極楽浄土の姿を見ることが出来ると言われている。そう言えば「彼岸」は「波羅密多(はらみった:梵語)」の訳で、向こう岸に渡るという意味である。
 虚飾と煩悩の濁世(此岸)を離れて極楽浄土・真実の世界に達するのだという。死んだら終わりの唯物論者も「彼岸」には墓参で極楽浄土を想う。


兵庫島に至る

2008-03-18 | フォトエッセイ&短歌
 多摩水道橋から下流を眺めると小田急線が前方に見える。現在、複々線工事の鉄橋工事が山場を迎え狛江と登戸の架橋がドッキングしようとしている。荒々しい作業現場の中を長閑に電車が行き来している。また、その眼下には宿河原堰が川幅いっぱいに流水を湛えて、「母なる多摩川」の面影を映している。
 更に下流に向かうと突如爆音が響き渡る。大型自動二輪車が列をなして連なるかと思うと小刻みなカーブを無尽に操りながら走り抜ける。オートバイの曲芸のようでしばし目を奪われる。
 「警視庁交通安全訓練センター」である。「白バイ」の特訓場である。火曜サスペンスドラマでお目にかかる、指名手配や逃走中の被疑者の捕捉をする訳だから、その機動力と運転テクニックは高度な技が要求される。厳しい身体的練習に手抜かりはない。
 スピード違反者は、ユメユメ「白バイ」を振り切ろうなんて考えない方がいい。<これを見れば納得!>。また「ルールとマナーを身につけてあなたも立派な二輪ライダーに!」と一般人対象にもオートバイの安全運転訓練を行っている。

<写真は上級者オートバイ教室でライセンス取得の高度テクニシャンのようだ>

 更に下流に向かう。堤の中腹に絵本から切り取ったような地蔵様が冬芝の中に佇んでいる。水難事故の犠牲者でもあるのか、行き倒れの最期の地でもあったのか… 赤い布きれが華やいで見えるのが幸いである。
地蔵菩薩は「お地蔵さま」として最も親しまれている菩薩である。子供や旅人たちを守るとされ街道の辻々に祀られている。「笠地蔵」などに見られるように子供達や村人・旅人との関係が温かく描かれるのもそのためである。

<十にもならないみどり子が賽の河原に集まりて、父恋し母恋し~ 地蔵和讃>

 多摩水道橋から約6km二子橋に至る。その橋の手前に多摩川とその支流野川に挟まれた多摩川八景の一つ兵庫島公園がある。兵庫島、気になる名前だと思ったら、ヤハリ「新田義興の家臣、由良兵庫助の死体が流れ着いた」といわれる。

   <兵庫島のこんもりとした木陰にある多摩川ドナウ川河川友好記念碑>

風雲!宿河原

2008-03-15 | フォトエッセイ&短歌
 多摩川で最も多摩川の風景らしからぬ箇所と言われる二ヶ領宿河原堰(にかりょうしゅくがわらぜき)である。川幅いっぱいに広がる豊かな川面、堰からほとぼしる飛沫、魚道の水音が勢い良く響きを立てて散る。
 宿河原堰の設置は1567(慶長2)年頃というから歴史は古く、秀吉が朝鮮出兵に失敗した頃からである。本格的な開発は江戸時代からで二ヶ領用水の取水口として整備されてからである。とは云っても当時は自然流入である。水量が下がると蛇籠<じゃかご:竹で編んだカゴに玉石を入れた>を並べて水位を上げたのだ。この原始的方法は基本的には昭和24年のコンクリートの固定堰が出来るまで続いた。
 しかし、まだ記憶に新しい昭和49年9月の台風16号の洪水でこの固定堰が水流を妨害し19戸の民家が流されるという大災害<狛江水害>が発生した。そこで、現在の可動式ゲートを備えた堰に生まれ変わったのは平成11年である。

<あるんです。多摩川にもこんな壮大な流域が。幾多の歴史を飲み込みながら>

 戦後、宿河原堰の改修工事は米占領軍のセメントの特別支給によって始められた。ところが東京都水道局が占領軍にセメント支給反対の陳情をしたため支給停止命令が出され工事は頓挫した。
 理由は堰が完成すると二ヶ領用水から神奈川県が大量の水を引いて都の水不足が深刻になると心配したのだ。マッカサーの仲裁があったかどかは定かではないが、神奈川県と東京都との厳しい深刻な交渉の結果、暫定協定が締結され工事が続行されたという。
 血を流した「水争い」は田舎の親爺さんばかりでなかったのだ。
 コンクリートの二ヶ領宿河原堰は無事完成した。が次ぎの「水争い」は日米の対決になった。米占領軍の命令は絶対で太平洋戦争に続いて「水争い」でも完敗した。

<対岸が狛江市の水害の事件現場。TVのリアルタイムの家屋流失が生々しい>

 この時期、多摩川の流域各地では慢性的な水不足。特に下流にある羽田空港や、米占領軍の施設では充分な給水が受けられない状況となった。米占領軍は都水道局を恫喝したが、原水の不足はどうにもならない。
そこで二ヶ領用水への取水停止命令が下されたが、用水流域の農民にとっては死活問題である。神奈川県は米占領軍総司令部に特別突撃隊を組織して実情を訴えた。当局は、両都県知事・用水関係者・東京都水道局・建設省を招集しケンケンガクガクと対策を練ったという。勿論、占領軍が優先的に確保し、残りをみんなで分けたんだとサ。

<小田急線の複々線の工事も急ピッチで進み、登戸駅は多摩川の川面に伸びる>

登戸の渡し

2008-03-04 | フォトエッセイ&短歌

 通称「町田街道」の多摩水道橋は狛江市の和泉と川崎市登戸をつなぐ橋である。なるほど、橋名が示す通り直径1.8mの水道管を抱える水道との併用橋である。一体この水道管の水はどこからどこに流れているのか。
 相模川水系の源水を川崎市三田の長沢浄水場で浄水され、水道用水となって多摩水道橋を流れ流れて世田谷区・目黒区・大田区の区民に利用されている。
「町田街道(世田谷通り)」は古くは「津久井街道」といわれ、甲州街道の脇街道として江戸への物資運搬用に開発された産業道路であった。丹沢山系のふもとでは養蚕が盛んで絹の生産も活発であった。絹の需要が伸びる江戸中期以降、馬の背に津久井地方の絹を運ぶ商人の往来でにぎわったのである。
 日本橋を起点とした大山街道は三軒茶屋で右折し「津久井道」(つくいみち)となる。現在、この三軒茶屋から多摩水道橋(多摩川)までを「世田谷通り」、多摩水道橋から町田市鶴川までを「津久井街道」の愛称で呼んでいる。

<渋滞の名所もモスグリーンの快適な橋となり、川面の風にも幽かな春が漂う>

 「津久井街道」を江戸に向かう難所は多摩川である。橋がないから渡し船で渡る事になり、その渡船場を中心に宿場町として賑わった。これが「登戸の渡し」である。
 舟には人間を乗せる舟とひとまわり大きい<馬や荷車などを乗せる馬船や伝馬船>が使われ、船頭が川の流れを見ながら舟を巧(たく)みに繰っていくのである。渡船場は旅人や荷物の積み降ろしでごった返したであろう。また、雨が降って「平水より3尺の増水」ともなると船は出ない。旅人も物資も足留めである。宿場町として料亭や旅館が栄えたのもそのためである。
 多摩川最後の渡しであった「登戸の渡し」は、この橋の完成によって昭和28年8月にその長い歴史を閉じた。その渡しの名残でもあろうか今でもボートが浮かんでいる。

<舟を眺めながら舟の制作に余念がない。時折ウツラウツラと舟をこいたりして>

<橋の下に廻るとなるほど180センチの巨管がむき出しになっている。圧巻だ>