年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

御出座ですよ!

2008-01-31 | フォトエッセイ&短歌

 解凍(かいとう)とは、冷凍したものを元に戻すことであるが、暦では1月の事をいう。察するに、12月が元に戻ってまた一年が始まるという意味から来ているのか。その1月解凍も終わるので滑り込みで初詣を済ませる。
相模国一之宮とも称された寒川大明神(高座郡寒川町)である。祭神については諸 説があり不明だったが、大正15年に内務省が寒川比古命・寒川比女命二神を祭神に決めて通告したという。神道(神社)が国家によって整備・統制されていく様子がうかがい知れる。
 場所がら、源頼朝・北條義時・武田信玄等の武将、徳川家代々の篤い信仰をうけており、1500年余りの歴史を有する古社である。霊験あらたかな神社として初詣は賑わう。サービスも行き届いていて、神門に「迎春干支ねぶた」が掲げられる。

<今年は子年で武将が白ネズミを抱えた青森ねぶたが参拝者を迎える
   
 新年早々、ガソリンがまた値上げされた。それに引っ張られるように諸物価がじわじわと高騰し電気・ガスにまで及び生活を圧迫しはじめている。さりとて給料は上がらず。ワーキングプアなどというとんでもない現象が特段の事ではなくなって来ている。
 先行き不安な社会である。世の中のこれからが見えなければ人のサキユキは更に見えない。頑張りようもない。マアここは一つ神様のお告げにでも我が身を任せて気楽に参りましょうか…。「神頼み」ってやつですよ。神様出番ですよ。とは言っても寒川大明神は我が身に如何なる吉凶をお授けになっているのか。

<花と咲いた満艦飾のおみくじ。すごいな~100円×?枚:ザット100万円?>


<寒さにめげず老人ホームの元気なおじいちゃん・おばあちゃんもお参りです。まだまだ人生長い。10年後の思い出に記念写真ですヨ~。10年は無理じゃよ。まあ、そう言わず ハイ、ポーズ!> 


富士見月

2008-01-25 | フォトエッセイ&短歌
 寂とした深山に眠る小さな池に冬の澄み切ったブルーが反射している。冬は空気が澄み渡るので遠く富士山が見える日が続く。そんな事から、東京では「富士見月」といって1ケ月に何日、富士山が見えるか、気象庁予報課の某氏が統計を出している。1月が13日、2月が7日、3月2日… 6、7月は0日だそうだ。
 どこでどう出す記録か分からないが、今はビルの影で0月が続いているのではないか。
 気象予報官の大雪予報も外れて銀世界を見ることが出来なかった。流通関係者はホッとしているであろうが、何か物足りないナ~
「北風小僧の寒太郎」も立ち現れることもなく沼面は穏やかに木樹の影を映している。ところでこの山間の雑木林はどこでしょうか。
 国立科学博物館附属自然教育園<目黒駅東口より目黒通り徒歩7分>自然の移りゆくままというコンセプトで出来る限り自然本来の姿に近い状態で残されている。65歳以上無料です。

<武蔵野の面影を残す暗い雑木林の後ろには西陽に鈍く光るビルが垣間見える>

 約20haという広大な敷地の緑の楽園の園内に国天然記念物・史跡約20万点があるという。ガイドによると平安時代の地方豪族:白金長者の館から始まっている。江戸時代には松平讃岐守頼重(高松藩主)の下屋敷、明治維新後は海軍省火薬庫・陸軍省火薬庫を経て大正6年には宮内庁白金御料地となる。戦後、国の「天然記念物および史跡」に指定され、自然教育園として格好の散策・学習の場として公開されている。

  <園内には、台地、湧水池、小谷、湿地、沼などが自然の姿で保たれている>

     
    万両:マンリョウ                千両:センリョウ
 正月の縁起物。日本では瑞祥(ずいしょう)植物として人気者であるが、フロリダでは日本から持ち込まれて過剰繁殖したとかで、帰化有害植物に指定される嫌われ者。

冬枯れの刻

2008-01-21 | フォトエッセイ&短歌
 大寒(だいかん)である。暦の季節と実際の寒暖とのズレは大きいが「大寒」に限っては体感的にも統計的にも風景としてもピッタリとくる。各地で最低気温を記録するのは「大寒」からの10日間である。寒さの峠である。
 久しぶりに白堂翁の墨痕をお送りしましょう。

    
    日本             中国       
     初候  蕗のとう花咲く   鶏乳(鶏卵を産む)
     次候  水沢厚く堅し    征鳥疾(渡り鳥はげしくはやし)
     末候  鶏とやにつく    水沢腹堅(すいたくふたたびかたし)
  (白堂二句)
     靴音の気忙しくなり七草粥
     連山を映して青し枯れ野かな 

 暖冬とは云え「大寒」冬本番となり、遅かった秋の枯葉がカサカサと転がって行く。空っ風の時期でもあるが、それ以上に猛々しいのはビル風である。吹き抜けるというものではなく、吹き降ろし、吹き揚げる乱気流を引き起こす。
 雨後のタケノコのように天を突く高層ビルラッシュに湧く再開発の余波をもろに受けるようになった。風の冷たさに首を縮めるのも季語として詩にもなるが、この風害はシャレにもならん。
 北風小僧の寒太郎も出そびれているのではないか。寒太郎を求めて冬枯れ(冬に草木の葉が枯れている寂しい眺め)の野に出向く。

<樹間に陽が隠れようとしている。幽かな陽が沼に最後の光を留めている>


 冬枯れの寒中ではあるが、春遠からじの希望もふくらんでくる。季節病カレンダ-によれば文明が進むほど病気は冬季に集中する。例えば脳卒中による死亡率は大寒前後がピークとなる。
 そう言えば、濃緑の葉に映えるアオキの赤い実は春の訪れを予感させる。薄暗い環境でも生長する陰樹で赤の輝きはヒヨドリを引き寄せる作戦だそうだ。別名:トウヨウサンゴ

振り袖成人

2008-01-17 | フォトエッセイ&短歌
 戦後60年を迎えた成人の日。毎年、式典騒動で市長さんが怒鳴る嘆くの祝辞で物議をかもしている。行政もその手の式典を諦めて若者たち主体の行事にしたのか、新成人が穏やかになったのか、大きな混乱の報道はされなかった。
 我々も若者たちと議論する事もなくなった。あっさりやり過ごされてしまっている。どうしているのだろうか。ネットカフェにたむろす若者、凶悪犯罪に名前が並ぶ若者、大食いに笑い転げる若者そんな若者像ばかりが見え隠れする。
 時に、成人の日ってなんだ~。
 『国民の祝日に関する法律』(施行:1948年7月)第二条「祝日の内容」の項に<おとなになったことを自覚し、みずか生き抜こうとする青年を祝いはげます>とある。法律で定められているんですね。みずか生き抜こうとする青年にエールを送る日なのだそうだ。

  <黒髪は女のイノチ、髪はカラスの濡れ羽色なんぞはその影も形もなし>

 振り袖姿であらずんば成人で非ず、そんな雰囲気の式典会場でした。振り袖の華やかさもこれだけ一堂に会すると竜がとぐろを巻きながらゆっくり動いているかのようだ。コメンテターがKY(空気を読めない)なんて言葉に負けるな、みんなと同じじゃなくてもいいのだ、自己主張だと話していたがこのことなのかナ。
 お尻姿ばかりでドウモドウモ。正面も絵になる振り袖成人沢山いるんですが、個人情報とか、プライバシーとか肖像権とかでカメラは無理です。これくらいが許容範囲だし、これ以上接近したらもっとヤバイことになる。

<新成人は1988年生まれで全国で約135万人。日本男子はどこに行ったー>

  
 日本の警備警察はすごい。数台の車両で治安維持には怠りない。
  <これじゃ、暴れられんワ>      <やってらんね~。引き上げるか>

面白い羅漢寺

2008-01-11 | フォトエッセイ&短歌
 羅漢寺は目黒不動に隣接する黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で「天恩山五百羅漢寺」(ごひゃくらかんじ)という。羅漢(らかん)さん、栄枯盛衰の流浪の旅の終着の地とも言える。
 松雲元慶(1700年頃)が独力で536体の羅漢像を彫り上げて祀った。本所五ツ目の羅漢寺である。徳川綱吉や吉宗が支援した事もあって江戸町人の「本所のらかんさんブーム」が生まれ浮世絵にも描かれる観光名所ともなる。しかし、その後、火災・地震などで荒れ寺となるも風雪を経て明治41年に目黒の地に移転されるが、不遇な無住の時代が流れる。
 1938(昭和13)年、安藤妙照尼(総理大臣桂太郎の愛妾)が入寺し寺を維持した。境内が整備され羅漢が落ち着くことが出来たのは1981年になってからである。536体の像は半数が行方不明となり現在287体の羅漢像が安置されている。
 羅漢=(阿羅漢:あらかん)お釈迦様の教えを理解した最高の出家者。仏教の修行の最高段階に達した人。いわゆる仏像ではない。

<風雪を思わせる羅漢の生々しい表情。微笑みの顔・諦観の顔・苦悩の顔相…>

 広島平和公園に「移動演劇さくら隊」の殉難碑があるが、目黒の羅漢寺の狭い境内にも殉難碑が建っている。さくら隊と言えば新藤兼人のドキュメンタリータッチの映画『さくら隊散る』、井上ひさし作「紙屋町さくらホテル」がある。この映画や舞台が重く胸に迫るのは原爆の悲惨、悪魔的な兵器の現実を描いているからだけではない。軍国主義下の演劇人たちの時代の犠牲を象徴しているからである。
 1940年大政翼賛会が発足。全ての物事は戦争遂行のためだけに存在が許される。新劇関係者は平和主義として弾圧を受け、牢獄につながれ生活を奪われ、劇団は解散を命じられていく。戦意を高揚させる目的で内閣情報局は移動演劇連盟を作り、戦争を批判しない芝居を強要し公演させた。
 「桜隊」(苦楽座移動隊)もその一つで東京大空襲の後は疎開先の広島を拠点に活動。8月6日、爆心地から750Mの地で被爆、しばらく生きながらえていた者もあったが9名全員被爆死する。
 「桜隊原爆殉難碑」がなぜ目黒なのか、羅漢様と同じように曲折があるが、徳川夢声氏の呼びかけと多くの人々の協力で目黒の五百羅漢寺に建立され、毎年8月6日に追悼会が催されている。

<羅漢寺の尼僧は碑建立を快諾し寺にあった将軍吉宗の腰掛け石が提供された>

 本堂脇に縁結びの「お鯉観音」があるが、曰く因縁が面白い。新橋の芸者「お鯉」が観音様に進化したのである。本名は「安藤照」、気っぷと美貌で評判を取り絵葉書に描かれた人気芸者。
 桂太郎総理の愛妾となり伊藤博文、小村寿太郎らと交友を持つが、桂太郎没後、尼僧(妙照尼)となって無住で荒れ寺となっていた目黒の羅漢寺の尼住職となる。昭和23年、69才で没。
               
     <芸者お鯉は観音となり、男女の仲を取り持っているという>



目黒の初参り

2008-01-06 | フォトエッセイ&短歌
 深~い信仰心があるわけではないが、小春日和の続く松の内にと目黒不動に出かける。期待した振り袖姿の華やかさはすでになく創業守成・一陽来福など御利益にあやかろうとする魂胆見え見えのおじさんオバサンが圧倒的だ。
 「目黒のお不動様」で親しまれるが、天台宗:泰叡山瀧泉寺(てんだいしゅう:たいえいざん・りゅうせんじ)という寺である。808(大同3)年、慈覚大師(円仁)が不動尊像を彫って祀ったのが始まりと云うから歴史は古い。
 しかし、有名になったのは徳川三代将軍家光の帰依を受けた江戸時代の初期からである。雄大華麗な山岳寺院と江戸庶民の不動信仰が重なり参詣行楽地として繁栄をきわめ、門前町も大賑わいを見せたという。
    
<本堂は何度かの火災で焼失。現在のは1981年鉄筋コンクリートの再建>

 江戸時代、目黒の一帯は徳川将軍家の鷹場に指定されていた。ある日、家光がこの地で鷹狩りをしていた際、鷹が行方知れずになった。大騒ぎとなったが不動尊に祈願したところ本堂前の松に飛び帰って来たという。家光はその威力を尊信し、大伽藍を寄進したというのだ。その伽藍は『目黒御殿』と喧伝されるほどの華麗を極めた。
 絵図には、「目黒不動」の近くに「目黒御弁当之寺」が描かれており、鷹狩りと昼食場所として目黒の里が重宝されたていた事がうかがえる。江戸落語の「目黒のサンマ」発祥の地である。

<仁王門を越え斜面右手の松が「鷹居の松=たかすえの松」となっている>

 そもそも不動様ってなんだ。仏様の顔は柔和で心を癒してくれる。だがこの不動様(不動明王)の容貌は何とも怖ろし気である。牙を剥き出し怒りで顔面は歪み髪の毛は逆巻いている。
 それもそのはずで最高の仏である大日如来がすべての悪魔・煩悩を降伏させるために送った使者の一人というからスゲ~強いんだろう。そう思うとあの憤怒の形相も何だかありがたくなるのもだ。
 本堂石段下の、独鈷の瀧(とっこのたき)=「炎天旱魃(えんてんかんばつ)といへどもかるることなく、目黒一村の水田に引き用ゆるといへり」と記録されている。水垢離(みずごり)の場となっている。
    
<この不動はふっくらと穏やかな顔つきで愛嬌があるのではないでしょうか>

新春の闇の中に

2008-01-02 | フォトエッセイ&短歌
 称名寺は闇の中に浮世離れの光のページェントを展開している。暖かな彩りの反橋の向こうにヒンヤリとするような清浄な浄土の金堂が浮かび上がっている。池に映る光が一層の華やかさも添えている。初詣の人々の驚嘆や喧噪も闇の中に消え去り、しばし幽玄の趣に浸る。 
 浄土思想の荘厳のために設けられた阿字ヶ池を二分するように中島に架かる反橋と平橋を渡って金堂に達する(浄土曼荼羅(まんだら)に基づき造られた浄土式庭園)年末から正月に行われるライトアップで市民の人気を呼んでいるという。
 称名寺は北条実時(さねとき)が別荘を建てて住んだ時の持仏堂がその発端となっている。武蔵六浦荘金沢郷がその地名である。実時は鎌倉幕府の3代将軍・源実朝を滅ぼした北条義時の孫で北条政権の知恵袋であった。学問を好み多くの書籍を集め「金沢文庫」の基をつくった。


 藁葺き屋根の釈迦堂(しゃかどう)のフェードイン。1308(徳治3)年銘の庫中には釈迦如来立像(制作:鎌倉時代のもので国の重要文化財)が安置されている。釈迦堂の前の鐘楼。金沢八景の一つである「称名晩鐘」とうたわれているものだが、現在その鐘の音を耳に出来るのは大晦日の除夜の鐘のときだけで日常は使用されていない。


                                    
 京浜急行:金沢文庫駅から徒歩約15分で称名寺赤門につく。100個近い提灯が夜の初参り客を迎えてくれる。チョット変わった参道を進むと仁王門が人々の群れを飲み込んでいく。仁王像もライトアップされ、ひときわ怖ろしげな表情をしている。
 寺院の門の両端に立つ二体の王、彼等は清浄な寺院の境内を悪から守る金剛力士像なのである。二体の仁王様は「阿」「吽」の形相で密教の世界観では、すべての始まりと終わりを表しているのだそうだ。 さて、謹賀新年、仁王様の出番です。頑張ってもらわなければならん。偽=作為をくわえて本来の性質や姿をためなおすの意(漢字源)。偽証・偽造・偽装・偽称・偽詐・偽贋・偽涙・偽史……出るわ出るわ。この不逞の輩どもを懲らしめてもらわないといけない。         
      
<所在地:横浜市金沢区金沢町212-1 境内全体が国史跡に指定されている>