年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

大 暑

2013-07-30 | フォトエッセイ&短歌

 酷暑が続く今日この頃。七十二候の大暑(たいしょ)だそうで、如何にも暑いぞ!という感じだ。1年間を七十二等分して気候の特徴を表現する一種の自然暦である。因みに大暑・立秋・処暑・白露・秋分…と続いていく。俳句を楽しむ、読者や俳人には必携の知識である。
 最近『日本の七十二候を楽しむ』という本が出版され売れ行き好調とかで私も手に取った。帯には「四季のある国に生まれた喜びを味わう。自然によりそう、昔ながらの生活を大切にしなおすことの中に、人が自然と結びつき、生き生きと暮らせる知恵が宿っている」とある。宜なるかな。
 大暑は7月22日頃から8月6日頃までを指し(初候=桐始めて花を結ぶ)(次候=土潤いて蒸し暑し)(末候=大雨時々降る)と更に3候に等分される。緑もないマンションに暮らす今どきの都会人にとっては体感する事はないというか、特段の感慨も想像力も湧かないかもしれないが、昔ながらの自然の中で育った者には暮らしに関わる遠い遠~い思い出も甦ってくるのである。
 例えば、(桐始めて花を結ぶ)とあるが、桐の花は余り見ることがなくなった。薄紫色の筒形を重ねたような花を鈴なりに咲かせるのである。葉が出る前に咲くので遠くからでも覗う事が出来るのだが、なんとも淡い紫なのでく目立つ事はない。桐箪笥、桐下駄といえば一級品である。とは云え、若者は駒下駄も知るまい。
 娘が生まれると屋敷の周りや畑の周囲に記念樹として桐を植える。桐一葉落ちて天下の秋を知る!代表的な落葉樹なので屋敷樹としても生活に溶け込んでいる木でもあった。そして娘が嫁ぐ時にこの桐材で箪笥を作って持たせるのである。大きな桐が聳えるようになると娘さんの嫁入りしたくが始まる事を村人達も知るのである。

薄い紫が猛暑の中でじっと動くことなく泰然としている

 

  花柚子に黄揚羽一閃弧を描き酷暑を裂きて鮮烈に去る

  昼下がり炎暑の中に固まりて老婆は独り諍いて動かず

  幾く星霜何処くで生きたか寄る辺無き酷暑仰ぎて老婆佇む

  鉄骨の暑熱を照らす斜陽なり梵鐘の音つつむいくばくの風

  軒下の山アジサイは裏返る壱椀の水に命つなげと


嘆きのトマト

2013-07-11 | フォトエッセイ&短歌

 第68代横綱:朝青龍は関取には珍しいサウスポーだった。八百長疑惑、仮病疑惑、脱税疑惑など話題の尽きない横綱で土俵を去ったのも相撲史上初となる横綱審議委員会の引退勧告によるものものだった。国技・横綱の品格という事が盛んに云われた。
 その急先鋒に立ったのは「朝青龍の天敵」とマスコミを賑わした女性唯一の横綱審議委員会・内館牧子(脚本家)である。朝青龍も内館牧子も強烈な個性の持ち主で近づくだけで閃光が飛び散ったのであろうか。しかし、こうも云っている。「私はプロのアスリートとして朝青龍は超が3つつくほど好き、150%好き」「師匠(高砂親方)がダラしなくビシィッとさせないから、私は鬼のように怒らなきゃならなかった」
 2010年1月に内館は横綱審議委員会を辞任、時を同じくして六本木騒動で朝青龍も横綱を引退し角界から退いた。最近、内館の新聞掲載の「季節を失った野菜」のエッセイを読で快哉を叫んだ。相撲の話しではない。
 近頃のトマトは完熟だとか、甘いとか、ジューシーだとか、本当のトマトは何処へ行ってしまったのか!トマトは尻に青味が残っているのをもいで頭から囓るのだ。私が父に隠れて畑で食べたトマトの味はなくなった…… 朱い部分の微かな甘さ、酸っぱい、苦い、えぐいと舌触り歯触りで食べ尽くすのである。こんな文脈だったかと思う。
 野菜の食感をこんな風に感じている人がいてくれたのか、と私にはうれしく懐かしかった。まだ電気冷蔵庫がなかった時代の夏休み、尻の青いトマトをもいで食後の果物にするために井戸の中に放り込んで置くのは子供達の仕事である。真夏の太陽の下で、青臭いトマト畑の中で、先ずは一つ隠れて囓るのである。朱い部分の甘さ、酸っぱい、苦い、えぐいと複雑微妙な野暮ったい舌触り…これがトマトなのである。
 トマトもキュウリもとうとう年間を通してスーパーマーケットに並べられるようになった。野菜や果物は通年売られ季節を問う事もなく地域を選ぶことも事もなくなったのだ。50万円の苺、メロン、リンゴが店頭に並ぶ。
 自動車を造るようにトマト製品が工場で生産されるのである。チャップリンは人間の尊厳を失い、機械の一部分となった労働者の悲劇を『モダン・タイムス』(Modern Times)で喜劇として描いた。チャップリンが問題にした『モダン・タイムス』の資本主義はいま深刻な事態に立ち至っている。
 『嘆きのトマト』脚本・演出:内館牧子 口上-雪国に送られて来たトマトが吹雪に直面し、ここは我々の来ると所ではない。我々は人間共に季節を忘れさせられている。故里に戻ろう!団結して人間共の横柄と戦おう。トマトの逆襲がはじまる。特別出演の朝青龍(ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ)の演技にも期待がかかる。モンゴル国ウランバートル市立劇場にて<劇場に問い合わせたところそのような興行はないという事だ>

トマトは天然の露地栽培にかぎる!


  

  露残るトマト畑に踏み入れば青き匂いが溌剌と立つ

  漿液が迸し出る爽やかに歯応えもある朝取りのとまと

  未だ青きトマトを護る傘となる夏日を受くる鋭き蔕(へた)は

  涼しげに青色残す大ぶりの薄くれないの蕃茄は重し      *蕃茄:ばんか=トマト

  青き実に薄紅の気配あり赤きトマトの影に隠れて

  道草のとまとドロボーその一つ湧き水のあるあぜ道を駈ける


ブルーベリー

2013-07-04 | フォトエッセイ&短歌

 7月に入りブルーベリーの収穫期となる。最近では「ブルーベリー狩り」の出来る農園が増えた。これはブルーベリーの品種改良と栽培の進化で、その場で摘み取って賞味出来る果実になったという果樹農園の成果の賜である。
 ちょっと酸っぱい系のジャムしか知らない人は自然の中で木になっているブルーベリーを見る事をお勧めしたい。中学校の同級生がブルーベリーの栽培を始めてようやく自慢できるようなブルーベリー園になったということで旧友達と出かけた。今年は2週間も早く収穫が始まったという。何故かと聞くと「ブルーベリーは去年の自然環境によって今年の果実の様子が決まる」ので昨年のデーターを分析しないと2週間早まった原因が分からないという。
 農業もデーターを基本したIT産業である。実は、もう十年も前の話であるが、彼はシクラメンのミニチュア化に成功、小さな鉢植えシクラメンを市場に出荷させた研究家である。近郊農業の時の人として小学校の教科書にも紹介された経歴の持ち主である。
 地域の近郊農業を推進しているリーダーの一人で人望もある。「自分の良いことはみんなにも良いことにならなければならない。自分のマイナスはみんなで背負わなければならない。これが自分の百姓をしている基本的な考えだ」とも茶飲み話しに語っていた。
 完熟の紫紺の大豆ほどのブルーベリーはジャムからは想像出来ないアバウトな甘味が広がる。麦刈りで大汗かいた子供の頃も話題に上がった。しっかり根付いた早苗の葉裏を波のようにして吹き抜ける梅雨晴れの風に吹かれながら野性味に浸るのも悪くはない。が、氷みずで20分位、冷やしてから口の中に5粒入れてほおばって食べるのが一番上手いブルーベリーの食べ方だという。勿論、皮を出す必要はない。
 「目の網膜に良い」アントシアニンが豊富に含まれて視力改善効果が謳われているのはご存知の通り。『眼鏡なしで更新した前回同様、今回も無事、自動車免許の更新が出来た!』『今まで通り、70歳を過ぎても読書が楽しい!こんなうれしい事はない!』小林製薬のCMフレーズである。

今、日本にはブルーベリーの品種は60種類もある。さてこれは?

  ブルーベリー「ツムかモグか」は微妙なり一粒コリッと指先にあり

  梅雨晴れの陽射しの影はくっきりと実ひとつ一つに刻印押して

  梅雨晴れのブルーベリーの野趣の味麦刈りもあったと頷きて笑む

  実潰せば深き紫紺が染み滲む太古に繋がるインディオまでも

  ブルーベリー軽く弾けておひさまの味も香りも紫の色

  トーストにブルーベリーのジャムぬれば香りフワリとカフェにも勝る