年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

平和の石

2008-02-15 | フォトエッセイ&短歌
 目黒区役所の一角に「平和の石」があると言うので訪ねた。ところが区役所らしきものが見つからない。それも当然で、旧千代田生命本社ビルが区役所になっているのだからバカデカくて受付もフロアも見当がつかない。
 駐車場の整理員・フロアガイドに尋ねても「平和の石」なんなて聞いたことがないという。今更「平和の石」を語らなくても盤石の平和の世のなっているいう認識なのかも知れない。いいのかナ~
 平成15年、庁舎移転の時「中目黒しぜんとなかよし公園」を造りそこに移設したのだ。国際平和年の昭和61年、荒木武広島市長から、被爆した旧広島市庁舎の階段の一部を核兵器の廃絶と世界恒久平和実現のシンボルとして寄贈するという事で実現したという。
 <かつて人々は、戦火に包まれ悲しい歴史の一ページを作った。時は移り、今、平和の尊さをしみじみと思う。青い空、緑の木々。街には明るいあいさつがかわされ、人びとの顔にほほえみが浮かぶ。……目黒区は平和憲法を擁護し、核兵器のない平和都市であることを宣言する>

<台状の石(花崗岩)が広島庁舎の被爆した石段。熱風で一部が崩れている>

 「平和の石」から駒沢通りを少し歩くと明顕山祐天寺の山門に着く。
 将軍吉宗にも崇敬された高僧:祐天(ゆうてん)の威徳をしのんで享保年間に建立された古刹である。
明治の大火で壮麗を誇った本堂などは焼失したが、仁王門・鐘楼・阿弥陀堂などは焼失を免れ享保の面影を留めている。
 この祐天寺には旧厚生省が収集した朝鮮人の軍人軍属の遺骨が1140体も安置されている。先月そのホンの一部が遺族に引き渡される供養が行われて話題となった。
 この遺骨の中には、浮島丸の犠牲者や日本の戦争責任を肩代わりさせられ処刑された朝鮮出身のBC級戦犯の遺骨も含まれているという。まだ1000体以上の遺骨が故郷の朝鮮半島に帰ることも出来ずに彷徨っているのか。戦後処理は終わってはいない。

<鐘楼に暮色蒼然と迫る。日本帝国軍人として散った彼等の無言の鬼気が漂う>

 焼失後の再建本堂には、町火消(まちびけし)の組の目印(シンボル)として用いた纏(まとい)の頭飾りのロゴを彫った賽銭箱が奉納されている。町火消の制度は江戸中期に大岡越前守忠相らによって創設された八百屋町の消防体制である。

<火事がおこると纏持ちは纏を振りかざして火事場へ先陣を切って乗り込んだ>


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