年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

多摩川の渡し

2008-02-21 | フォトエッセイ&短歌
 険しい山を背後に構え前方に川の流れがあれば理想の築城の条件となる。攻められた時、川は最良の防御戦を戦えるからである。
 天下太平の世となった江戸時代にも幕府は川を重要な軍事的拠点と位置づけて大変な神経を使っている。基本的には橋を架けさせないで、渡し船を管理統制していた。が実は、架橋の費用が高額であった事が本当の理由であったという説もある。度々、火事で焼かれ洪水で流されるのだからその経済的負担は大変なものであったろう。
 そこで渡し船の活躍である。江戸川をはさむ葛飾区柴又と松戸市矢切を結ぶ『矢切の渡し』は現役の渡船場で観光名所にもなっている。もともとは幕府が地元民の農作業のために許した利根川水系15ヶ所のひとつである。
 『矢切の渡し』が全国的に有名になったのは、伊藤左千夫の小説『野菊の墓』によるところが大きいとか。男と女の間には深くて黒い川がある。川は物事を隔てるたとえにもなり、情感に訴えてくるものがある。

<テント村の住人と鳥たちはネグラを求めて流離う共通点があるのか無二の親友>

 多摩川の丸子橋の上流にも現役の渡船場がある。冬枯れの渇水期で川幅は後退しているとはいえ、徒行して渡ることは出来ない。ただしこれは東急のゴルフ場に向かうゴルファー専用の送迎用である。乗船をお願いしたが、一般客を乗せる事は禁止されてるとかで乗せてもらえなかった。
 何か難しい法律があるらしいが、河川敷をゴルフ場として占有私用しているのだからそのくらいの地元サービスもあって欲しいものだ。

<多摩川現役の渡し船。手漕ぎではないが、木造船で渡し船の風情は充分あり>

 子供連れ数家族が、枯芝の日溜まりの土手で和んでいる。薄い緑の芽がもえあがっている。頬を打つ風にも和みが感じられるようだ。


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