年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

羽州街道-蕎麦は花でもてなす

2007-09-24 | フォトエッセイ&短歌

 羽州街道は福島あたりで奥州街道と分かれ山形領・秋田領を経て津軽領に至る東北各藩大名にとっては重要な街道であった。彼等13藩大名の参勤交代や城米(幕府米)輸送の要路であったのだ。じつに六十三里四町の道中でさまざまな歴史を感じさせる車窓である。
 宮城県側の仙台領内に七つの宿場があった事から七ケ宿街道と呼ばれ山形の米沢藩に抜けて行く<現在の国道113号>。【みちのく】とは云えはまだ緑は猛々しく秋の気配を感じさせるのは田んぼの色付き始めた稲穂くらい…。
 でも山間の中にありました。元気なススキの穂に見え隠れしながら続く蕎麦畑。盆明けの8月末頃に種をまき、11月上旬に収穫する。今はきれいな「秋蕎麦」の花の時期である。こんなのがあった。『蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 芭蕉』
 除草もいらず、やせた荒れ地や斜面でも収穫できることから、山間地の食糧事情の厳しい地域で栽培される貴重な作物である。奈良時代の記録に「非常食として蓄えよ」という詔(みことのり)も出ているという。


 新蕎麦はともかく喉越しの蕎麦をと<複数のガイドブック絶賛のそば屋>を大汗かいて探し回る。それらしい年期の入った暖簾がありましたゾ!もちろん「ざる蕎麦」の特大を注文。ウーもう待ちきれなくて…、しばし待て…!今、打ってんだ…。
 待つこと30分!真っ黒けの田舎蕎麦のお出ましです。カンピョウを薄墨で煮染めたような腰の据わったスゲ~スゲ~物が出ました。喉越しなんてもんじゃない。ウンショウンショとかみ砕かないと喉を超さない腰の強い奴で、飲み込もうにもタレが少なくそれも出来ない。参りましたネ。セヴンイレブンの「ざる蕎麦」を懐かしく思い出しながら遂に途中で退散です。
 さすが俳人芭蕉はスゴカッタ。蕎麦は花でもてなす…ダモンネ。

    

 街道を進む。食欲の秋の食材は豊富である。その中の一つ<旬が今>のトウモロコシ畑が両側に続ている。ポップコーン・焼きトウモロコシ・茹でトウモロコシ・トウモロコシ饅頭とヘソの辺りがムズムズしてくる。アンチモロコシ派としては茹で上げた時のムッとする匂い、グチャッとくる歯応え、生臭い甘みや、歯に刺さる粒々の皮を思い出しゲップをもようする始末だ。
 戦後の食糧事情が極端に悪いガキの頃、毎日毎日トウモロコシばかり。昨日もトウモロコシ、今日もトウモロコシ、明日もトウモロコシ、ネンガラネンジュウトウモロコシ!しかも味は3の次、ただただ収穫量が多い最悪粗悪品種だった。
 ようやくトウモロコシから解放された時はやれやれ助かったワ、もう金輪際トウモロコシは食わぬぞ!堅く心に決意をしたのだ。以後トウモロコシを食べるどころか見たくもない。ガキの頃の食い物の恨みは消去しようがないのだ。トウモロコシ連続食による心的外傷かナ。
 しかし、思えば戦中・戦後トウモロコシによって生き延びたのかも知れない。嗚呼、戦争反対・9条堅持の腹からのメッセージを思いながらコーンスープなどを食するようになった今日この頃である。